第84話 消された席次表
礼法実習から二日後、学院の掲示板に王宮行事の補助参加者名簿が貼り出された。
学生が儀礼の進行を学ぶため、数名が王宮の公開行事を見学できるという。
ミレイユが名簿を見つけたのは、午前の講義が終わったあとだった。
「セレスティーヌ、あなたの名前がないわ」
「え?」
セレスティーヌは掲示板に近づいた。
確かに、自分の名が見当たらない。代わりに、イザベラの名が上段に記されている。
「もともと、わたくしが参加する予定ではなかったのかもしれません」
「でも、先週の準備表にはあったのよ」
ミレイユは鞄から小さな手帳を取り出した。行事の衣装について相談されたとき、参加者の名を控えていたらしい。
「ほら。ここに」
セレスティーヌの名は、確かに書かれていた。
フィオナが首を傾げる。
「予定変更なら、理由があるはずよね。聞いてみようか」
「騒ぎにはしたくありません」
「聞くことと、騒ぐことは違うわ」
ノエルの言葉は静かだった。
彼女たちは事務室へ向かった。
担当職員は書類を確かめ、困った顔をした。
「こちらに届いた最終名簿では、ベルクハルト嬢のお名前はありません。前の版は、もう保管箱に移しております」
「変更を決めたのは、どなたでしょうか」
セレスティーヌが尋ねると、職員は答えを濁した。
「王宮側からの連絡、としか」
そのとき、ルシアンが事務室の扉を叩いた。別件の書類を届けに来たらしい。
話を聞くと、彼は名簿の右下を指した。
「ここ、版を示す番号があります。前の版と比べれば、いつ変更されたかは分かるかもしれません」
「そんなところまで見るの?」
エレナが感心すると、ルシアンは少し照れた。
「記録を読むときは、内容だけじゃなくて、いつ誰が扱ったかも大事だから」
職員は保管箱を調べ、旧版の写しを見つけてくれた。
そこには、セレスティーヌの名があった。
変更日は、フェリクスとの昼餐会の翌日。
ただし、差し替えを指示した人物の署名はなかった。
「これだけで誰かを責めることはできませんわね」
セレスティーヌが言うと、ルシアンは頷いた。
「そうだね。でも、変更があったという事実は残せる」
ミレイユは手帳に日付を記した。
「忘れないようにしましょう。あなたが勘違いしたことにされないためにも」
昼過ぎ、フィオナは資料室の片隅で二枚の写しを並べていた。
「これが昨日の配布分。こっちが今朝、掲示されていた分」
――席次表を見た日の夕方。
学院の訓練場では、立ち位置を途中で入れ替える防衛訓練が用意されていた。今日の課題は、敵役を倒すことではなく、危険を見極めて味方を通すことだ。
「先に突っ込んでいい?」
「まず合図を聞いて。エレナの一歩は、普通の人の三歩分くらい速いから」
ルシアンの返事に、エレナは口を尖らせた。だが、彼が言いたいことも分かる。自分の立ち位置を奪われた気がするセレスティーヌを励ます。そんなときこそ、慣れた剣に頼りすぎてしまうのだ。
開始の笛が鳴った。アレクシスが《金剛》で盾を固めて最初の衝撃を受け、エレナが側面へ回り、ルシアンが風で退路を開く。木のぶつかる乾いた音が響き、砂が靴底で小さく鳴った。三人は一度も互いの進路を塞がず、最後の標的が止まったところで構えを解いた。
「今のは、僕が前に出すぎた」
「ううん、私も見てなかった。次は先に言う」
エレナが素直に答えると、ルシアンの目元が緩む。セレスティーヌが「位置が変わっても役目は消えません」と気づく。勝ったことより、互いの動きを確かめられたことが、今日の収穫だった。
机に身を寄せたミレイユが、細い指で名前の列を追う。
「人数は同じなのに、順番が違うわね」
「そう。誰かが席を増やしたわけじゃない。入れ替えただけ」
紙の端には、事務担当者が押した小さな確認印があった。けれど新しい写しには、修正理由が書かれていない。
「これだけで、誰かの悪意とは言えないよ」
ノエルが慎重に口を開いた。
「手違いかもしれないし、正式な指示が別にあるのかもしれない」
「そうなの。だから困るのよ」
フィオナはため息をついた。
商会で帳簿を扱う父の姿を思い出す。数字の間違いは直せる。しかし、誰がいつ何を変えたのか分からなくなれば、後から正しい判断ができなくなる。
「まず、学院の事務室に確認しよう。私たちが勝手に人を疑うのは違うと思う」
セレスティーヌが言うと、ミレイユは彼女を見た。
「あなたの名前が消えていたのよ。それでも落ち着いていられる?」
「落ち着いては……いません」
正直に答えると、セレスティーヌの声が少し震えた。
「とても悲しいです。でも、悲しいからこそ、確かなことを知りたいの」
エレナは腕を組んで頷いた。
「うん。剣の試合でも、相手の動きを見ないで飛び込むと危ないからね」
「また剣の話?」
ミレイユが笑う。
「でも、言いたいことは分かるわ」
事務室では、担当者が記録簿を調べてくれた。ただし、変更の経緯はその場では分からなかった。
「確認して、改めてお知らせします」
丁寧な返事に礼を述べ、五人は廊下へ出る。
セレスティーヌは書類の写しを鞄にしまった。証拠を持つことは、誰かを責めるためだけではない。自分の記憶を疑わずに済むようにするためでもあるのだ。
夕方、セレスティーヌは学院の廊下でイザベラとすれ違った。
「王宮見学、楽しみですわ」
イザベラはそう微笑んだ。
「そうですわね。どうぞお気をつけて」
セレスティーヌは礼を返した。
相手の言葉の意味を、今ここで決めつけることはできない。
けれど、自分の名が消えた紙のことは、もう忘れないつもりだった。




