↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
辺境子爵令嬢は平穏に暮らしたい ~剣と魔法の才能を隠して、普通の学院生活を送るはずでした~  作者: EA
第二部「王国の陰謀編」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
99/127

第90話 王宮へ届いた二通の報告

 数日後、クラウス王太子の執務机に、二通の報告が届いた。


 一通は、王宮行事の運営に関する正式な記録。


 もう一通は、学院の生徒たちの振る舞いを問題視する匿名の意見書だった。


 クラウスは二通を並べ、窓から差す朝の光の中で読み比べた。


 正式記録には、控室の名簿に食い違いがあったこと、担当者の確認によって役割が整理されたこと、式典が大きな混乱なく終わったことが書かれている。


 一方の意見書は、ベルクハルト伯爵令嬢が周囲の忠告を退け、独断で行動したと主張していた。


「同じ日の出来事とは思えないな」


 クラウスが呟くと、側近が慎重に答えた。


「どちらを重く見るべきでしょうか」


「まず、誰が何を確認したのかだ。評価はそのあとでいい」


 クラウスは名簿の版番号を指した。


「ここが途中で変わっている。変更を指示した者の記録がない」


「調査いたしますか」


「静かに確認してくれ。生徒たちを不必要に巻き込むな」


 命令を受けたのは、宰相府に籍を置くユリウス・フォン・リーデンだった。公爵家の三男で、学院時代からクラウスに仕える気心の知れた一人である。


「儀典局の控えは私が照合します。学院側の生徒に直接問い合わせることはいたしません」


「頼む。ユリウス、記録の誤りと人の悪意を、最初から同じものとして扱わないでくれ」


「承知しております、殿下。ヴィクトル先輩にも昔、似たことを言われました」


 その名にクラウスの口元が緩む。だが二人とも、ここで私的な助言を求めるつもりはなかった。王宮の記録は、正式な担当者が責任を持って扱うべきものだった。


 扉がノックされ、ヴィクトリアが入ってきた。


「セレスティーヌ様のことですか」


「君の耳にも入っているんだね」


「ええ。わたくしは、あの日の控室におりました」


 ヴィクトリアは見たことだけを話した。


 セレスティーヌが確認を求めたこと。友人たちが自分の役割を果たしたこと。イザベラとの会話で、声を荒らげる者はいなかったこと。


「彼女は、ただ自分の仕事をしたかったのだと思います」


 クラウスは頷いた。


「フェリクスにも、事実を確かめずに判断しないよう伝えよう」


「聞いてくださればよいのですが」


 その言葉に、クラウスは苦い笑みを浮かべた。


 同じころ、学院ではセレスティーヌが父からの返書を受け取っていた。


『話してくれてありがとう。おまえが何を考え、何を選んだのかを知ることができた。すぐに答えを出す必要はない。困ったときは、いつでも知らせなさい』


 短い手紙だった。


 けれど、読み終えたセレスティーヌは、しばらく動けなかった。


 その後、彼女は庭でエレナたちと合流した。


「今日は、少し顔色がいいね」


 エレナが言う。


「ええ。家から手紙が届きましたの」


「よかった」


 フィオナが笑い、ノエルは温かい茶を勧めた。


 ミレイユが新しい布地の見本を広げると、エレナは早速、訓練用の丈夫な袖口について話し始めた。


「ねえ、それって剣を振りやすくできる?」


「エレナ、あなたは何でも剣の話にするのね」


 笑い声が庭に広がる。


 セレスティーヌはその輪の中で、ようやく肩の力を抜いた。


 王宮で報告書が読まれていた同じ夕方、学院では小規模な護衛演習が行われた。二方向から迫る訓練用の移動標的を使うと聞いて、エレナは木剣の握りを確かめる。


「速く片づければいい、という課題じゃないんだね」


「そう。相手を止めても、守るものを壊したら失敗だ」


 ルシアンはそう言って、仲間の立つ位置を指さした。学院の七人はまだ知らない不穏さを、いつもの稽古で紛らわせる。エレナも頷く。目の前の敵役だけを見れば、彼女の剣は速い。けれど、守りたい人はいつも背後にいる。


 笛が鳴る。エレナが前衛を引き受け、ルシアンが風で横の標的を遅らせ、アレクシスが《金剛》の盾で後衛を守る。木剣と盾が触れる鈍い音、風の低い唸り、靴底が床を擦る音が短く重なった。訓練が終わると、エレナは額の汗を袖で拭った。


「私、一歩だけ遅かった?」


「半歩かな。でも、その半歩で後ろが安全になった」


「じゃあ、次も同じようにする!」


「状況が同じならね」


 ルシアンの慎重な答えに、エレナは笑う。エレナが「誰か一人なら間に合わなかった」と言う。勝敗よりも、何を守れたかが二人の話題になっていた。


 クラウスは報告書を閉じた後も、しばらく執務机を離れなかった。


 窓の外では王宮の衛兵が交代し、夕暮れの石畳に規則正しい靴音を響かせている。国を守る仕組みは、こうした小さな確認の積み重ねで成り立っているのだと、彼は幼いころから教えられてきた。


「殿下、第二王子殿下には、どのようにお伝えいたしますか」


 側近の問いに、クラウスは一度だけ目を閉じた。


「まずは本人から事情を聞く。責めるためではなく、何を事実として受け取っているか確かめたい」


「匿名の意見書については」


「出所を調べる。ただし、匿名であることだけを理由に退けてもいけない」


 クラウスは机上の二枚を指で揃えた。


「書かれた内容を、記録と照らすんだ。誰の名が記されているかより先にね」


 ヴィクトリアが静かに頷く。


「セレスティーヌ様が、ご自身の言葉で話そうとしていらっしゃることを、わたくしは嬉しく思います」


「君が見守ってきたからだろう」


「いいえ。周囲の助けはあったでしょうけれど、最後に口を開いたのはあの方ご自身です」


 その言葉に、クラウスは微笑んだ。


「そうだね。私たちは、その選択を軽んじてはいけない」


 話題が途切れたところで、ヴィクトリアは窓辺の小さな花瓶へ目を向けた。淡い桃色の花が一輪だけ挿してある。


「今日は珍しい花を飾っていらっしゃるのですね」


「君が以前、可愛いと言っていたから」


「……覚えていらしたのですか」


 彼女は少しだけ頬を染めた。


 厳しい報告に囲まれた部屋で、その短い会話は二人にとって大切な息継ぎになった。


 だがクラウスは、机の隅に置かれた北方の地図へ視線を戻す。学院で起きている小さな不一致と、北から届く不可解な報告。今は別々の出来事に見える。


 だからこそ、思い込みで結びつけず、一つずつ確かめなければならない。


 けれど王都の別の場所では、ヴァイスベルク侯爵ハインリヒが封書を受け取っていた。


「娘は、役目をよく理解しているようだな」


 彼は文面を読み、暖炉の火へ一枚の紙を落とした。


 その紙に何が書かれていたのか、部屋にいた者は知らない。


「殿下の周囲に、余計な声が増えるのは困る」


 侯爵は静かに言った。


 王立学院では、次の週の授業予定が掲示されている。


 穏やかな日常のすぐ隣で、まだ名前のない亀裂が広がり始めていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。