第30話 教官たちの静かな相談
実技評価の結果が掲示された朝、私はできるだけ人の少ない時間を選んで廊下へ向かった。
けれど、考えることは皆同じだったらしい。掲示板の前にはすでに生徒が集まり、成績を指さして話している。
掲示板の前には、早朝だというのに人垣ができていた。制服の肩越しに白い紙が見え、誰かの歓声とため息が交互に上がる。
私は背伸びをしたが、肝心の自分の名前がなかなか見つからない。
「エレナ、こっち」
ミレイユが人の少ない側へ手招きした。フィオナは掲示板の端から順に名前を追い、ノエルは自分の記録帳と照らし合わせている。
「結果を見る前に、深呼吸しましょう」とセレスティーヌ。
「私が言おうと思ってたのに」
私が笑うと、彼女も笑った。数週間前なら、こんなふうに皆へ声をかけるのをためらっていたかもしれない。私はその変化が嬉しかった。
紙には数字だけでなく、評価項目ごとの短い講評が記されていた。私は自分の欄を見つけ、勝敗の記録より先に『判断』『安全配慮』の文字を探した。
強さを隠せたかどうかではなく、何を学べたかを知りたかった。
「エレナ、こっち!」
ミレイユが手を振った。フィオナが人の隙間から用紙を読み上げる。
「剣術、エレナは上位評価。魔法も高評価。ただし、出力調整に改善の余地あり、だって」
「改善の余地……」
私は少し安心した。完璧という評価ではない。これなら目立たずに済むかもしれない。
「何を安心してるの」とミレイユ。
「だって、普通っぽいでしょう?」
「上位評価が二つ並んでいて、普通とは言わないわよ」
フィオナが笑いをこらえている。
セレスティーヌの評価は「制御の安定性に進歩」。ノエルは「理論理解と補助術式が優秀」。ミレイユは「判断と協調性に優れる」。
フィオナは「状況把握と資材運用が的確」と書かれていた。
「みんな、いいところを見てもらえたんだね」
私が言うと、セレスティーヌが静かに頷いた。
「以前なら、ほかの人の評価と比べて落ち込んでいたと思う。でも今は、自分の次の目標が分かるの」
「次は六秒?」
「いいえ。五秒を何度でも、よ」
彼女が微笑む。私は嬉しくなって、思わず手を握った。
その日の午後、ガルド先生に呼ばれた。
訓練場の脇の小さな執務室には、木剣と古い地図が並んでいた。机の向こうにはリディア先生もいる。
「リーヴェルト」
「はい」
「評価中、お前は二度、自分の力を不自然に抑えたな」
心臓が跳ねた。
「……安全に配慮したつもりです」
「安全を考えるのはよいことだ。だが、相手の技を正しく受け止められなければ意味がない」
リディア先生が穏やかに続ける。
「魔法でも同じよ。あなたは水と風の制御がとても巧み。でも、必要な量まで削ってしまう癖がある」
私は膝の上で手を握った。雷魔法のことは知られていないはずだ。それでも、二人の視線は鋭い。
「何か、特別な指導が必要でしょうか」
「罰ではない」とガルド先生。
「希望者向けの応用実技に、お前とアレクシスを推薦したい。危険なことをさせるつもりはない。力を正しく使う訓練だ」
リディア先生は一枚の用紙を差し出した。
「魔法側はルシアン君にも声をかけているわ。あなた一人に背負わせないためにも、複数人で学んでほしいの」
私は紙を見つめた。特別な指導なんて、目立つに決まっている。
けれど、試験で迷って一本を取られたこと、標識を止めるとき仲間と力を合わせたこと、ルシアンと交わした約束が頭をよぎった。
「……少し、考える時間をください」
「もちろん」
執務室を出ると、ルシアンが廊下で待っていた。
「どうだった?」
「応用実技に誘われた」
「僕も」
「目立っちゃうかな」
「少しは。でも、危ない思いをするよりいい」
私はため息をついた。
「普通の学院生活って、難しいね」
「君の言う普通が何か、まず考えた方がいいかもしれない」
その言葉に、私は反論できなかった。
夕方、学院の鐘が鳴る。遠い北の山並みは薄い雲に隠れていた。
私は用紙を鞄にしまい、ルシアンと並んで歩き出した。目立たないために何もしないのではなく、大切な人を守れるように学ぶ。
それなら、少しくらい予定と違ってもいいのかもしれない。
その頃、教官室ではガルドとリディアが、評価記録を前に顔を見合わせていた。
「アルフレッド様の孫娘か」
「マリアンヌ様の教え子でもあるわ。まだ隠している力がありそうね」
「詮索はせん。ただ、あの子には適切な場が必要だ」
窓の外で、北風が一度だけ強く吹いた。
その日の午後、私は図書室で評価用紙を広げた。ルシアンは向かいの席で書き込みを読み、しばらく黙っていた。
「何か変なところがある?」
「変というより、先生たちはよく見ているなと思って」
「どういうこと?」
「君が途中で剣を引いた理由まで、ちゃんと書かれている」
私は用紙を覗き込んだ。確かに、そこには『安全確認後の判断は適切』とあった。誰にも気づかれていないと思っていた小さな選択を、先生は見ていたのだ。
「……嬉しい」
口にすると、胸の奥がじんわり温かくなった。目立ちたくない。でも、何も見られたくないわけではない。
自分が大事にしたことを分かってもらえるなら、それは怖いだけのことではなかった。
「次の授業、少し楽しみになってきた」
「それはよかった」
「でも、特別扱いは困るよ?」
「そこは先生に相談してみよう」
ルシアンはいつもの穏やかな顔で答えた。私は用紙を丁寧に畳み、鞄の内側へしまった。
新しい授業が、静かに始まろうとしていた。




