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辺境子爵令嬢は平穏に暮らしたい ~剣と魔法の才能を隠して、普通の学院生活を送るはずでした~  作者: EA
第一部「王立学院編」

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第38話 六人の手で守る道

「馬を傷つけずに止める」


 ルシアンは短く言い、風の流れを指で確かめた。強すぎる風は馬を驚かせる。弱すぎれば荷車に届かない。


 心臓がうるさいほど鳴っていた。荷車の軋む音、馬の荒い息、避難する人々の足音が一度に押し寄せる。

 私は深く息を吸い、祖父に教わった通り、見るべきものを一つずつ選んだ。


 車体の傾き。馬の脚の向き。路肩の幅。砂袋の数。


 そして、仲間たちの位置。


「ルシアン、馬の右側は空けて。逃げ道がないと余計に暴れる!」

「分かった。風は正面じゃなくて斜めから当てる」

「アレクシス、袋は一直線じゃなく、段々に置いて!」

「先生の授業の応用だな!」


 彼の声は明るかったが、額には汗が光っていた。金剛で強化できるのは、あくまで自分の体や装備だ。

 荷車の重さそのものが消えるわけではない。


 私は剣の柄へ伸びかけた手を止めた。刃で何かを断ち切れば、一瞬だけ問題が片付くかもしれない。

 でも、そのあと飛び散るものまで守れる自信はなかった。


 今必要なのは、強い一撃ではない。皆が無事に帰れる道を作ることだ。


 私は路肩に走り、石畳の継ぎ目を見た。坂の終わりには浅い排水溝がある。

 水を流せば車輪の動きをわずかに変えられるが、滑らせては逆効果だ。


「水は使わない。砂袋で進路を作る!」

「了解!」とアレクシス。


 彼は袋を斜めに並べ、衝撃を一点で受けないようにした。

 金剛で腕を守っていても、重い荷車を正面から受ければ骨に響く。先生の教えが頭をよぎる。


 フィオナは店主たちへ声をかけ、通りの戸を閉めさせた。

 ミレイユは避難する人を細い路地へ誘導し、ノエルは転んだ老人の膝を診ている。


 セレスティーヌは私の隣に立った。


「小さな盾なら、もう一枚だけ作れます」

「それで十分。飛んでくる金具を止めて」

「……はい!」


 ルシアンの風が馬の前方に柔らかな抵抗を作る。急に押し返さず、息を合わせるように速度を落とす。

 御者がそれに気づき、手綱を緩めて馬を落ち着かせた。


 私は荷車の側面へ回り、木の支柱に手をかけた。力任せに押すのではなく、揺れが戻る瞬間を待つ。

 祖父の言葉が蘇った。『相手の力と喧嘩するな。流れを読め』。


「今!」


 私は肩を入れた。車体が砂袋の列へ寄り、車輪が一つ、深く沈む。アレクシスが横から支えた。


「重っ……! エレナ、あと少し!」

「分かってる!」


 最後の箱が跳ね上がった。金具が雨のように散る。


 セレスティーヌの聖晶が、路地へ飛ぶ破片の前に咲いた。小さな盾が甲高い音を立てて砕ける。

 彼女はよろめいたが、ミレイユが肩を抱えた。


 止まる直前、車体がもう一度跳ねた。私は咄嗟に支柱を押さえ直したが、腕に痺れが走る。

 アレクシスが歯を食いしばり、踏み出した足を土に沈めた。


「あと……半歩!」

「押すんじゃない、揺れを待って!」とルシアン。


 彼の風が車体の上を抜け、馬のたてがみを揺らす。御者が震える声で馬に呼びかけた。

 砂袋が一つ裂け、乾いた砂が白い煙のように舞った。


 次の瞬間、車輪の回転が止まった。


 私はすぐには手を離せなかった。離した途端にまた動き出す気がしたからだ。

 ルシアンが近づき、車輪の位置を確かめる。


「もう大丈夫。荷重が砂袋へ移ってる」

「本当に?」

「うん。だから、少しずつ離して」


 言われた通りに手を離すと、指が震えていた。怖くなかったわけじゃない。怖いと思う暇がなかっただけだ。


 車輪が砂に食い込み、荷車は大きく軋んで止まった。


 誰も声を出さなかった。やがて馬が一度、長く息を吐く。


「……止まった?」と私。

「止まったよ」とルシアン。


 通りのどこかから拍手が起きた。私はそれを聞いて初めて、膝が震えていることに気づいた。


 肩が痛い。手のひらには木のささくれが刺さっていた。それでも、子どもも馬も無事だった。


「よかった」


 呟くと、ルシアンが私の手をそっと取った。


「本当に。……でも、次は君も無事でいて」


 その声がいつもより近く感じられて、私は返事を忘れた。


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