第53話 正しさだけでは並ばない机
その朝、私は誰より早く展示室へ着いていた。
高い窓から斜めに光が差し込み、まだ何も置かれていない床に細長い四角を作っている。
空っぽの部屋は、剣術場と少し似ていた。人がどう動くかを考えると、自然と足が動く。
入口に立ち、私は来場者のつもりで歩いてみた。
左に布、右に薬草。奥で紙の展示を見る人が立ち止まると、次の人はどうするだろう。
「ここ、ぶつかるかも」
考えた途端、机を持ち上げていた。私にとっては軽い。脚を引きずらずに動かせるから、床も傷つかない。良いことをしているつもりだった。
ところが、あとから入ってきたミレイユの顔がみるみる強張る。彼女の手には、昨夜書き直したばかりの配置図があった。
最初の衝突は、展示室の机を三つ動かしたところで起きた。
「エレナ、待って!」
ミレイユの声に、私は机の脚を床へ下ろした。石床にこつんと小さな音がする。
「どうしたの? この位置なら通りやすいと思ったんだけど」
「思った、だけでしょう。図面と違うわ」
「でも、図面だと入口が狭くて――」
「だから相談してって言ったの!」
思いがけない強い声に、私は口を閉じた。廊下で作業していた生徒たちがちらりとこちらを見る。
私は、人がぶつからないようにしたかっただけだ。そう言い返しかけて、ミレイユの握った紙の端が皺になっているのに気づいた。
「この机の下に布を隠しておく予定だったの。採寸も終わってるのよ」
そうだった。昨日、彼女が遅くまで寸法を測っていた。私は見ていたのに、自分の考えに夢中になって忘れてしまった。
「……ごめん」
言うと、ミレイユは少しだけ目を見開いた。
「私も怒鳴ってごめんなさい。でも、勝手に変えられると困るの」
「うん。私、机を動かせば済むと思ってた。みんなの仕事がつながってるって、ちゃんと考えてなかった」
沈黙が落ちる。窓の外では、庭師が落ち葉を掃く箒の音がしていた。
「じゃあ、どうしましょう」とセレスティーヌが静かに言った。「エレナ様が気づいた通路の狭さも、実際に問題かもしれません」
「そうね」とフィオナ。「一度、人が通る幅を測ろう。私、商会の店で混雑する日を見てきたから、少し分かるわ」
ノエルは机の角に手を置いた。
「薬草を置く場所は風が強いと困ります。窓から離したいです」
全員の条件を紙に書き出してみると、思っていたよりずっと多かった。私は机一つの場所を決めるのに、こんなに考えることがあるなんて知らなかった。
途中、私たちは実際に来場者の役を交代した。
「私がお年寄りだったら、ここで少し休みたいわ」とフィオナ。
「子どもは看板を読むより先に触りに来そうです」とノエル。
「じゃあ、角に丸い布を巻こう」と私が言うと、ミレイユが頷いた。
「それなら見た目も悪くないわ。……ほら、そういう案を先に言ってくれればいいの」
私は頬が熱くなった。
机の並べ方で意見がぶつかった翌日、私は訓練場でも同じ失敗をした。
木箱を守りながら模擬敵を防ぐ課題で、私は誰にも聞かず、一番重い箱を入口へ運んでしまったのだ。
「エレナ、それじゃ退路が塞がる!」
ルシアンの声に振り返った瞬間、アレクシスの木剣が横から迫った。私は反射的に受け流したが、箱を避けた足がもつれた。
「止め!」
ガルド教官の号令が飛ぶ。私は箱を見つめた。守るつもりで置いたのに、仲間の邪魔になっている。
「剣筋は悪くない。だが、誰のために置いた箱だ?」
「……私が守りやすいように、です」
教官は頷いた。「なら、守られる側にも聞いてみろ」
やり直しでは、ノエルが通りたい道を指し、ルシアンが風で模擬敵の視線をずらした。私は箱を動かさず、木剣で攻撃の角度だけを変える。アレクシスが《金剛》の盾で短い打撃を受け、ノエルが無事に出口へ抜けた。
「さっきよりずっと楽だった」とノエル。
私は苦笑した。「私が頑張りすぎない方が、うまくいくんだね」
「頑張る場所を選べばいいんだよ」とルシアン。
剣の稽古でさえそうなのだから、展示の机ならなおさらだ。
「言葉にする前に体が動くの、昔からなんだよね」
「それは知ってる」とフィオナが笑う。「でも、今は皆がいるんだから」
セレスティーヌは新しい配置図の余白に、各人の担当を書き足していた。
「変更したところに印をつけておきます。明日、別の人が見ても分かるように」
「助かるわ」とミレイユ。「私も、変更に弱すぎたかもしれない。昨日の図面を守ることばかり考えていたもの」
「でも、測ってくれたからこそ、直す場所が分かったんだよ」
私が言うと、彼女は目を丸くしたあと、少しだけ笑った。
正しい考えが二つあっても、机は一つの場所にしか置けない。だから話し合う。そんな当たり前のことを、私はようやく実感し始めていた。
夕方までかけて新しい配置が決まった。最初の図面より少し複雑だけれど、入口は広く、布も薬草も無理なく並べられる。
「この位置ならどう?」
私が聞くと、ミレイユは頷いた。
「ええ。今度は全員が納得しているもの」
帰り際、彼女がそっと私の袖を引いた。
「私、あなたが力仕事を引き受けてくれるの、助かっているのよ」
「うん」
「だからこそ、勝手に全部背負わないで。私たちにも考えさせて」
胸の奥が、少しだけ痛くなった。誰かの役に立ちたいと思っていたのに、役目を奪っていたのかもしれない。
「次からは、持ち上げる前に聞く」
「それなら合格」
ミレイユは笑った。
剣なら、相手の動きを見てから踏み込むのは当たり前だ。
なのに友達と作業するときには、どうして同じことができなかったのだろう。
私は帰りの廊下で、自分の手のひらを見つめた。力の使い方を間違えないこと。
それは祖父が何度も教えてくれたことだった。




