第67話 届かない荷と消えた記録
最初の報告は、予想外の形で届いた。
「北方行きの荷が一便、遅れているんだって」
フィオナが食堂で小さな帳面を開いた。西部の支店から届く商会の定期便で、北方の薬草を運ぶ馬車が予定より二日遅れているらしい。
「魔物のせい?」
言った途端、フィオナの表情が少し曇った。
「そう決めつけたくなる気持ちは分かるよ。でも、商会では理由が分からない荷を、勝手に『襲われた』とは扱わないの」
「どうして?」
「運んでくれる人の信用に関わるから。遅れた人にも、待っている人にも生活があるでしょう?」
私ははっとした。荷車の向こうに人がいる。北の村へ薬を届ける人、帰りを待つ家族、馬を世話する人。私が心配するリリアと同じように、誰かの大切な人たちだ。
「ごめん。先に怖い理由を考えちゃった」
「謝らなくていいよ。だから一緒に調べようって言ったんだもの」
フィオナは帳面の端を指で押さえた。いつもの明るさの奥に、商家の娘としての責任感が見えた。
「それは分からない。橋の補修かもしれないし、天気のせいかもしれない」
彼女はきっぱり言った。
私は頷きながらも、胸の奥がざわついた。
ノエルの調べでは、薬草の入荷も少し遅れている。ただし別の産地の品は普段どおりだという。
「北方からの道だけ、何かあるのかな」
「まだ比較する数が少ないです」とノエル。
そこで私たちは、学院の図書室にある交易路の地図を借りた。
ところが、必要な年代の記録帳だけが見つからなかった。
「貸出中?」
司書の先生が棚札を確かめる。
「いいえ。古い記録なので修繕室へ回したはずです。台帳には……あら、返却の日付が空欄ね」
私はルシアンと顔を見合わせた。
古い帳簿、空欄、北方の道。頭の中で、いくつもの点が勝手につながりそうになる。
「エレナ」
ルシアンの声に、はっとした。
「まだ何も分かっていない」
「……うん。分かってる」
司書の先生は修繕室へ問い合わせてくれた。夕方には、記録帳は単に別の箱へ移されていたと判明した。
「よかった」と私は息を吐く。
「ほらね。記録がないことと、事件があることは別だよ」とルシアン。
「私、ちょっと物語を作りすぎた」
「小さいころからそうだったよ」とルシアンが言う。
「えっ?」
「リリアが庭で見つけた大きな足跡を、君は『山の巨人のものだ』と言って騒いだ」
「あれはおじいさまの靴だったんだよね……」
「そう。しかも泥のついたまま畑に入って、マリアンヌ様に叱られていた」
思い出して、私は口元を押さえた。祖父が珍しくしょんぼりしていた姿まで、鮮明に浮かぶ。
「リリア、あのとき本気で巨人を探しに行こうとしたんだ」
「君が先頭だったけどね」
「……否定できない」
笑ってから、私は帳簿を見直した。小さな空欄ひとつにも、いろいろな理由がある。怖い想像は簡単にできる。でも、それを確かめるには手間がかかる。
ルシアンが隣で本の角をそろえる音がした。彼が落ち着いていると、私も少しずつ落ち着ける。昔はそのことを当たり前だと思っていた。
今は、彼が根気よく私の歩幅に合わせてくれているのだと分かる。
「想像力は悪くない。確かめる前に信じないことが大事なんだ」
ところが、安心したのも束の間だった。
修繕室から戻った記録帳には、北方の古い道の一部が載っていなかった。破れたのではなく、もともと記載されていないように見える。
「新しい道だから?」
「その可能性はある」とルシアン。「でも、ここは古い猟師道として地元では知られていた」
私は故郷で歩いた道を思い出した。木の根を避けながら、リリアと競争した細い坂道。地図にないからといって、存在しないわけじゃない。
夜、寮の窓から北の空を見た。
雲が厚く、星は一つも見えない。
調べれば調べるほど、分からないことが増える。でも、だからこそ大切なものを見失いたくない。
荷の遅延を聞いたあと、私たちは訓練場の端で、狭い通路の護衛を試した。フィオナが商会の荷車の幅を教えてくれたからだ。
「車輪の外へ踏み出せる余裕は、思ったより少ないの」
彼女が縄で囲った道は、木剣を横に振るとすぐに端へ届く幅しかない。アレクシスが盾を構え、私がその脇に立った。ルシアンは奥から小さな風の球を送り、縄についた札を揺らす。
「右から二つ!」
私は短く突いて一枚を止めた。もう一枚はアレクシスの盾が受ける。鈍い音が響き、彼の足が半歩ずれた。
「《金剛》でも足場は滑るな」
「だから車輪の前へ出ないで!」とフィオナ。
次の札が背後から揺れた。私は振り返ろうとして止まる。剣を回せば味方に当たる。代わりに「後ろ!」と声を張ると、ルシアンの風が札を上へ逃がした。
訓練を終えて、フィオナは縄の幅を帳面に写した。私たちが知ったのは、魔物の正体ではない。ただ、荷が遅れる道には、戦い方を難しくする条件がいくつもあるということだった。
私は父の手紙を開いた。
『未確認の話で動かないこと』
指で文字をなぞる。
明日は司書の先生に、地図の作成年代を聞こう。それから、家族にも古い道のことを確かめよう。
剣を振るよりずっと地味な一歩。でも今は、それが必要だった。




