第50話 婚約者たちの影
週明けの朝、学院には王宮からの使者が訪れていた。
正式な式典の準備について、王族に近い生徒たちへ連絡があるという。
私はそれを、遠い世界の出来事だと思っていた。けれど昼食の席で、セレスティーヌが小さく告げた。
「フェリクス殿下から、次の行事では私が隣に立つようにと」
「それは婚約者として普通のことでは?」とノエル。
「ええ。ただ……昨日の席次の件について、私の振る舞いが問題だったと」
セレスティーヌの声が細くなる。
私は思わず椅子から立ち上がりかけた。ミレイユが私の腕を押さえる。
「落ち着いて。まず、何を言われたのか聞きましょう」
セレスティーヌは、殿下の側近から届いた伝言を見せてくれた。『騒ぎを大きくしたことを慎むように』。短い一文だった。
「騒ぎを大きくしたのは、誰なの?」
私が呟くと、フィオナが首を振った。
「今は事実だけを整理しましょう。主催者の席次表は変更されていない。ヴィクトリア様が訂正した。セレスティーヌは何も要求していない」
「でも、私が皆さんに相談したから……」
「相談してよかったのよ」とミレイユ。
私たちは放課後、ヴィクトリア様へ手紙を書いた。誰かを告発する文章ではなく、当日の経緯と、セレスティーヌが困っていることを簡潔に伝えるものだ。
文面は何度も読み返し、事実と推測を分けた。
返事は翌日の夕方に届いた。
『事情は承知しました。あなた方が正しい手続きを踏んだことも確認しています。今はご自分の学びを大切に。必要な場面では私から話をします』
セレスティーヌはその手紙を両手で持ち、長い息を吐いた。
「少しだけ、安心しました」
「よかった」
私は笑ったが、胸の奥の引っかかりは消えなかった。ヴィクトリア様が動かなければ、私たちは自分たちを守れなかったのだろうか。
その夜、ルシアンとアレクシスに事情を話した。アレクシスは眉を寄せた。
「殿下は、何をそんなに急いでいるんだ」
「分からない。けれど、王族の婚約は本人たちだけの問題ではない」とルシアン。「だからこそ、周りが勝手に答えを出してはいけない」
「じゃあ、俺たちは何をする?」
「彼女が学び、選べる場所を守る。今はそれが大事だと思う」
アレクシスは拳を緩め、窓の外へ目を向けた。
「……分かってる。俺が腹を立てたところで、ベルクハルト嬢の立場が楽になるわけじゃない」
いつもの快活な声ではなかった。
「ただ、あの人が自分を責めてばかりいるのを見ると、どうにも落ち着かないんだ」
ルシアンは彼を見たが、すぐには何も言わなかった。
「同情かもしれない」とアレクシスは続けた。「でも、訓練場で笑ってた顔も覚えてる。あの人には、ああいうふうに笑っていてほしい」
口にしてから、彼はわずかに目を伏せた。
第二王子の婚約者。軽々しく踏み込んでよい相手ではない。そのことは、誰よりも分かっているつもりだった。
「だったら、彼女が自分で選べるように支えよう」とルシアンが言った。
「ああ。俺の気持ちで、あの人の道を狭くするつもりはない」
アレクシスは静かに頷いた。私はその横顔に、これまで見たことのない慎重さを感じた。
私は頷いた。
窓の外には秋めいた夜風が吹き、学院の塔の鐘が静かに響いていた。王都に来たころ、私は平穏とは何も起こらないことだと思っていた。今は少し違う。
何かが起きても、戻ってこられる場所があること。それも平穏なのかもしれない。
翌朝、廊下の向こうからセレスティーヌが歩いてきた。背筋を伸ばし、私たちを見つけると小さく手を振る。
その姿に安堵した直後、背後で低い声が響いた。
「セレスティーヌ。少し話がある」
振り返ると、フェリクス第二王子が立っていた。
隣には見覚えのある白い花の胸飾り――イザベラの姿もあった。
セレスティーヌの手が、ゆっくりと下りる。
私は一歩踏み出しかけ、足を止めた。
剣では解決できないことが、また始まろうとしていた。




