第45話 言えなかった一言
ヴィクトリア様のお茶会から数日が過ぎても、セレスティーヌはときどき考え込むようになった。
昼食の席で、ミレイユが新しい焼き菓子の話をしても、返事が半拍遅れる。
本人は笑っているつもりなのだろうけれど、私は気付いてしまった。
「セレスティーヌ、何かあった?」
「いいえ。少し寝不足なだけです」
ミレイユが目だけで私に合図を送った。無理に聞き出さないで、という意味だと思う。彼女はセレスティーヌと学院に入る前から親しかった。
私よりずっと長く、彼女の笑顔の種類を知っている。
食堂には焼きたてのパンの香りが満ちていた。隣の卓では上級生たちが試験の話で盛り上がっている。いつもならセレスティーヌも、その輪の賑やかさに小さく笑うはずだった。
今日は、スープの表面に映る窓の光ばかり見ている。
私は何か面白い話をしようとして、やめた。笑わせることと、安心させることは同じではない気がしたからだ。
その答えを聞いて、私はそれ以上尋ねなかった。人には話したくないこともある。そう思ったのだ。
けれど放課後、図書室の窓際で彼女がひとり手紙を握りしめているのを見つけた。私の足音に気付くと、急いで封筒を伏せる。
「ごめん。邪魔だった?」
「そんなことは……」
言いかけて、セレスティーヌは黙った。
私は向かいの椅子に座り、机の木目を眺めた。沈黙が長くなるほど、何か言わなければと焦る。でも、剣の稽古で相手が動くまで待つのと、友達の言葉を待つのは違う。
「私ね、助けてほしいって言うのが苦手なの」
彼女が先に口を開いた。
「婚約者として、伯爵家の娘として、きちんとしていなければと思うほど、弱いところを見せられなくなるのです」
「弱いところがあっても、いいと思う」
「エレナさんは強いから、そう言えるのではありませんか?」
思いがけない言葉に、私は息を詰めた。
強い。たしかに剣ではそうかもしれない。でも、先日の荷車の事故で周りを見失ったことも、北方の噂に怯えていることも、誰にも見せたくない自分の弱さだ。
「……私も怖いよ。大事な人が傷つくかもしれないと思うと、すぐ走り出したくなる。走っていけば解決するって思いたいだけなのかも」
「王都の荷車のときも?」
「うん。助けられてよかったけれど、あのとき誰かに声をかけるのが少し遅れた。ルシアンにも、後で注意された」
私は自分の指を見た。剣を握るために硬くなった指先だ。努力して得た強さは誇らしい。でも、それで何でもできると勘違いしてしまうなら、強さはきっと危うい。
「セレスティーヌの《聖晶》も同じだと思う。盾があるからって、ひとりで全部受け止めなくていい」
彼女は長い間黙っていた。やがて、伏せていた手紙から指を離した。
「……その言葉を、誰かに言ってほしかったのかもしれません」
私は答えず、彼女が続きを話せるように待った。
セレスティーヌは驚いた顔をした。
「ごめんなさい。あなたを傷つけるつもりでは」
「ううん。私も、あなたの気持ちを分かったつもりになってた」
窓の外では風が木の枝を揺らし、夕陽が本の背を橙色に染めている。
「何があったか、今すぐ言わなくていい。でも、一緒にいたいときは言ってね」
しばらくして、セレスティーヌが封筒を裏返した。差出人は第二王子の側近だった。次の公的な席での振る舞いについて、細かな注意が書かれているという。
「失敗すれば、また殿下のお顔に泥を塗ったと言われます」
「失敗しないように準備するのは手伝える。でも、理不尽な言葉まで正しいと思わなくていい」
私の言い方は、きっと洗練されていない。けれどセレスティーヌは、今度は隠さず笑った。
「ありがとう。……今度、リボンの結び方を教えてくださる?」
「えっ。私が?」
「ミレイユさんに頼む前に、あなたと練習してみたいのです」
私は苦笑した。剣帯なら得意なのに、髪のリボンはあまり自信がない。
それでも、彼女と一緒に失敗する時間なら、悪くないと思った。




