第41話 招待状と薄紫のリボン
ヴィクトリア様からの招待状を受け取った翌朝、私は制服の襟元を三度も直していた。
「エレナ、襟はもう真っすぐだよ」
廊下で待っていたルシアンが、少しだけ笑う。
「でも、ヴィクトリア様のお茶会だよ? 昔、私がナイフとフォークを逆に持ったとき、三日間も練習に付き合ってくださった方だもの」
「そのとき君は、フォークの握り方が短剣に似ていると言っていたね」
「忘れてください」
私は両手で頬を押さえた。あの頃のヴィクトリア様は、まだ王太子殿下の婚約者として王宮に出入りし始めたばかりだったのに、辺境から来た私のために何度も時間を割いてくださった。
ナプキンの置き方、会話の間合い、失敗したときの謝り方。どれも剣の型より覚えるのが難しかった。
「君が失敗したとき、あの方は一度も笑わなかっただろう」
「そうなの。だから余計に申し訳なくて」
「なら、今度は成長したところを見せればいい」
ルシアンはそう言うと、私の襟元に視線を落とした。
「ただし、もう触らないほうがいい。直しすぎて、今度は曲がりそうだ」
私は慌てて手を引っ込めた。
彼の笑い声は低く、朝の回廊にやさしく響いた。
窓から射す光の中で、ルシアンの紺色の髪が少し青く見える。
三年前には私より背が低かったのに、今では見上げなければ目が合わない。
そんな当たり前の変化が、なぜか落ち着かなかった。
招待状には、王宮ではなく公爵家の王都別邸にある小さな温室で、と書かれていた。
同行者は私のほかに、セレスティーヌとミレイユ。ノエルとフィオナも後から合流するらしい。
正式な宮廷行事ではないと知り、私は少し胸をなで下ろした。
「北方の件が気になる?」
ルシアンが私の手元の封筒を見た。
「うん。父様の領地に何かあったのかな。手紙ではみんな元気だって言っていたけれど」
「王太子殿下の婚約者が知っている情報なら、軽い話ではないかもしれない。ただ、今の段階で決めつけないほうがいい」
「分かってる。……たぶん」
彼は私の答えに眉を上げたが、追及しなかった。
午後、女子寮の談話室ではミレイユが小さな箱を開いていた。中には薄紫のリボンが収められている。
「髪飾りが必要だと思って。派手すぎず、でも茶会の席で沈まない色よ」
「ありがとう。でも、そんなに気を遣わせてしまって」
「いいの。セレスティーヌにも同じ色の飾りを用意したの。お揃いなら、少しは緊張がほぐれるでしょう?」
セレスティーヌは指先でリボンをなぞった。
第二王子の婚約者として茶会に招かれることには慣れているはずなのに、表情は硬い。
「ヴィクトリア様は怖い方ではないよ」
私が言うと、彼女は小さく笑った。
「ええ。怖いのは、そこで何を言われるかを考えてしまう自分のほうです」
その言葉に、私は返事を探した。剣の勝負なら、間合いを測って踏み込めばいい。
でも、心の中で怯えている友達には、どこから近づけばいいのだろう。
「じゃあ、一緒に行こう。怖い話が出ても、ひとりにはしない
「エレナさんは、いつもそう言ってくださいますね」
「そうかな」
「ええ。けれど、私が言葉にできないときまで、代わりに答えようとはなさらない」
褒められたのか分からず、私は首を傾げた。ミレイユがリボンの端を整えながら言う。
「それは大事なことよ。守ることと、相手の声を奪うことは違うもの」
私はその言葉を覚えておこうと思った。剣を構えるとき、私はつい相手より先に動いてしまう。
友達と向き合うときも、同じ失敗をしているのかもしれない。
「じゃあ、もし私が先走ったら止めてね」
「もちろん」
ミレイユの返事があまりに早くて、全員が笑った。」
セレスティーヌは驚いたように瞬き、それから深く頷いた。
茶会の前日、寮の窓から見える王都は夕靄に包まれていた。
市場通りの事故は収まり、街にはいつもの灯りが戻っている。
私はリボンを机に置き、故郷から届いたリリアの手紙を読み返した。『姉様、剣は毎日振っていますか』。最後まで剣の話だった。
「平穏な学院生活、まだ諦めてないからね」
独り言に答えるように、窓の外で鐘が鳴った。
けれど、招待状の『北方』という二文字は、夜になっても胸の片隅から消えなかった。




