↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
辺境子爵令嬢は平穏に暮らしたい ~剣と魔法の才能を隠して、普通の学院生活を送るはずでした~  作者: EA
第一部「王立学院編」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
65/114

第57話 雨の日の予定変更

夜明け前、窓を打つ音で目が覚めた。故郷では雨が降ると、森の匂いが濃くなる。

けれど王都の雨は石畳を濡らし、遠くの馬車の音を柔らかくしていた。


寝台の上でしばらく耳を澄ませる。リリアなら、こんな日は長靴を履いて水たまりへ飛び込むだろう。母に叱られても、きっと笑っている。


私は枕元の手紙を一度だけ見て、制服に着替えた。公開祭まであと三日。準備は順調だと思っていた。


食堂では、フィオナが天気を気にして窓を見ていた。


「この雨、街道にも影響が出るかもしれないわ」


「荷物が遅れる?」


「ええ。馬車が滑るから、無理に走らせられないもの」


私は自分が走れば早いのに、と考えかけて、すぐに首を振った。商会の荷物は私一人が抱えられる大きさとは限らない。そもそも安全が第一だ。


公開祭の三日前、朝から雨が降り続いた。


最初は窓を叩く細い音だったのに、昼には屋根を鳴らす激しい雨になった。展示室の窓辺に置いていた布見本を慌てて移動させる。


「外の回廊を通る予定だった来場者の経路が変更になるそうよ」


ミレイユが先生から受け取った紙を広げた。


「えっ。うちの展示室、通り道から外れちゃう?」


「それだけじゃないの」とフィオナ。「雨で運搬車が遅れて、追加の木枠も届かないって」


私は反射的に言った。


「じゃあ、私が走って取ってくる!」


「どこへ?」


「……倉庫?」


「ないから注文したのよ」とミレイユ。


また考えるより先に口が動いてしまった。私は唇を結ぶ。


さらに悪いことに、展示室の奥の壁から雨水が滲み、床の一部が滑りやすくなっていた。管理係の先生が来て、危険な場所には近づかないよう指示する。


「壁の補修が終わるまで、この一角は使えません」


設計図の三分の一が使えなくなった。


「どうしよう……」


セレスティーヌが濡れた床を見つめる。彼女の手元には、昨夜書き終えた案内札があった。


「まず、安全を優先しよう」


私はゆっくり言った。以前なら、自分が魔法で何とかできないかと考えただろう。でも、水の近くで不用意に魔法を使うのは危険だし、そもそも建物の修繕は私たちの仕事ではない。


「先生に使用できる範囲を確認して、それから配置を考え直そう」


ミレイユが私を見た。


「……今日は先に相談してくれたわね」


「成長したでしょう?」


「ええ。少しだけ」


厳しい評価に笑ってしまう。


先生が立入禁止の印をつけた場所は、思っていたより広かった。濡れた壁の近くに手を伸ばすと、冷たい湿気が指先にまとわりつく。


「ここは通らないでください」と担当の先生。「補修係が確認するまで、触らないように」


「分かりました」


私は足を止めた。魔法で乾かせば早いかもしれない。水を動かすことなら得意だ。でも、壁の内部がどうなっているか分からないのに力を使えば、かえって傷める可能性がある。


祖母はよく言っていた。できることと、してよいことは違う、と。


「私たちにできるのは、濡れない場所へ物を移すことだね」


雨が弱まった翌朝、私たちは屋根のある訓練場で足場の悪い場所を通る稽古をした。


「展示室の床は滑るんだろう? なら、滑る前提で動く練習だ」


アレクシスが濡らした木板を指さす。教官の許可を得て、危険のない範囲だけを使っていた。


私は木剣を握り、いつものように踏み込もうとして止まった。足の裏がわずかに滑る。ルシアンは風で水滴を吹き飛ばそうとせず、木板の外側に置いた旗を揺らして安全な通路を示した。


「大股だと転ぶよ。半歩ずつ」


「分かってる……うわっ!」


模擬敵の木剣を受けた途端、靴底がずれた。私は剣を強く打ち返す代わりに角度を変え、膝を曲げて重心を落とした。アレクシスが《金剛》の盾を短く使って横の一撃を受ける。


「衝撃は来る。だから、踏ん張りすぎるな」


彼の言葉どおりに体を逃がすと、ようやく足が止まった。


「雨の日は、強く動けばいいわけじゃないんだね」


「そう。展示室でも同じ。危ない場所には入らず、使える道を選ぶ」


ルシアンの声に頷きながら、私は昨日の濡れた壁を思い出した。


「そうね」とミレイユ。「布の箱からお願い。紙は私が確認するわ」


セレスティーヌが案内札を胸に抱えた。


「書き直しが必要なら、今夜もう一度作ります」


「一人で全部やらないで」とノエル。「文字の下書きなら、私も手伝えます」


彼女は少し驚き、それから小さく頷いた。


「……お願いします」


雨音に負けないように声を掛け合い、私たちは箱を運んだ。慌ただしいのに、不思議と心細くはなかった。


けれど問題は簡単ではなかった。通路を広げれば展示が減る。展示を詰めれば人が滞る。紙に線を引いては消し、誰もが黙り込んだ。


そこへアレクシスが顔を出した。


「手伝えることはあるか?」


「あります」とノエル。「濡れた場所に誰も入らないよう、先生の指示どおり仕切りを置いてください」


「了解」


彼は大きな声で返事をしたが、金剛は使わなかった。


ルシアンは壁際を見て、眉を寄せる。


「補修が終わるまで、湿気の影響があるものは別室に移したほうがいい。特に紙と薬草は」


「じゃあ、私が運ぶ」と私。


「一緒に運ぼう」とセレスティーヌ。


私たちは頷き合った。


雨音は相変わらず激しい。計画どおりにいかないことばかりだ。でも、以前の私たちなら、一人で何とかしようとしていたかもしれない。


夜、寮へ戻る途中、セレスティーヌが小さく言った。


「間に合うでしょうか」


「分からない。でも、できることはあるよ」


「そうですね」


彼女は濡れた石畳の先を見つめた。


「私、明日は先生に、来場者の案内をどう変えるか相談してみます」


その声には、不安と同じくらい確かな意思があった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。