第15話 王太子の視線と北の知らせ
クラウス王太子殿下は、執務机に積まれた報告書を一枚ずつ読み進めていた。
北方ノルディアから届いた文書には、魔物の移動経路に不自然な偏りがあると記されている。
執務室の窓の外では、王宮の庭師たちが秋に向けた花壇の手入れをしていた。季節どおりに花が咲き、人が行き交う光景は穏やかだ。しかし机の上の報告書だけは、そんな日常と別の時間を刻んでいるようだった。
クラウスは文書の余白に、現地で確認された日付と場所を書き写した。魔物が増えたという報告だけなら、厳しい年には珍しくない。だが移動の向きが揃いすぎている。現場の兵が偶然を疑うほどなら、机上の推測で片づけるべきではなかった。
「北方の領主たちに、独自の判断で深入りしないよう伝えてほしい」
彼は側近に静かに命じた。
「討伐を急がせないのですか」
「急ぐべきは情報の共有だ。原因の分からない異変に兵を送り込めば、守るべき村が手薄になる」
側近が頭を下げるのを見届け、クラウスはもう一度地図に目を落とした。冬でもないのに山側から群れが下り、普段は互いに争う種類が同じ場所で確認されたという。
「偶然の重なりにしては、多いな」
クラウスは独り言のように呟いた。
そのとき、扉がノックされた。ヴィクトリアが入ってくる。
「お疲れさまです、クラウス様」
「君が来てくれると助かる。少し休憩にしよう」
茶が運ばれると、ヴィクトリアは学院で聞いた話を伝えた。金剛の盾を持つアレクシスが、辺境の子爵令嬢との試合で一本取られたこと。
「リーヴェルト家のエレナ嬢か」
「ご存じなのですね」
「兄のヴィクトルとは学院時代からの付き合いだ。あの家の者なら、驚きすぎることもない」
殿下は苦笑した。
「むしろ本人は目立ちたがらないだろう」
「そのようです。けれど、力を隠すことと、責任を避けることは違うと伝えました」
「君らしい言葉だ」
ヴィクトリアはしばらく迷ってから、セレスティーヌのことにも触れた。第二王子の婚約者である彼女が、学院で元気をなくしているらしい。
クラウスの表情が引き締まる。
「フェリクスの振る舞いは、私も注意している。ただ、本人の言葉を聞かずに動けば、彼女の立場をかえって悪くする」
「ええ。だからこそ、見守るだけで終わらせたくはありません」
二人の間に、短い沈黙が落ちた。
学院ではそのころ、エレナはルシアンと図書室にいた。セレスティーヌの聖晶について、ノエルが見つけた結界の基礎書を一緒に読んでいたのだ。
「結晶の表面を厚くするより、力の流れを均一にするほうがいいのかな」
「可能性はあるね。ただ、固有魔法だから一般論をそのまま当てはめないほうがいい」
ルシアンは紙に小さな図を描いた。
「まずは一つの形を短時間、安定して保つ。大きくするのはそのあと」
「ルシアンって先生みたい」
「君がすぐ大きくしようとするから、慎重になるんだよ」
「私、そんなに?」
「かなり」
彼の即答に、私は頬を膨らませた。
そこへアレクシスがやってきた。訓練場の予定表を手にしている。
「今週末、空きがある。魔法と剣の合同訓練をしないか?」
「面白そう!」
「エレナ、まだ内容を聞いていないよ」
ルシアンが眉を寄せる。アレクシスは笑いながら紙を広げた。
「護衛役と避難役を分ける訓練だ。誰かを倒すだけが勝ちじゃない」
私はすぐにセレスティーヌの顔を思い浮かべた。
「それなら、みんなにも声をかけたいけど」
「もちろん。本人が望むならな」
ヴィクトリア様の言葉が胸に浮かぶ。相手の意思を確かめること。私はうなずいた。
夕方、学院の掲示板に北方の街道について注意喚起が貼り出された。魔物の出没が増えているため、許可のない遠出を控えるように、と。
私は文字を読み、故郷の白銀の森を思い出した。
「リーヴェルは大丈夫かな」
ルシアンが隣に立つ。
「手紙を書こう。僕も父に聞いてみる」
「うん」
私たちはしばらく掲示板の前に立っていた。
いつもの学院のざわめきの向こうに、遠い北の風の音が聞こえた気がした。




