第39話 目立たない英雄の難しさ
荷車が止まった後、通りには役人と衛兵が駆けつけた。
御者は青い顔で何度も頭を下げ、商人たちは破損した荷物を数え始める。
「けが人は?」
ノエルが老人の膝を診ながら答えた。
「擦り傷が数人。大きなけがはなさそうです。ただ、念のため医師に診てもらってください」
私はほっとした。だが、肩を動かすと痛みが走る。
「エレナ、隠さない」とルシアン。
「ちょっとぶつけただけだよ」
「その『ちょっと』が信用できない」
彼は怒っているのではなく、怖がっているようだった。私は初めて、助けられる側の気持ちを想像した。
セレスティーヌも顔色が悪い。小さな結晶を二度作っただけで、魔力をかなり消耗したのだ。
「私がもっと強ければ……」
「最後の破片を止めたのは君だよ」とアレクシス。「あれが飛んでいたら、避難してた人に当たったかもしれない」
「でも、盾は壊れてしまいました」
「壊れるまで役目を果たした。それでいいだろ」
彼女はしばらく黙り、やがて小さく頷いた。
衛兵の一人は落ち着いた声で、私たちに順番に話を聞いた。
私は自分が見たことと、推測したことを分けて説明しようと努めた。
「車輪の軸から音がしていました。でも、なぜ壊れたのかは分かりません」
「気づいた時刻は?」
「坂に入る少し前です。正確な時刻は……」
「広場の鐘が鳴った直後よ」とフィオナが補った。
衛兵は頷き、帳面へ記した。フィオナが運搬伝票を示すと、御者は目を伏せた。
「止めるべきだとは思った。でも、遅れたら代金を引くと言われて……」
その言葉に、胸が痛んだ。危ないと分かっていても、立ち止まれない人がいる。
私なら剣を抜いて終わりにしたいと思うかもしれない。でも、剣では直せない事情が確かにあるのだ。
「まずは怪我人を診てもらいましょう」とノエルが静かに言った。
衛兵は医師の手配を命じた。責任を決めることと、目の前の人を助けること。
どちらも大切で、順番を間違えてはいけないのだと感じた。
衛兵から事情を聞かれると、フィオナが運搬記録を説明し、御者は軸受けの異常を途中で感じていたと打ち明けた。納品を急がされ、点検のために止まれなかったらしい。
「誰が急がせたの?」
私の問いに、御者は困った顔をした。
「伝票には依頼主の印がある。だが俺は、その先のことは知らない」
印は擦れて読みにくかった。古い星形の模様が、紙の端に残っている。
私は職人街の倉庫で見た刻印を思い出した。でも、同じものかどうかは分からない。
似ているだけで決めつけるのは、先日学んだ失敗の繰り返しだ。
「これは衛兵さんに預けよう」
ルシアンが頷いた。
学院へ戻る道で、アレクシスが笑った。
「さて、平穏な休日だったな」
「どこが!」
私が叫ぶと、皆が笑った。セレスティーヌも、疲れた顔のまま笑っていた。
帰り道、セレスティーヌは何度も手を開いたり閉じたりしていた。
魔力を使いすぎたあと特有の、指先の冷えがあるらしい。
ノエルが温かい飲み物を勧め、ミレイユが歩幅を合わせる。
「私、もっと長く盾を保てたらよかったのに」
「その話はさっきもしただろ」とアレクシス。
「ええ。でも……」
「今日、君が止めた破片を見た。あれが誰かに当たっていたらと思うと、ぞっとする。だから、礼を言わせてくれ」
セレスティーヌは驚いて彼を見た。
「こちらこそ。前に立ってくださって、ありがとうございました」
二人は少し照れたように笑った。それは恋人同士のような親しさではなく、同じ危険を越えた仲間の信頼だった。
私はその隣で、ルシアンに包帯を巻き直してもらった。
「痛い?」
「少し」
「少し、ね」
「……正直に言うと、けっこう」
「最初からそう言って」
彼の指は丁寧で、怒っているようでいて優しかった。私はもう、ごまかさないことにした。
その夜、私はリリアへの手紙を書いた。『お土産は無事に買えたよ。王都では、剣を抜かなくても助けられることがあると知りました』。
最後の一行を考えていると、肩の包帯が少し引きつれた。
誰かを守れた喜びと、心配をかけた申し訳なさ。
どちらも本物だった。




