第2話
公園にて。
「やけに人が少ないな。それに、霊力のわずかな乱れも感じる」
「そうかしら? 私には感じられないけれど」
電車を乗り継いでやってきたのはいいものの、休日だというのに、この巨大公園には人がまばらにしかいなかった。普段、園内のマラソンコースは、健康志向のランナー達に人気のはずだが、今日はそれもほとんど見当たらず、閑散としている。
「うむ……まあ問題無い。奥の噴水の方にでも向かおうか?」
「え……ええ。あ、でもやっぱり、私あっちの木陰で落ち着きたい気分だわ。うん、日陰に行くのが良いと思うの」
彼女は木々の間にぽつんと設置されているベンチを指さした。
「ベンチ? ああ、別に構わないが」
木々の間に置かれたベンチに来てみると、ちょうど日陰になっており、時折木々の葉を揺らす風が心地よい。
「なんだか上の空だが、まだ怒っているのかい?」
「怒っていないわ。私そんな面倒な女じゃないもの」
「それなら良いが」
「それよりも聞いてよ、昨日ね……」
それからしばらく、彼女と他愛もない話を楽しんだ。といっても、たいていの場合彼女が一方的に話してくれるので、適当に話を合わせていれば良い。女の会話など、どうせ干したへちまの中身ほどしか内容が無いのだ。
「……ねえ、ちゃんと聞いてる?」
「ちゃんと聞いているさ」
……と、そのとき突然、地面が大きく揺れた。ガタガタと体が揺れる。
「地震か?」
「え、ええ」
数秒待つが、揺れは収まるどころか、強くなる一方。足元から激しくゆさぶられる。しばらく様子を見ていたが、止まることは無く、もはや立っていられない程だ。……一体これは何だ?
揺れる、揺れる。そして、大地の震動が激しいまま、今度は周りが白い光に包まれ始めた。そのまま白い光は光量を増し、やがて目を開けることも難しくなる。
「こちらに来い! 来るんだ!」
俺はとっさに彼女を引っ張り、体を覆いかぶせる。ほとんど同時に、白い光は完全に俺たちを包みこみ、全てが白に溶けていった。
見知らぬ草原にて
「なんだこれは……」
やっと光が収まり、目を開けて最初に見えたのは、先ほど居たはずの公園とはまったく違った見渡す限りの草原だった。思わず覆いかぶさっていた彼女から腕を離す。
「バカな……どこだ、ここは」
「これって、すごいわ」
どちらを見ても短い丈の草原が広がるばかり。自分たち二人がぽつんと取り残されたかのように佇んでいる。公園の木々も、俺たちが座っていたベンチも、何もかも消え失せてしまった。
「テレポーテイションという奴か? いや仮にそうだとしても、敵対的な霊力は全く感じなかった」
俺は油断なく足元の草と土に触れる。手に取ってみても、特に何の変哲も無い植物だ。
「君は無事か? 体に変わりはないか?」
「ええ。何もないわ。あなたは?」
「ああ……おそらく問題は無いな」
そう答えてはみたものの、今は何一つ分からない。この草原が一体なぜ出現したのか。さっきまでいた公園はどこに行ったのか。
「先ほどの揺れと光が、何らかの形で俺たちをここに転移した、と考えるのが妥当か……」
「そうなのかしら」
「ああ」
いや、確証は何もない。もう一度周囲を見渡してみるが、やはり草原だ。空は明るく、雲の切れ間から青空も見えている。一体なぜ、こんなことになったのだろう。
「これが、あなたの夢ってことは無いかしら?」
「……それはあり得ないな。俺の夢に服を着たまま、君が登場するはずがない」
「それ、どういう意味よ。あなた、夢の中で私に何させてるのよ」
彼女の抗議も今は耳に入らない。とにかく今すべきことは……
「君はどう思う。ここは何処だと思う?」
「分からないわ。でも広くて素敵ね。風が気持ちいわ」
「……そうか」
ずいぶん呑気な返答だ。状況が分かっていないのだろうか。いや、今は彼女の相手までしていられない。ヒステリーの一つも起こしていないのはむしろ僥倖だろう。
「いいかい、落ち着いて聞いてくれ。今から再びあの光と揺れが襲ってくるかもしれないし、もっと別の何かが起きてもおかしくない」
「別の何かって?」
「そりゃあ何でもあり得る。こんなテレポートが実際に起きたんだ。次は鬼や大蛇が出てもおかしくない」
「鬼も大蛇も、あなたの部下じゃない」
「モノの喩えという奴だよ。これが宇宙人の仕業って可能性もある。この俺に何らかの霊力的影響を与えるなんて只者じゃない。警戒してくれ」
問題はそこだった。
霊力は古い妖怪ほど強まっていく。古来より「創造」とは「想像」であり、人間の想像から生まれてきた妖怪は、人間が思いつきやすい普遍的なタイプほど、早くに生まれているため、歴史が古く強力である。
逆に、物に縛られたり、エキセントリックな設定を持つ妖怪はその存在と認識が確定するのに時間がかかるため、新参であり、霊力としては弱い。たとえ有名であっても、テレビの普及から生まれた貞子や、複雑すぎて共通の想像がしにくい酒呑童子・鵺などはこれに当たる。
俺は人間をベースにその一部が欠けただけ、という比類無くシンプルかつ誰でも共通の想像をし得る妖怪であったため、最古参の中でも最古参であった。あまり知られていないが、火の精などの非自立型の妖怪を除けば、俺は最初に存在が確定した妖怪だ。妖怪百鬼夜行の盟主をやっているのも、そんな理由だ。
その俺に、なんらかの霊的影響を与えるなど到底信じがたい。いや、与えるにしても、平生から敵対的な霊力には気を払っているから、知らない存在に何らかの術を仕掛けられた場合、瞬時に気が付くし、対抗術式が発動するはずだ。
「大丈夫よ、きっと。あなたより霊力が強い生物なんてこの地上には存在するはずないわ」
「ああ。そうだと助かるな」
普段は鋭い彼女がここまで能天気だと拍子抜けしてしまう。もしかすると、彼女もショックで混乱しているのかもしれない。
正直に言えば、ここは地球ですらないかもしれないのだ。頭上の太陽らしき光の角度と、気温・植生から俺はそんな気がしていた。この場所に何がいるか分からない以上、油断はできない。
だが、彼女の言う通り、頼れるのは己の力のみだ。男たる俺が気を引き締めなければいけない。
「ねえ、あれ見て。建物が見えるわ」
そんなことを考えていると、彼女に服を引っ張られた。彼女の視線の先を追うと、確かに建物が密集した街らしきものが、微かに目に入る。先ほど周りを見たときは、テレポートへの驚きのあまり見逃していたようだ。
「よく気が付いたな。頼りになる女だ、君は」
「あら、そうかしら。でも、あなただって流石だわ。さっき白い光に包まれた時、守ってくれたじゃない」
「ふん。そんなのは当然のことだ」
「私、あなたの照れ屋さんなところも好きよ」
腕にまとわりついてくる彼女を引っぺがす。この非常事態に、女という奴はこれだから厄介だ。
「とりあえず一応はあの街を目指す」
「なんで一応なの? 街に行きましょうよ」
「君は何故そんなに緊張感が無いんだ。いいかい、あそこにいるのが人間とは限らん。宇宙人かもしれないんだ。テレポートなんていう非科学的な現象が起きたんだ。もはや全てを疑う他ない。信じられるのは『疑っている俺という存在』そのものだけだ。昔、西方の人間がそんなことを言っていた」
俺の言葉に、彼女は呆れた顔をする。
「あなたって宇宙人大好きねえ。それに、私の事も信じて欲しいわ」
「そうだな、それじゃあ信じられるのは俺と君だけだ。とにかく街に近づいて一旦様子を見よう」
「ええ」
これ以上話していても、あの揺れと光について何も分からない。ひとまず、俺たちは街を目指すことにした。
「止まれ」
しばらく俺たちは街を目指して歩いていたが、俺はその歩みを止め、彼女を手で制した。
「どうしたのよ」
「前方に生き物がいる」
俺は彼女に指し示す。人間の子供よりさらに小さいサイズの、全身茶色の生物だ。
「本当だわ。あれってゴブリンって奴じゃないかしら。昔、お父様が見せてくれた絵本に似たようなのが出てきていたわ」
「そう言われれば、そんな気もするな」
前方にいる小さな鬼らしき生き物は、ぼろを身にまとい、大きい棒状の道具を携えている。
どうみても元の世界で生息していた生物でも妖怪でもない。ここが地球ではないことを否が応でも感じさせられる。
「どうするのよ」
「とりあえず話しかけよう」
「話しかけるの? あれ、話とか通じるのかしら。なんだか危なそうよ」
「やってみなければ分からない。未知との遭遇という奴は常に試行錯誤の連続だからな。昔見たメリケン映画でも、科学者が根気よく対話を試みていた。すぐに暴力的手段に頼るのは救いがたい愚か者さ」
人間という奴は、得てして暴力に頼りがちだ。インテリゲンツィア妖怪の俺にとってみれば、ナンセンスと言わざるを得ない。
「なんでもいいけれど、とにかく気を付けてね。安全第一だからね」
不安げな彼女を後ろに残し、ゴブリンらしきその生物に近づく。すると、近づく足音が聞こえたのか、すぐさま奴はこちらに振り向いた。
「あー、そこの貴公、つかぬことを伺っても?」
俺の紳士的かつ知的な問いかけに、奴は低い呻き声をあげて答える。とその瞬間、奴は片手の棒を振り上げ、恐ろしい勢いでこちらに迫ってきた。よく見ると、棒の先端に尖った金属が固定してある。手製の武器だろうか。
「きゃっ」
俺が襲われるのを見てか、遠くから小さく彼女の悲鳴が聞こえる。
俺はゴブリンと離れるように後ろに飛びながら、腕を一振り。放つのは、霊力の刃だ。
「ギュギィッ」
避けることなく刃を受けた奴は、胴体で真っ二つになり崩れ落ちた。数秒待ったが動く様子も無い。息絶えたようだ。
「一体何だったんだ」
「大丈夫だった?」
彼女が心配そうに駆け寄ってくる。
「もちろんさ。すべては俺の当初のプラン通り、あのルンペンを排除した」
「根気よく対話するんじゃなかったの?」
「時に暴力も必要になるのさ。対話と暴力のアウフヘーベンとでも言うのかな」
「あなたの言う事って、時々難しくて分からないわ」
「それは残念だ」
そんなことを言いながら、かがんで奴の死体を観察していると、腰にぼろぼろの革袋が巻いてあるのが目に入る。
「ちょっと、それどうする気なの?」
「こうするのさ」
俺は革袋をはぎ取って、中身をぶちまけた。中から動物の皮らしき欠片や、石のようなものが地面に転がり落ちる。
「うーむ。なるほど」
「何か分かったの?」
「まあな。多少の収穫はあった。原住生物の一つにも遭遇できたしな」
「あのゴブリン、見た感じだと霊力としては弱そうだったわね」
「ああ。君でも問題なく倒せる生物だった」
雪女は『吹雪による遭難』という自然現象から生まれた人型妖怪なので、比較的人間の想像と認識が固まりやすく、最古参の妖怪に分類される。とはいっても、地域によっては『雪女』ではなく『雪男』であったりと、イメージの限定性・ばらつきが足を引っ張り、最古参の中ではあまり古くない。
また、ここにいる彼女はオリジナルではなく、『雪女』の一人娘なので一世代分は新参であり、霊力の総量はそこそこといったところである。ただとりあえず、彼女が倒せないような生物が出てこなくてよかった。もちろん、まだ出会っていないだけでそこら中にいる可能性も捨てきれないが。




