第86話 守るための準備
翌週、学院では王宮行事に合わせた儀礼補助訓練が行われることになった。
見学に参加しない生徒も、来賓の誘導や緊急時の退避について学ぶ。
「剣術だけなら気楽なのに」
エレナがそう呟くと、ルシアンはすぐに首を振った。
「君の場合、剣術のほうが問題になると思うよ」
「どういう意味?」
「目立たないつもりで、つい全力を出すから」
アレクシスが吹き出した。
「そこは否定できないな」
「二人とも、ひどい!」
いつものやり取りに、セレスティーヌも笑った。
けれど訓練の説明が始まると、彼女は真剣な顔になった。
人が集まる場所で混乱が起きた場合、必要なのは敵を倒す力だけではない。通路を確保し、負傷者を見つけ、助けを呼ぶこと。
「前に出る者と、後ろを守る者。役割は違っても、どちらも欠かせません」
担当教員の言葉を、セレスティーヌは手帳に書き留めた。
演習の前、七人は小さな円になって相談した。
「私は通路の安全確認をする」
エレナが言う。
「僕は誘導経路を見ておく。人が集中しそうな場所を避けたい」
ルシアンが図面を広げた。
「商会の荷運びでも、出口を一つにすると詰まるのよ」
フィオナは通路に二本の線を引く。
「負傷者が出たら、私が応急処置を確認します」
ノエルが頷く。
ミレイユは来賓の動線と案内役の配置を引き受けた。
アレクシスはセレスティーヌを見た。
「君は、どうしたい?」
以前なら「皆さんのお役に立てるなら何でも」と答えていたかもしれない。
セレスティーヌは少し考えた。
「わたくしは、退避する方々の側を守りたいです。《聖晶》で長く通路を塞ぐことはできませんけれど、短い間なら盾を作れます」
「十分だ。時間が限られるなら、その五秒を何に使うか決めればいい」
アレクシスの返事は、ためらいがなかった。
「俺の《金剛》は前を受け止められる。でも衝撃を全部消せるわけじゃない。君の盾が後ろを守ってくれたら、動ける人が増える」
「……ありがとうございます」
セレスティーヌは目を伏せた。
褒められたからではない。
できることと、できないことを、そのまま受け止めてもらえたのが嬉しかった。
訓練の前、七人は廊下の隅に置かれた長机を囲んでいた。
ルシアンが描いた見取り図には、曲がり角と避難経路が細かく書き込まれている。フィオナは人数を数え、ミレイユは目印に使う布の色を選んでいた。
「赤は危険、青は進行方向。これなら遠くからでも見えるわ」
「暗い場所だと、青は見えにくいかもしれない」
ノエルが指摘すると、ミレイユは布を光にかざす。
「じゃあ白い縁取りをつけましょう。少し手間だけど、その方がいいわね」
アレクシスは盾を壁に立てかけ、図の中央を指した。
「俺がここで前を受け持つ。エレナは横から来る相手を止めてくれ」
「了解! でも、速く動きすぎたら怒られる?」
「怒るというか、避難役が置いていかれるだろ」
守るための準備を進める放課後、学院では小規模な護衛演習が行われた。落下する砂袋と狭い避難路を使うと聞いて、エレナは木剣の握りを確かめる。
「速く片づければいい、という課題じゃないんだね」
「そう。相手を止めても、守るものを壊したら失敗だ」
ルシアンはそう言って、仲間の立つ位置を指さした。五秒しか持たない盾を最大限に使う方法を試す。エレナも頷く。目の前の敵役だけを見れば、彼女の剣は速い。けれど、守りたい人はいつも背後にいる。
笛が鳴る。アレクシスが《金剛》で砂袋を受け、エレナがロープを木剣で断ち、ルシアンが風で砂袋を安全側へ寄せる。木剣と盾が触れる鈍い音、風の低い唸り、靴底が床を擦る音が短く重なった。訓練が終わると、エレナは額の汗を袖で拭った。
「私、一歩だけ遅かった?」
「半歩かな。でも、その半歩で後ろが安全になった」
「じゃあ、次も同じようにする!」
「状況が同じならね」
ルシアンの慎重な答えに、エレナは笑う。セレスティーヌが最後の五秒だけ《聖晶》を展開する。勝敗よりも、何を守れたかが二人の話題になっていた。
「……気をつけます」
ルシアンが小さく笑った。
「今回の目的は敵を倒すことじゃない。全員が安全な場所まで移動できるかだよ」
セレスティーヌは図の端に置かれた自分の名前を見つめる。
「わたくしの《聖晶》は、長く保てません」
「だから、必要な瞬間だけでいい」
アレクシスはごく自然に言った。
「五秒あれば、角を曲がれる人がいる。俺の《金剛》だって、何でも防げるわけじゃないしな」
その言葉に、セレスティーヌは顔を上げた。
彼は励ますために能力を大きく見せたりしない。弱点も含めて役割を考えてくれる。それがありがたかった。
訓練が始まると、模擬弾が木の床を打つ音が響いた。
「右、二人!」
エレナの声に合わせ、アレクシスが一歩前へ出る。強化された盾が衝撃を受け止めたが、その振動は腕に伝わり、彼の足がわずかに滑った。
「無理はしないで!」
セレスティーヌは思わず声を上げる。
「分かってる。今だ、頼む!」
彼女は掌を前に向けた。
淡い銀白の結晶が、空気の中で小さな盾を形作る。広げすぎない。厚くしすぎない。必要な位置に、必要な時間だけ。
ひとつ、ふたつ、と心の中で数える。
四つ目で魔力の流れが乱れ、指先が痛んだ。五つ目を数え終える前に盾は細かな光となって消えた。
それでも、退路は守れた。
訓練は順調とはいかなかった。
最初の試行では、彼女の盾が早く消え、案内役が足を止めてしまった。
「ごめんなさい」
「謝る前に、次の合図を決めよう」
ミレイユが手を打つ。
「盾が消える一拍前に声をかけるのはどう?」
「それなら、僕が後ろの人に伝えられる」
ルシアンが頷いた。
二度目の試行で、彼女は盾を小さく保ち、五秒だけ通路を守った。
長い時間ではない。
それでも、避難役の生徒が一人、無事に曲がり角を抜けた。
「今の、よかったよ」
エレナが笑う。
セレスティーヌは胸に手を当てた。
守ることは、すべてを一人で背負うことではない。
そう思えるようになったのは、きっとこの仲間たちのおかげだった。




