↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
辺境子爵令嬢は平穏に暮らしたい ~剣と魔法の才能を隠して、普通の学院生活を送るはずでした~  作者: EA
プロローグ

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
4/114

プロローグ3 セレスティーヌ 王子の婚約者ではない私

第二王子フェリクスの婚約者・セレスティーヌのお話です。

周囲から期待される役割と、本当の自分。

その間で揺れる彼女は、学院生活に何を願っているのでしょうか。

――セレスティーヌ・ベルクハルト――


 鏡の中の私は、きちんと微笑んでいた。


 背筋を伸ばし、肩の力を抜き、視線は相手の目元へ。幼いころから繰り返してきた礼儀作法だ。今日のドレスも、侍女が丁寧に整えてくれた。


「お嬢様、とてもお似合いです」

「ありがとう」


 鏡に映る笑顔は、私が望んだものなのだろうか。


 王宮での小さな茶会。第二王子フェリクス殿下の婚約者として、私は招かれていた。銀の盆に並ぶ菓子は美しく、窓の向こうの庭園には春の花が咲いている。それでも、席に着く前から胸が硬くなっていた。


「ベルクハルト嬢」


 殿下が私を呼んだ。


「学院へ入学だな」

「はい。学問と魔法を学び、少しでもお役に立てるよう努めます」

「役に立つ、か。あまり期待しすぎないことだ」


 殿下は茶器を置き、退屈そうに視線を逸らした。


「君はいつも無難なことしか言わない。婚約者なら、もう少し気の利いた話ができないのか」


 周囲の会話が遠くなった。私は膝の上で指を重ねる。


「申し訳ございません」

「謝れば済むと思っているのも、つまらないところだ」


 言い返せなかった。何を答えても、間違ってしまう気がした。


 茶会の帰り、馬車の窓に王宮の塔が映った。父は仕事で同席できず、母は私の顔色を見て何か言いかけたが、結局『疲れたでしょう』とだけ言った。


「はい、少し」


 それが精一杯だった。


 私は王子の婚約者だ。その立場に誇りを持つべきだと教わってきた。家の名を汚さず、国のために尽くす。それは間違いではないと思う。


 けれど、殿下の前にいると、私はだんだん自分の言葉を失っていく。


 屋敷へ戻ると、家庭教師が魔法の復習を待っていた。私は手を洗い、練習室に入る。


「本日は《聖晶》の形成を試しましょう」


 掌に魔力を集める。淡い銀白色の光が生まれ、小さな板のような結晶へ変わった。透明な縁に細い光が走る。


「……できました」

「維持を」


 一秒、二秒、三秒。息が浅くなる。四秒目で指先が震え、五秒に届いたところで結晶は静かに砕けた。


 床に落ちる前に、光の欠片は消える。


「やはり、これだけですか」

「これだけ、とは言いません。独自魔法を形にできるだけでも稀なことです」

「でも、誰かを守るには小さすぎます」


 先生は答えを急がなかった。


「盾は大きさだけで役目を決めるものではありません。いつ、どこに、誰のために出すか。あなたはまだ、それを学んでいる途中です」


 私は掌を見つめた。ほんの五秒。短い時間だ。守ると決めた相手がいたとして、その人の前に間に合うのだろうか。


「学院では、もっと上手に扱えるようになりたいです」

「それはよい目標です」


 先生は微笑んだ。殿下とは違う、私の言葉を待ってくれる笑顔だった。


 翌日、ミレイユ・ラングフォードから手紙が届いた。


『学院で会えるのが楽しみ。お茶会での礼儀は大切だけれど、食堂では好きなものを好きなだけ食べましょう。私、甘いものを探すのが得意なの』


 思わず笑ってしまった。ミレイユとは以前、王子妃候補に関わる集まりで知り合った。あのころから彼女は、私が緊張しているとさりげなく話題を変えてくれた。


 返事を書こうとして、私は筆を止めた。


『お会いできるのを楽しみにしております』


 これでは、いつもの社交辞令と同じだ。


 新しい紙を取り出した。


『私も楽しみです。実は、学院の食堂で何を頼めばよいか少し不安です。おすすめを教えてください』


 書いてから頬が熱くなった。こんな小さな不安を、手紙に書いたことがなかった。


 数日後、届いた返事にはこうあった。


『まずは一緒に食べましょう。おすすめはその場で決めればいいのよ』


 私はその一行を何度も読み返した。


 誰かと一緒に決める。それは、私には不思議なほど新鮮なことだった。


 その日の午後、私は侍女に頼んで屋敷の小さな温室へ行った。ガラス越しの日差しが白い花の上に落ち、土の匂いが柔らかく立ち上っている。ここは幼いころ、家庭教師の課題に疲れると逃げ込んだ場所だった。


 七歳の私は、王子の婚約者になることが何を意味するのか、よくわかっていなかった。ただ、周囲の大人が喜んでいるから嬉しいのだと思っていた。初めて王宮へ呼ばれた日、母は私の手を強く握り、『笑顔を忘れないで』と言った。


 その言葉を守ろうと、私はずっと笑ってきた。傷ついたときも、言い返したいときも、相手が王族だから仕方ないのだと自分に言い聞かせて。


「お嬢様、少し冷えますよ」


 侍女が肩掛けを差し出した。


「ありがとう。……ねえ、私、学院でうまくやれるかしら」

「うまく、とは?」

「間違えずに話して、誰にも迷惑をかけずに……」


 言いながら、自分でも息苦しくなった。侍女は花の鉢を見つめ、少し考えてから答えた。


「お嬢様が花を育てるとき、すべての葉を同じ向きに揃えますか?」

「いいえ。そんなことをしたら、折れてしまうわ」

「人も、少し似ているのかもしれません」


 私は小さく息を吐いた。温室の隅では、まだ背の低い苗が陽の差すほうへ葉を伸ばしている。誰かに形を決められなくても、光のある場所を探せるのだ。


 入学準備の最後の日、母が部屋へ来た。


「セレスティーヌ、何か心配なことはある?」

「……私、学院で友達を作れるでしょうか」


 母は少し驚いたように目を見開いた。それから私の隣へ腰を下ろす。


「もちろんよ。あなたが相手の話を聞くように、あなたの話を聞いてくれる人もいるはず」

「でも、私には殿下の婚約者という立場が……」

「その立場は大切。でも、それだけがあなたではないわ」


 私は母の手に自分の手を重ねた。掌は温かかった。


「私、名前で呼んでもらえるような友達が欲しいです」


 言ってから、自分でも驚いた。願いを口にした途端、胸の奥に小さな光が灯る。


「素敵な願いね」と母は言った。


 夜、窓辺に立つと、月明かりが机の上を照らしていた。私は掌を開き、小さな《聖晶》を作る。銀白の盾は静かに浮かび、五秒で消えた。


 今は、これだけ。


 けれど、学院で学べば変われるかもしれない。


 王子の婚約者としてではなく、セレスティーヌという一人の少女として笑える場所があるかもしれない。


 眠る前、私は机の上に置いた練習用の魔法石に手を伸ばした。指先に魔力を集めると、淡い銀白の結晶が掌の前に浮かぶ。薄い盾の形になったそれは、息を五つ数えるころには細かな光となって消えた。


「一、二、三、四、五……」


 やはり、長くは保たない。強い衝撃を受ければもっと短いだろう。人を守りたいという願いに、私の力はまだ追いついていない。


 以前、父に相談したことがある。


『才能があるなら磨けばよい。だが、才能の大きさだけでおまえの価値が決まるわけではない』


 そのときは、慰められているのだと思った。けれど今なら、少しだけ違う意味がわかる。私が守りたいのは、王子の婚約者としての体面だけではない。誰かが怖がっていたら、その人のそばに立てる自分でいたい。


 ミレイユの手紙をもう一度開く。『一緒に考えましょう』という言葉が、紙の上で温かく見えた。


「学院で、ちゃんとありがとうって伝えよう」


 声にすると、不思議と胸が軽くなった。結晶が消えたあとにも、掌にはほんの少し温もりが残っていた。


 私は灯りを消し、初めて少しだけ入学の日を待ち遠しく思った。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。

誰かの期待に応えようとするあまり、自分自身の気持ちを後回しにしてしまうセレスティーヌ。

学院での新しい出会いが、彼女にとって少しでも心安らぐものになればと思います。

次回は、明るく頼もしい辺境伯家の嫡男・アレクシスのお話です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。