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辺境子爵令嬢は平穏に暮らしたい ~剣と魔法の才能を隠して、普通の学院生活を送るはずでした~  作者: EA
第一部「王立学院編」

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第36話 車輪のきしむ坂道

 職人街の荷車については、フィオナが商会の窓口に相談してくれた。

 私たちが勝手に調べるより、記録を持つ大人に任せた方が早い。


「荷は金具と布地。市場の修繕用らしいわ」


 彼女は昼休みに帳面を見せた。


「ただ、運搬業者が予定より一日早く出発しているの。理由は確認中」

「一日早いだけなら、問題ないんじゃない?」

「商売では、早すぎる荷物も困るのよ。受け取る倉庫が空いていないことがあるから」


 ミレイユが頷く。私は二人の説明を聞きながら、剣の素振りより複雑だと感じた。


 外出の朝、空は薄く曇っていた。

 昨夜の雨で石畳はところどころ濡れ、屋根の端から雫が落ちている。

 私は靴紐を結び直し、寮の玄関で皆を待った。


「今日は本当に商会の用事だけだからね」とミレイユ。

「分かってる。寄り道しないよ」

「武具店にも?」

「……通りかかったら、窓を見るくらいは」

「それを寄り道と言うの」


 フィオナは書類を入れた鞄を胸に抱え、道順を確認していた。


「荷車の件、商会でも調べてもらってる。でも今日は、こちらから運搬業者に接触しないでね」

「うん。何かあったら衛兵に知らせる」


 ルシアンが私を見た。


「約束だよ」

「そんなに心配しなくても」

「君が『何かあったら』と言うと、たいてい自分で走り出すから」


 言い返せなかった。私は目をそらし、アレクシスの笑い声を聞きながら門を出た。


 その週末、私たちは市場の修繕に使う布の見本を見に行くことになった。

 ミレイユとフィオナが商会の用事を済ませ、私とルシアンは荷物持ち。


 アレクシスは「休みの日にまで訓練の話をするな」と言いながら、結局ついてきた。


 ノエルとセレスティーヌも一緒だった。セレスティーヌは学院へ届ける寄付品の確認を頼まれているという。


 坂の手前で、私は先週の嫌な音を思い出した。


「この辺り、荷車が多いね」

「市場の裏道だから」とフィオナ。「通行規則が変わったのも、坂で事故があったからなの」


 市場の裏道は、表通りよりずっと狭かった。乾いた香草の束が店先に吊るされ、樽を転がす音が壁に反響する。


 荷車の車輪が刻んだ轍には雨水がたまり、子どもたちは水たまりを避けて歩いていた。


「修繕用の布って、どんなもの?」と私。

「店の日よけや荷の覆いに使う丈夫な織物よ」とミレイユ。「雨に強い加工を試しているの」

「剣の鞘にも使える?」

「何でも剣につなげないで」


 いつものやり取りに笑った、その直後だった。


 坂の上で、金属が甲高く鳴った。笑い声が途切れる。

 耳が先に危険を覚え、体が勝手にそちらへ向いた。

 私は剣の試合で相手の踏み込みを読むときのように、音の間隔を数えた。


 一度。二度。三度目は不自然に短い。


 車輪が跳ねている。しかも、荷は重い。


 坂の途中にいる人々は、まだ気づいていない。声を出すなら今しかなかった。


 そのとき、坂の上から馬の荒い息が聞こえた。木の車輪が石畳を打つ音が、不自然に速い。


「下がって!」


 私の声に皆が振り向いた。


 大きな荷車が坂を下ってくる。

 御者は手綱を引いているのに、馬が止まらない。

 後輪の片側がぐらつき、金属の軸受けから火花が散った。


 通りの中央には、買い物袋を抱えた老人と、小さな子どもがいた。


 私は走り出しかけた。けれどルシアンの声が背中に届く。


「エレナ、一人で止めようとしないで!」


 その言葉で、足が一瞬止まった。


 剣で荷車を斬ることならできるかもしれない。

 でも、積み荷が飛べば誰かを傷つける。雷魔法は論外だ。濡れた石畳と金具が多すぎる。


「アレクシス、通りの人を避難させて! フィオナは店の人に知らせて!」

「了解!」

「ルシアン、馬を落ち着かせられる?」

「風を弱く当ててみる。急に止めたら転ぶ」


 ノエルが老人のもとへ走り、ミレイユが子どもの手を取った。セレスティーヌは胸の前で手を組む。


「私の盾は、まだ小さいけれど……」

「小さくていい。人の足元を守って」


 彼女は頷いた。


 坂の上で車輪がもう一度、耳障りな悲鳴を上げた。


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