第13話 金剛の盾と剣の距離
アレクシスとの手合わせが決まった翌日、訓練場にはいつもより多くの生徒が集まっていた。
朝露の残る砂地には、先に稽古を終えた生徒たちの足跡が交差していた。
木剣を打ち合わせる乾いた音が、訓練場の壁に跳ね返る。見物の生徒が一人増えるたび、私は肩のあたりがむずむずした。
「エレナ、緊張してる?」
ルシアンが訊く。
「うん。剣のことじゃなくて、人が多いのが」
「なら、いつもどおり相手の足元だけ見ればいい」
「それ、祖父様も言ってた」
「アルフレッド様に教わったからね」
何でもないように返す彼の口元が少し緩む。私が握りを確かめると、使い慣れた木剣の重さが掌に落ち着いた。
祖父の道場の匂い、父の足さばき、兄が何度も直してくれた構え。大勢の視線より、その記憶のほうがずっと確かだった。
「どうしてこんなに人がいるの?」
私が尋ねると、ルシアンは木剣を差し出しながら答えた。
「アレクシスが『強い相手と試合をする』って言ったらしい」
「強い相手って誰?」
「君だよ」
私は思わず木剣を落としかけた。平穏な学院生活という目標は、どこで道を間違えたのだろう。
ガルド教官が中央に立つ。
「訓練試合だ。急所への攻撃は禁止。魔法は事前申告した範囲に限る。止めの合図には従え」
アレクシスは大盾を構えた。
「俺は金剛で盾と腕を補強する。攻撃魔法は使わない」
「私は剣だけで」
「それで十分だろう」
彼は楽しげに笑った。私は呼吸を整える。祖父なら、相手の得意な場所で勝負をするなと言うだろう。父なら、相手が盾を持つ理由を見ろと言う。
開始の合図。
アレクシスが踏み込む。盾の縁が空気を押し、私の視界を塞いだ。真正面からぶつかれば、木剣が先に折れる。
私は一歩退き、左へ回る。盾が追ってくる。速い。見た目よりずっと軽やかだ。
「逃げるだけか?」
「位置を見てるの!」
言い返した瞬間、盾が鋭く前へ出た。私は地面を蹴って横へ滑る。袖の端が風を受けた。
見物人から声が上がる。けれど私には、彼の足元しか見えていなかった。
金剛は頑丈だ。だからこそ、彼は盾の強さを信じて一瞬だけ体重を預ける。盾を押し出した直後、右足が半歩遅れる。
私は木剣を持ち替え、盾を叩かず、その外側へ剣先を滑らせた。
「そこ!」
踏み込むと同時に、アレクシスは体をひねった。彼もこちらの狙いに気付いていたらしい。剣先は肩をかすめただけだった。
「やるな!」
私は返事をしない。次の一手に集中する。
盾の重さ、彼の呼吸、砂の沈み方。見えているものが少しずつつながっていく。祖父との稽古では当たり前だった感覚だ。でも、学院では目立たないようにしなければ。
――ここで止める?
迷った一瞬に、アレクシスの盾が迫った。私は反射的に身を沈め、彼の前足の外へ回り込む。木剣の先が胸当てに軽く触れた。
「そこまで!」
ガルド教官の声が響く。
場が静まり返った。私は木剣を下ろし、はっとした。
「……あ」
アレクシスは胸当てを見下ろし、次いで大きく笑った。
「負けた! 気持ちのいい負け方だ!」
「ご、ごめん。つい……」
「謝るな。俺が本気で挑んだんだ」
彼は握手を求めた。私が手を差し出すと、少し強く握り返してくる。
ルシアンは観客の後ろで腕を組んでいた。目が合うと、彼は呆れたように微笑む。
「目立たないつもりだったんじゃないの?」
「そのつもりだったんだけど……」
ガルド教官が近づいてきた。
「リーヴェルト。お前の祖父なら、今の二手目で決めただろうな」
「お祖父様をご存じなんですか?」
「知らんわけがあるか」
教官は短く笑ったが、それ以上は言わなかった。
試合の後、アレクシスは手首を冷やしながら、もう一度戦いたいと目を輝かせた。
「今度は盾の動かし方を変える。君も本気で来てくれ」
「本気は……どうかな」
「それを言うと、ますます楽しみになる」
私は空を仰いだ。王都の青空はきれいだった。
きれいだけれど、平穏への道は少し遠ざかった気がした。




