第76話 雨雲の下の役割分担
演習本番の前日、空は低い雲に覆われていた。
「雨が降るわね」とミレイユが言う。
訓練庭の土はすでに湿っている。明日、雨が降れば荷車の車輪が滑り、布の重さも変わる。
「経路を変えよう」とフィオナが地図を広げた。「短い坂道より、少し遠回りの石畳の方が安全」
「遠回りだと、模擬敵の射線に長く入る」とアレクシス。
「だから、そこで盾が必要なのね」とセレスティーヌが頷いた。
私たちは訓練庭の隅で、実際に歩幅を測った。ノエルは薬箱の留め具を確かめ、ミレイユは雨除けの布を折り直す。ルシアンが地面に細い線を引いた。
「前衛はアレクシスとエレナ。ただしエレナは後衛から離れすぎない。僕は中間で合図と風の補助。セレスティーヌは薬箱の側で必要な一瞬に《聖晶》。ノエルは体調確認。フィオナとミレイユは運搬と経路判断」
「分かった」と私は即答した。
アレクシスが笑う。「今日は返事が早いな」
「成長したから!」
「昨日、ルシアンと何か話した?」
「な、何も特別なことは!」
妙に大きな声が出てしまった。フィオナが楽しそうに目を細め、ミレイユは何も言わずに微笑んだ。私は話題を変えようと、剣の柄を確かめる。
セレスティーヌが小さく手を上げた。「一つ、お願いがあります」
「何?」
「私が盾を出す前に、必ず『今』と声をかけていただけませんか。目で追うだけだと、焦ってしまうので」
「もちろん」とノエル。
「それと、盾が消えたら、すぐ次を出そうとしないで休むこと」とリディア先生が後ろから声をかけた。
先生は私たちの配置図を覗き込む。「五秒の盾を十秒使おうとしてはいけません。限界を知って、その範囲で最良の結果を出すのが訓練です」
「はい」とセレスティーヌが答える。
私も胸の中で同じ返事をした。雷の力を隠している私は、限界を見せることもできない。だからこそ、普段の水と風、剣の扱いを丁寧にしなくてはいけない。
帰り道、ぽつりと雨粒が落ちた。ルシアンが持っていた傘を開く。
「入る?」
「二人で入ったら狭くない?」
「少しだけね」
肩が触れない程度の距離を空けて歩いた。雨の匂いが濃くなり、石畳が黒く光る。
「明日、頑張ろうね」
「うん。君が一人で頑張りすぎないように」
「それ、今日何回目?」
「必要な回数だけ」
雨を想定した最後の確認では、ガルド先生が濡れた布を標的に巻いた。乾いた木より重く、当たったときの反動も違う。
「今日は速度を落として行う。転びそうなら即座に中止だ」
私は石畳に見立てた板の上に立ち、アレクシスの盾の横へ回った。ルシアンが風で布を揺らすと、標的が予想より大きく振れた。
「エレナ、足元!」
私は剣を振るのをやめ、片足を引いた。濡れた板の上では、いつもの踏み込みが滑る。代わりに木剣を縦に構えて標的を受け流す。
アレクシスは《金剛》を盾の縁に薄くまとわせ、重い標的を受け止めた。衝撃で肩が沈む。
「強化しても、重さはそのままだな」
「無理に受けるより、逃がして」とルシアン。
次は三人で標的を横へ誘導し、進路を空けた。勝つための一撃はない。でも、誰も転ばず、荷物も動かない。
「明日はこれができれば十分だね」
私は濡れた袖を絞りながら言った。
私は笑って、傘の柄に添えられた彼の手を見た。誰かと同じ雨を避けるだけで、心が少し軽くなる。そんなことを、学院に来るまで知らなかった。




