第23話 勝つより難しいこと
剣術評価の第一課題は、二人一組での模擬戦だった。
ガルド・ヴェルナー教官は訓練場の中央に立ち、鋭い目で私たちを見回した。
試験開始を告げる鐘の音が訓練場を横切った。乾いた砂の上には白い線が引かれ、見学する生徒は柵の向こうへ下がっている。ガルド教官が手にした記録板の端が、風に小さく鳴った。
私は木剣を握り直した。勝つだけなら方法はいくつもある。祖父から教わった踏み込みを使えば、相手が構える前に間合いを詰められる。兄のように重心を崩すこともできる。
でも、相手は同じ一年生だ。全力をぶつけるのは正しいことではない。
「リーヴェルト。何を見ている」
ガルド教官に問われ、私は思わず答えた。
「相手の足です」
「それだけか」
「……自分がどこまで踏み込んでいいかも、考えています」
教官は目を細めたが、叱らなかった。
「それなら、考えた結果を剣で示せ」
その一言が、妙に重く残った。力を抑えることと、相手を侮ることは違う。私は息を整え、正面に立つ生徒へ礼をした。相手も緊張した顔で礼を返す。
その真剣さに、私は少しだけ背筋を伸ばした。
「強い一撃を出せば高評価、というわけではない。相手を見ろ。自分の剣を見ろ。止めるべきところで止めろ」
祖父の声を思い出す。ガルド先生は祖父の元部下だと聞いている。言葉の端々が、どこか似ていた。
私の相手は、同じ学年の男子生徒だった。細身で真面目そうな彼は、私を見ると硬い表情になった。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ」
開始の合図。相手は慎重に間合いを詰め、正面から打ち込んできた。
私は反射的に横へ流そうとして、手を止めた。いつもの力で受けたら、木剣が跳ね上がりすぎるかもしれない。
ほんの一瞬の迷い。
相手の剣先が私の肩に触れた。
「一本!」
審判の声に、周囲がざわつく。
「エレナが取られた?」
アレクシスの声が聞こえた。
私は肩を押さえた。痛みはほとんどない。それより胸の奥が少し冷えた。力を隠そうとして、相手の技を正しく受け止められなかった。
ガルド先生が近づいてくる。
「なぜ止まった」
「……力を入れすぎないように、と思って」
「それはよい。だが、考える場所を間違えたな」
先生は私の木剣を指さした。
「相手が打ち込んだ後で力を抜くのでは遅い。構えた時点で、どの強さで受けるか決めておけ」
「はい」
「勝敗は記録する。だが、今の失点はお前にとって悪くない」
その言葉が意外で、私は顔を上げた。
「相手を傷つけまいとした。ならば、その判断を技術に変えろ」
次の一本では、私は最初から力を抑えた。相手の剣を小さく外し、足を動かして安全な角度へ回る。派手さはない。けれど木剣の先が相手の胴の前で静かに止まった。
「一本」
今度は私の得点だった。
終了後、相手の生徒が深く頭を下げた。
「さっきは、手加減されているのかと思って……」
「ううん。私の判断が遅かったの。一本目、すごくきれいだったよ」
彼は驚いたあと、照れくさそうに笑った。
見学席に戻ると、アレクシスが腕を組んでいた。
「お前、わざと負けたのか?」
「違うよ。考えすぎたの」
「だったら次は俺と――」
「それは違う話!」
ルシアンが水筒を差し出してくれた。
「いい勉強になったね」
「うん。勝つより難しいことがあるんだね」
「そうだね。特に君には」
彼の言い方に、私は少しだけむっとする。
「ルシアン、今、笑った?」
「少し」
でも、彼が本当に安心していることは分かった。
試験の記録用紙には、私の名前の横に「判断の修正が早い」と書かれていた。祖父ならきっと、一本目の失点より、その後の一本を褒めてくれるだろう。
模擬戦が終わっても、胸の鼓動はなかなか静まらなかった。見ていたアレクシスが柵越しに声を張り上げる。
「惜しかったな! 最初の一歩、いつものお前なら――」
「アレクシス」
ルシアンが低い声で止める。
「何だよ」
「今は本人が考えているところ」
私は二人を見て笑った。言われなくても分かっていた。いつもの私なら、最初の一歩で間合いを詰めていた。でも、その選択をしなかったのは私だ。失点したことは悔しい。
それでも、ただ速く動くだけではない剣を覚えたい。
隣で順番を待っていた生徒が、おずおずと話しかけてきた。
「さっき、僕の前の人が転びかけたとき、すぐ剣を引きましたよね」
「え? ああ、うん。危なかったから」
「僕なら、止められたか分かりません。すごいと思いました」
顔が熱くなる。褒められると思っていなかったところを褒められたからだ。
「ありがとう。でも、次はもっと上手にやりたい」
相手は笑って頷いた。勝敗の欄に書かれる数字より、あの笑顔の方が長く心に残りそうだった。
私は用紙を畳み、胸の奥の悔しさをそっとしまった。




