第44話 北から届いた数字
茶会の帰り道、私は石畳の模様ばかり見ていた。
イザベラの言葉も気になったが、それ以上に、白銀の森の名前が頭から離れない。
「家に手紙を書こうと思う」
私が言うと、ノエルが頷いた。
「不安なときは、確認できることから確認するのがいいと思います」
「そうね。商会の輸送路も調べてみるわ」とフィオナ。「ただし、数字が増えた理由まで分かるとは限らないけれど」
寮に戻ると、私はすぐに便箋を広げた。『父様、母様、皆様お変わりありませんか』。書き始めてから、心配していると伝えることがかえって心配をかけるのでは、と筆が止まる。
そこへルシアンが図書室から戻ってきた。事情を話すと、彼は机の端に腰掛けず、きちんと椅子を引いて向かいに座った。
「知りたいことを分けて書いてみよう。森の巡回が増えたか。領民の暮らしに影響があるか。あと、君が心配していること」
「最後のは書かなくても……」
「不安を隠すのは、君の悪い癖だよ」
「ルシアンだって、心配事を全部話してくれるわけじゃないでしょう?」
言い返すと、彼は少し困ったように目を伏せた。
「それは……そうだね。僕も人のことは言えない」
珍しく素直な返事に、私は笑ってしまった。彼の前では、言い負かそうとしても大抵うまくいかない。けれど今は、勝ち負けを決める話ではなかった。
「じゃあ、お互いに少しずつ練習しよう。心配なことを、ちゃんと話す練習」
「うん。約束する」
ルシアンの返事は静かだった。私は便箋の最初の一行を書き直した。『父様、白銀の森のことが心配です』。たったそれだけなのに、少し息がしやすくなった。
「君の家族なら、隠されるより正直に言われたほうが安心すると思うよ」
私は彼を見た。五歳のころから私の家に遊びに来ていたルシアンは、私が言葉を飲み込む癖まで知っている。
「じゃあ、ちゃんと書く」
翌日の歴史の授業では、王国北部の地図が黒板に掛けられていた。グラウス山脈からノルディア、リーヴェルへと伸びる道。私は見慣れた地名を目で追った。
「北方の街道は、軍事だけでなく薬草や鉱石の運搬にも重要だ」
教官の説明に、フィオナが熱心に書き込んでいる。隣のノエルも薬草の産地をメモした。ひとつの異変が、いろいろな人の生活につながっている。
そんな当たり前のことを、王都に来て初めて実感した。
放課後、フィオナは商会の記録を見せてくれた。
「北部の護衛費が少し上がっているわ。けれど、魔物だけが原因とは限らない。雨で街道が傷んだ可能性もあるから」
「数字って、難しいね」
「数字が難しいんじゃなくて、数字だけで答えを決めるのが危険なの」
「去年と比べて、どれくらい違うの?」
「護衛費の上昇だけなら、まだ大きな異常とは言えないわ。街道工事や燃料の値段でも変わるから。ただ、複数の支店で同じ傾向が出ているのは気になる」
フィオナは帳面の端に小さな印をつけた。西のグランフェルトと東のミレシア、それぞれの商会の話も交えながら、輸送路が一本止まれば薬草も布地も遅れると教えてくれた。
「商人は戦うのが仕事じゃない。でも、物を届けられなくなると、困る人がいるの」
その横でノエルが頷いた。
「北の薬草は、学院の医務室でも使います」
私は地図の上に伸びる道を見つめた。一本の細い線が、こんなにも多くの人につながっている。
私は素直に頷いた。
その夜、リーヴェルからの返事より先に、祖母マリアンヌの短い伝言が届いた。
『心配は不要。剣の手入れと睡眠を怠らないこと』。
「祖母様らしい……」
安心して笑った直後、私は便箋の余白に気付いた。
『心配は不要』と書かれているのに、『異変はない』とは書かれていない。
胸に小さな棘が残る。それでも今の私にできるのは、学院で学び、確かな情報を待つことだった。




