第12話 王都の武具店と小さな勇気
休日の朝、王都セレスティアは市場の呼び声で目を覚ましていた。
学院の正門で待ち合わせたルシアンは、私の腰の剣を見るなり小さくため息をついた。
露店では赤い林檎が山のように積まれ、焼きたての平焼きパンの香りが朝の冷たい空気に混じっていた。石畳を走る荷車の車輪が規則正しく鳴り、遠くの噴水の水音が人々の呼び声の隙間から聞こえる。王都は故郷より何倍も騒がしいのに、不思議と胸が弾んだ。
「こういうお店、全部見て回ったら一日じゃ足りないね」
「一日で済ませるつもりだったの?」
ルシアンが眉を上げる。
「武具店は三軒だけにするつもりだよ」
「三軒“だけ”か」
彼の呆れたような声が、幼いころと同じだった。十三歳で王都へ移った彼が、三年の間にすっかり遠い人になっていたらどうしようと、再会前は少し怖かった。けれどこうして歩いていると、川辺で木剣を振り回していたころの距離が戻ってくる。私はその安心を、何と呼べばいいのかまだ知らなかった。
「今日は買い物だよね」
「もちろん。剣の手入れ道具を買いに行くの」
「剣そのものを増やさない約束は?」
「……良い剣に出会わなければ」
「それは約束になっていないよ」
隣でアレクシスが豪快に笑う。彼は護衛を兼ねて付き合うと言い、なぜか一番楽しそうだった。
グランツ武具店は鍛冶場の熱気が残る通りにあった。入口には盾と訓練剣が吊られ、奥から金槌の規則正しい音が響く。
「お嬢さん、刃を見たいのかい」
店主が尋ねる。私は思わず棚に近づいた。
「この剣、重心が少し手元ですね。鍔の形も使いやすそう」
店主の眉が上がった。
「握っただけで分かるのか」
「祖父に教わったんです。あ、でも今日は砥石を……」
ルシアンが静かに買い物籠を差し出した。そこにはすでに油布と砥石が入っている。
「目的の品は確保したよ」
「さすがルシアン!」
「君が剣の棚から離れなくなると思ったから」
私たちが店を出たときだった。通りの向こうで、積荷を満載した荷車が石畳の継ぎ目に乗り上げた。馬がいななき、車輪の留め具が外れる。
「危ない!」
荷車が斜面を滑るように動き出す。進む先には、店の手伝いらしい小柄な少年が立ち尽くしていた。
私は走った。剣を抜くより先に少年の肩を抱き、壁際へ跳ぶ。荷車の縁が外套をかすめた。
直後、ルシアンの風が荷を押し戻し、アレクシスが車輪の前に盾を差し入れる。
がん、と鈍い音がした。彼の足元の石が少し欠ける。金剛で腕と盾を強化していても、衝撃は消せないのだろう。アレクシスは顔をしかめながら、荷車を止めた。
「よし……止まったな」
私は少年を離し、膝をついて目線を合わせる。
「怪我はない?」
「う、うん。お姉ちゃん、ありがとう」
少年の声は震えていた。私も遅れて心臓が早鐘を打つ。ほんの少し遅ければ、間に合わなかった。
店主と荷主が駆け寄り、荷を固定し直した。アレクシスは腕を振っている。
「痛いの?」
「少しな。盾は丈夫でも、俺まで石になるわけじゃない」
彼は笑ってみせたが、ルシアンはその腕を確認した。
「冷やしたほうがいい。無茶をしたね」
「エレナに言われるより効くな、その言葉」
「私だって無茶は……」
二人の視線が揃ってこちらを向いた。
「……ちょっとだけ、したかもしれない」
少年の母親が何度も頭を下げた。私たちは大事にならないうちに店を離れたが、歩き出してからも指先の震えは収まらなかった。
「怖かった?」
ルシアンが小声で聞く。
「うん。助けられてよかったけど、私一人じゃ荷車は止められなかった」
「君は少年を助けた。僕たちは荷車を止めた。それでいいんだ」
彼の言葉は、肩に置かれた温かな手のようだった。
帰り道、私は買った砥石を抱えて歩いた。武具店の棚に残した剣は少し惜しい。でも今日は、それより大事なものを持ち帰れた気がする。
学院の門が見えたころ、アレクシスが笑いながら言った。
「それにしても、あの跳躍は見事だった。次は俺とも手合わせを」
「いいよ!」
「エレナ」
ルシアンの声が一段低くなる。
「……防具をつけて、教官のいる場所でね」
私は素直にうなずいた。たぶん。




