第66話 父からの三つのお願い
父からの返事は、思ったより早く届いた。
封を切る前から、胸が高鳴る。グレゴール・リーヴェルトの筆跡は、剣筋と同じで迷いがない。
『エレナへ。手紙をありがとう。まず、家族は全員無事だ。リリアは今朝も元気に走り回り、母上に叱られている』
「よかった……」
声が漏れた。
『白銀の森の外縁で魔物の目撃が増えたのは事実だ。ただし村に被害は出ていない。領の見回りと連絡体制を強化している。おまえに頼みたいことは三つある』
私は背筋を伸ばした。
『一つ、学院の学業を続けること。二つ、未確認の話で動かないこと。三つ、もし学院側に関係する情報を得たら、必ず先生を通して伝えること』
最後に小さく追伸がある。
『剣の稽古はほどほどに。母さんとリリアからも同じことを言われた』
「……家族ぐるみで心配されてる」
追伸の余白には、さらに小さな文字があった。母の整った筆跡で『リリアはあなたが帰ってきたら勝負すると張り切っています』。
その下に、妹らしい勢いのある字で『お姉さま、手加減はなしです!』。
「……それは困るなあ」
笑いながら、私は指で文字をなぞった。手加減しなければ危ないし、しすぎればリリアは怒る。祖父はきっと、二人とも満足するまで稽古場から出してくれないだろう。
父の三つのお願いは、どれも私を子ども扱いしているようで、実は違った。私が遠くにいても家族の一員であることを前提に、できる役目を示してくれている。何もするな、ではない。
今いる場所で役に立て、と言ってくれているのだ。
それが嬉しくて、少し寂しかった。父に頼られるくらい大きくなったのなら、妹の手を引いて帰るだけでは済まないこともあるのだろう。
思わず笑った。
昼休み、私はルシアンとガルド先生のもとへ行った。北方の手紙の内容と、公開祭の後に見た魔力灯の異常について、事実だけを話す。
先生は腕を組んで聞いていた。
「森の魔物と学院の灯りが同じ原因だと考えているのか?」
「いいえ。関係があるかどうかも分かりません」
「よし。そこを曖昧にするな」
先生は机の上の報告用紙を指した。
「魔力灯については設備担当にも話が届いている。今のところ再現していない。おまえたちには、見た日時と場所を書いてもらう」
私たちは頷いた。
その日の午後、リディア先生も交えて短い説明があった。魔力灯は古い術式と新しい部品が混在する場所があり、揺らぎが即座に危険を意味するわけではないという。
「ただし、原因が分からないまま触ってはいけません」とリディア先生。「あなたたちの役目は観察と報告です」
「調べるのは先生方ですね」
「そう。特にエレナさん、勝手に分解しないこと」
「しません!」
即答したら、ルシアンが小さく咳払いした。
「……たぶん」
「たぶん、では困ります」
先生の厳しい声に、私は両手を膝に置いた。
放課後、五人で相談した。フィオナは商会の配送記録から北方の荷の遅れを確認できるかもしれないと言い、ミレイユは布の仕入れ先への問い合わせなら家族を通してできると提案した。
「でも、商売の話と魔物の話は混ぜないわ」とミレイユ。「荷が遅れた理由はいろいろあるもの」
「うん。噂だけを集めるのはやめよう」とフィオナ。
ノエルは薬草の入荷時期を調べ、セレスティーヌは学院の連絡窓口を整理することになった。
「私、剣しか思いつかなかった」
私が言うと、フィオナがにっこり笑った。
「じゃあ、エレナは皆の情報をまとめて。力仕事だけじゃない仕事もできるでしょう?」
「できる! ……たぶん」
「じゃあ、私が書記になる!」
「待って、勢いだけで決めないで」とミレイユが笑う。「まず、情報の出所を分けましょう。家族からの手紙、商会の記録、学院の設備報告。それぞれ違うものよ」
「日付も必要です」とノエル。
「それなら、表にした方が見やすいね」とフィオナ。
セレスティーヌが少し考えてから口を開いた。
「確認できたことと、確認をお願いしたことも分けませんか。まだお返事のないものまで、事実のように見えないように」
「それ、すごく大事!」
私は手帳を開き、皆の言葉を一つずつ書いた。文字が曲がるとミレイユに直され、欄が足りなくなるとフィオナが紙を足してくれる。
ノエルは読みやすい見出しを考え、セレスティーヌは慎重に書き漏れを確かめた。
完成した一枚を見て、私は思わず笑った。
「これ、私一人じゃ絶対に作れなかった」
「でしょうね」とミレイユ。
「そこは否定してよ!」
皆が声を上げて笑う。故郷へ向けて伸ばしたい手が、学院の友人たちに支えられている。その感覚は、剣を握るときとは違う強さだった。
「今度はたぶんでもいいよ」
笑い声が広がる。
父の三つのお願いを読み返した日の放課後、私はアレクシスに頼んで模擬護衛戦をした。
「今日は私が荷物役を守る。アレクシスは妨害役ね」
「剣を振るだけじゃないんだな」
「お父様に、ちゃんと考えろって言われたから」
ルシアンが白い布を巻いた木箱を置く。開始の笛と同時に、アレクシスが盾を前に出した。私は正面で打ち合わず、箱と彼を結ぶ線を横切るように移動する。
アレクシスが一歩踏み込む。盾の縁に薄い《金剛》の光が走り、木剣の打撃を受け止めた。私は反動で腕を引き、剣先を下げる。力で押せば彼は耐える。だから足を止めることだけを考えた。
「箱を狙わないの?」
「狙ってるさ。君が退いたらね」
ルシアンが砂時計を返す。残り十秒。私はわざと右側を空け、アレクシスが動いた瞬間に木剣を床へ滑らせた。打つのではなく、進路を塞ぐための構え。
「時間切れ。護衛側の勝ち」
アレクシスが盾を下ろして笑った。
「力で負けたわけじゃないのに、妙に悔しいな」
「私も、途中で斬り込みたくなった」
勝った理由を三人で言葉にしてから、私は父の手紙の意味が少しわかった気がした。
私は手帳の最初の頁に、父の三つのお願いを書き写した。
遠くで起きていることを知るには、近くの人と協力する。ようやく、私にもできることが見えてきた。




