第49話 お茶の温度と残された疲れ
翌朝、セレスティーヌは授業に少し遅れてきた。
顔色が悪い。私は席を詰めて隣に座らせた。
「眠れなかった?」
「はい。昨日のことを何度も思い出してしまって」
「それは、そうだよね」
簡単に『気にしないで』と言いそうになって、私は言葉を飲み込んだ。
私が気にしないでいられることでも、彼女には違う。
昼休み、私たちは中庭のベンチで温かいお茶を飲んだ。ノエルが薬草を少しだけ混ぜた、香りの柔らかなものだ。
「眠れないときは、魔力の回復も遅くなります」とノエル。「無理な練習はしないでくださいね」
セレスティーヌは頷いた。
「昨日は魔法を使っていないのに、ひどく疲れました」
「それなら今日は練習を休みましょう」とノエル。
「でも、次の実技評価まで時間がありません」
「休むことも準備の一部です」
ノエルはいつになくきっぱりと言った。薬草に詳しい彼女は、疲れた身体が魔力の制御を乱すことをよく知っている。
「《聖晶》は繊細な形を保つ魔法です。眠れなかった翌日に無理をすると、また腕を痛めるかもしれません」
セレスティーヌは少し迷ってから、カップを両手で包んだ。
「……今日は、休む練習をします」
その言い方がおかしくて、私たちはそっと笑った。
「気を張るのも、疲れるからね」とミレイユ。
フィオナは商会の話をした。大事な商談で名前を間違えられた人が、その場では笑って済ませても、後から長く傷ついていたことがあるという。
「人の扱いって、形に出るのよ。だから形を正すのも大切。でも、正したから心まで元に戻るわけじゃない」
私はその言葉を覚えておこうと思った。
放課後、アレクシスが訓練場で私たちを見つけた。
「セレスティーヌ、昨日は大変だったな」
彼女は少し驚いたが、丁寧に頭を下げた。
「ご心配をおかけしました」
「謝る必要はない。……俺は、何かあれば前に出ることしか思いつかないけど」
アレクシスは言いかけて、頭を掻いた。
「昨日は皆のほうが、ずっと上手く守ったと思う」
セレスティーヌは、初めて少し自然に笑った。
「前に出てくださる方がいるのも、心強いと思います」
「そうか。なら、いざというときは任せてくれ」
そこで会話は終わった。けれど二人の間に、昨日までとは少し違う信頼が生まれたように見えた。私は何も言わなかった。セレスティーヌにはまだ婚約者がいる。
軽々しくからかうことではない。
夕方、ルシアンと並んで図書室へ向かう途中、私はふと尋ねた。
「私も、誰かに心配をかけてるのかな」
「もちろん」
「即答しないでよ」
「君が無理をすると、僕は心配する。昔から」
私は歩き出すきっかけを失った。廊下の向こうでは、誰かが本を閉じる音がする。いつもの学院の夕方なのに、ルシアンの一言だけが妙にはっきり聞こえた。
「私、そんなに無茶ばかりしてた?」
「小さい頃、木の上の巣を見ようとして落ちかけたことがあっただろう」
「それは……一回だけ」
「白銀の森で、足跡を追いすぎたことも」
「二回目は数えないで」
ルシアンは笑った。それから、少し真面目な顔に戻る。
「君が強いことは知っている。でも、強い人は心配されなくていいわけじゃない」
胸の奥が温かくなった。私は何か気の利いた返事を探したけれど、結局「ありがとう」としか言えなかった。
足が止まった。彼の言葉はいつも静かなのに、時々、胸の奥へまっすぐ届く。
「……じゃあ、もう少し慎重になる」
「それは嬉しいな」
彼は笑った。私はその笑顔を見て、なぜか目を逸らした。
寮へ戻ると、机に温室の花を押した小さなしおりが置かれていた。
ヴィクトリア様からの贈り物で、『強さにはいろいろな形があります』と書かれている。
私はしおりを本に挟んだ。
昨日、セレスティーヌが『嫌だ』と言えたことも、私たちが手順を守ったことも、たしかに小さな強さだったのだ。




