第48話 誰かの席を守るために
貴族会館での交流会が終盤に差しかかったころ、思いがけない問題が起きた。
セレスティーヌが席を外した短い間に、彼女の名札が別の卓へ移されていたのだ。
主賓に近い席から、柱の陰の目立たない席へ。係の者は「変更の指示があった」と言うばかりだった。
「誰の指示ですか」
係の青年は胸元の徽章を指で押さえ、困り果てた様子だった。
悪意を持って動かしたのか、それとも誰かに命じられただけなのか、私には分からない。
ミレイユは彼を責める代わりに、落ち着いた声で尋ね直した。
「元の席次表と、変更を受けた時刻を確認していただけますか。あなたのお名前も、念のため控えさせてください」
フィオナはその横で、別の係に主催者への連絡を頼んだ。二人の動きは驚くほど滑らかだった。
私は足が速いことを自慢にしていたけれど、こういうとき必要なのは、先に走ることではないらしい。
ミレイユが尋ねても、係は困ったように視線を泳がせる。
私は腹が立った。たかが席、と思う人もいるだろう。
でも、ここでは席がその人への扱いを示す。誰かが勝手に変えていいものではない。
「私が元に戻してくる」
「待って」とフィオナが腕をつかんだ。「勝手に動かしたら、こちらが無作法になる。まず主催者に確認しましょう」
ミレイユが頷く。
「私が受付の記録を確認するわ。フィオナは係の方と話して。エレナはセレスティーヌのそばにいて」
「分かった」
セレスティーヌは事情を知ると、悲しそうに微笑んだ。
「私が移れば済むことです」
「済まないよ」
思わず強く言ってしまい、私は声を落とした。
「あなたが嫌だと思ったなら、嫌だって言っていい。私たちも、ちゃんと手続きを踏むから」
セレスティーヌは俯いたまま、しばらく答えなかった。
そこへヴィクトリア様が現れた。ミレイユたちが確認したところ、主催者の席次表に変更はなかったという。
「手違いがあったようね」
ヴィクトリア様は係を責め立てず、しかしはっきりと告げた。
「正式な席次に戻してください。今後、変更が必要なら私か主催者に確認を」
その場にいた人々が頭を下げ、名札は元の場所へ戻された。
私はようやく息を吐いた。力ずくで動かさなくても、守れるものがある。
けれど、セレスティーヌはまだ硬い表情をしていた。
「皆さんにご迷惑をおかけしました」
「迷惑ではないわ」とミレイユ。「席次の間違いを正しただけ」
「それに、商会なら取引先の名前を勝手に動かしたら大問題よ」とフィオナ。
ノエルも小さく頷く。
「誰も、あなたが我慢することを望んでいません」
セレスティーヌは目を伏せた。少しして、静かに言った。
「……ありがとうございます。私も、嫌だと思いました」
その声は大きくなかった。それでも、私は思わず彼女を見た。
セレスティーヌは普段、相手を不快にさせない言葉を選ぶ。
自分がどう感じたかを話すのは、いつも最後だった。だからこそ、たった一言が胸に響いた。
「嫌だったなら、嫌だったでいいんだよ」
私が言うと、彼女は頷いた。
「これまでは、私が我慢すれば誰も困らないと思っていました。でも、そうすると皆さんまで、私のために心配してくださるのですね」
「心配するのは、友達だからよ」
ミレイユが当然のように言う。ノエルは彼女の手に温かいカップを渡し、フィオナはもう一度席次表を確認した。
それぞれのやり方で、私たちは同じ場所を守っていた。
その言葉を聞いたとき、私は胸が熱くなった。
交流会の帰り際、ヴィクトリア様が私たちを呼び止めた。
「今日のことは、必要な形で記録しておくわ。誰かを疑うためではなく、同じことを繰り返さないために」
私たちは頷いた。
広間の奥では、イザベラがこちらを見ていた。
彼女が関わっていたのかは分からない。決めつけてはいけないと、私は自分に言い聞かせた。
外に出ると、夜風が火照った頬を冷やした。ルシアンが私に外套を差し出す。
「今日はよく我慢したね」
「私、そんなに顔に出てた?」
「少し」
「少し、ってどれくらい?」
「剣を抜く直前くらい」
私は外套の襟に顔を埋めた。ルシアンが小さく笑った。




