第33話 職人街の小さな口論
職人街の武具店『鉄鷹亭』では、槌の音が一定のリズムを刻んでいた。
店の奥からは焼けた鉄の匂いが漂い、棚には剣、短槍、革の手袋が整然と並んでいる。
「触る前に店主へ声をかけること」
ルシアンに先回りして言われた。
「分かってるよ。前の武具店でもちゃんとしたでしょう?」
「前は店主が声をかけるより早く、君が刃の反りを説明していた」
「説明しただけだよ」
アレクシスが肩を震わせた。
店主は白い髭の職人で、私が選んだ砥石を見て目を細めた。
「その砥石は初心者には扱いにくいぞ」
「目が細かいので、最後の仕上げに使いたいんです」
「ほう。どんな剣に?」
実家で使っていた練習剣の話を始めたら、つい熱が入った。祖父が刃を寝かせる角度を教えてくれたこと、兄が手入れを怠ると剣が泣くと言ったこと。
店主は途中から嬉しそうに聞いてくれた。
私は砥石の箱を抱えたまま、店内を見回した。刃物の棚は磨かれ、道具の柄には使い込まれた艶がある。奥の工房では火花が飛び、職人が赤い鉄を槌で打っていた。
金属の音は規則正しく、祖父の稽古場を思い出させる。
「お嬢さん、ずいぶん詳しいな」と店主。
「家族に教わったんです。手入れを怠ると、剣は持ち主を裏切るって」
「いい言葉だ。誰に教わった?」
「兄です。祖父はもっと怖くて、手入れを忘れると翌朝の素振りが増えます」
「それは鍛えられたろう」
「はい。おかげで木剣もよく折れました」
店主が笑いかけたところで、奥から荒い声が響いた。空気が一瞬で固くなる。私は棚に砥石を戻し、声のほうを向いた。
けれど、店の隅では若い徒弟が客と揉めていた。
「納品した留め具が曲がっていたんだ!」
「うちの工房では確認しました。運ぶ途中で――」
「責任逃れか!」
声を荒げる客に、徒弟は青ざめる。私は思わず近づいた。
「留め具を見せてもらえますか」
双方がこちらを見た。金具の内側には、強い横向きの力が加わった痕がある。製造時の傷か、運搬中の事故か。見ただけでは決められない。
「ここ、押されたみたいですね。でも原因はまだ分かりません」
「分からないなら口を挟むな」と客が苛立つ。
かっと頬が熱くなった。私は誰かを責めたいわけじゃない。けれど、徒弟が黙り込む姿を見ると、何も言わずにはいられなかった。
「責任を決める前に、運搬の記録を確認しませんか」
客の男は疲れた顔をしていた。怒っているというより、困り果てているようにも見える。徒弟の手は油で汚れ、爪の際には細かな傷があった。
どちらも、いい加減な仕事をしているようには思えなかった。
「修繕の日程が迫ってるんだ。これが使えなければ、うちの職人たちが待たされる」
男が吐き出すように言う。
「それは困りますね」とフィオナ。「だからこそ、原因を先に確かめましょう。工房で作り直すべきなのか、運搬方法を変えるべきなのかで、次の対応が違います」
「……そんな記録があるのか?」
「運送業者の控えが残っていれば、確認できます」
彼女の口調は穏やかだったが、迷いがない。私は少し恥ずかしくなった。剣の傷なら見れば分かると思っていた。けれど、人が怒る理由は表面だけでは分からない。
助けるつもりの言葉で、相手を追い詰めてしまうことだってある。
店主が「まず品を預かろう」と言うと、徒弟は深く息を吐いた。私は彼に何か言いたかったけれど、軽々しい慰めも違う気がした。結局、頷くことしかできなかった。
フィオナが間に入った。
「それなら私が見方をお伝えできます。荷受けの印と封印紐が残っていれば、どこで問題が起きたか絞れますから」
店主も奥から出てきて、改めて品物を預かることになった。口論は収まったが、私は後味の悪さを覚えた。
「余計なことをしたかな」
「助けようとしたのは間違ってない」とルシアン。「ただ、君が剣の傷を見るときと、人の事情を見るときは違う。前者はすぐに分かっても、後者には時間が要る」
言われてみれば、その通りだった。
店を出る前、徒弟が小さく頭を下げた。私は手を振りかけて、今度は静かに会釈した。
通りに戻ると、少し先で荷車が停まっていた。
車輪の軸から、細い金属音が聞こえる。剣の鍔が緩んだときに似た、嫌な音だった。




