第29話 疲れた盾の持ち主
評価が終わった夜、アレクシスは食堂の椅子に深く沈んでいた。
「腕が重い……」
夕食の食堂は、試験を終えた生徒たちの安堵で満ちていた。温かいスープの匂いが漂い、誰かが笑うたび、長椅子がきしむ。
私は皿を持って席を探しながら、窓際に沈んでいるアレクシスを見つけた。
「そんなに疲れたの?」
「盾を出している間は平気だったんだ。でも、終わったら腕が石みたいでさ」
「石みたいなのは魔法だけでいいのにね」
思わず言うと、彼は不満そうに口を尖らせた。ルシアンが隣に座り、落ち着いた声で言う。
「魔力を使っている間は、疲労を感じにくいこともある。後から来る負担を考えないと」
「分かってる。次は時間を決める」
その返事に、私は少し安心した。強い人ほど、無理をしていることに気づくのが遅いのかもしれない。祖父も兄も、怪我を隠して稽古を続けようとして祖母に叱られたことがあった。
「明日は休んでね」
「お前に言われるとはな」
「私も休むよ!」
ルシアンが黙ってこちらを見たので、私は付け加えた。
「……たぶん」
「金剛を使いすぎたんだよ」
ルシアンが呆れたように言う。
「だって、あの盾を支えるには必要だったんだ」
「必要だった分と、見栄で増やした分は別だろう?」
「……少しは見栄もあった」
彼が素直に認めたので、私は思わず笑ってしまった。
アレクシスの固有魔法は強力だ。けれど魔力を消費し、衝撃が体へ伝わる。訓練場では平気な顔をしていたが、今は指先がわずかに震えている。
「明日は休んだ方がいいよ」
「剣の稽古は?」
「休む」
「軽い素振りは?」
「休む」
「じゃあ、見学だけ――」
「それならいいけど、結局参加しそう」
私が言うと、ルシアンが静かに頷いた。
そのとき、セレスティーヌが食堂へ入ってきた。ノエルと一緒で、二人とも資料を抱えている。
「アレクシス様、お怪我はありませんか」
「大丈夫だ。ちょっと腕が重いだけで」
「それは大丈夫とは言わないと思います」
セレスティーヌの声は柔らかかったが、言葉ははっきりしていた。
アレクシスは一瞬驚いたあと、照れくさそうに笑う。
「そうだな。明日は休むよ」
私は二人を見て、なんだか嬉しくなった。以前のセレスティーヌなら、相手の言葉を否定するのをためらったかもしれない。
ただ、彼女の指には婚約者から贈られた指輪がある。その事実を思い出し、私は胸の奥が少し重くなった。誰かの親切が、彼女の新しい悩みにならなければいい。
アレクシスは水差しへ伸ばしかけた手を止め、セレスティーヌの言葉を思い返していた。
怪我をしていないと言えば、皆はそれ以上心配しない。そう考えていたのに、彼女は静かに見抜いてしまった。
「……あの人、意外と頑固だな」
口元に浮かんだ笑みを見て、私は首を傾げた。
「アレクシス、嬉しそうだね」
「そう見えるか? 休めって叱られたばかりなんだけどな」
彼は笑ってごまかしたが、セレスティーヌが席に着くまで、何となく視線を向けていた。
「今日はセレスティーヌ様の聖晶も、四秒で安定していました。無理に延ばさなかったのがよかったです」
「ありがとう、ノエル」
「私も見たかったな」
私が言うと、セレスティーヌは微笑んだ。
「次は、見ていてね」
食堂を出たあと、私はルシアンと中庭を歩いた。夜の空気は冷たく、石畳には月の光が薄く落ちている。
「今日、私、少し考え方が変わったかもしれない」
「どう変わった?」
「強い人が全部やればいいって思ってた。でも、アレクシスだって疲れるし、セレスティーヌの小さな盾にも役割がある。私が一人でやる必要はないんだね」
ルシアンはすぐには答えなかった。
「君がそう思ってくれたなら、僕は嬉しい」
「なんでルシアンが?」
「昔から、君は誰かが困ると先に走り出すから」
十二歳のあの日、魔狼に襲われた村人を助けたことを思い出す。私が飛び出し、ルシアンが後ろから魔法で道を作ってくれた。秘密を守るため、二人で何度も口裏を合わせた。
「……あのときも、そうだったね」
「うん。僕は君を止めたかったわけじゃない。一緒に考えたかったんだ」
私は足を止めた。月明かりの中で、彼の表情は穏やかだった。
「これからは、先に相談する」
「約束?」
「約束」
小指を出しかけて、十六歳にもなって子どもっぽいかと思い直す。けれどルシアンは先に小指を差し出した。
食堂を出ると、廊下は夜の冷気に包まれていた。窓の向こうに灯る寮の明かりが、遠い村の家々のように見える。故郷では、家族の誰かが必ず玄関で待っていた。
学院に来てからも寂しくないと思っていたけれど、ふとした瞬間にその温かさを思い出す。
「家に手紙を書くの?」
ルシアンが訊く。
「うん。試験が終わったって。リリアには、木剣を折らなかったって書かないと」
「それは大事な報告だね」
「笑ってる?」
「少しだけ」
私は彼を睨むふりをして、すぐに笑った。家族に伝えたいことが増えた。友達ができたこと。セレスティーヌが前より笑うようになったこと。
剣の試験で、勝つ以外の大切なことを知ったこと。
「ルシアンは何を書く?」
「僕も、試験のこと。それから……君が元気にしているって」
「おば様、安心するね」
彼は何か言いかけて、やめた。私は気づかず、窓の外の星を数えていた。
私は笑って、それに自分の指を絡めた。




