第11話 午後のお茶と銀白の結晶
午後の鐘が鳴ると、学院の回廊には焼き菓子の匂いが漂い始めた。
授業を終えた私は、ミレイユに腕を引かれて女子寮の談話室へ向かった。
回廊の高い窓には、午後の光が細長く落ちていた。磨き上げられた床に制服の裾が映り、通り過ぎる生徒たちの話し声が、石造りの天井に柔らかく反響する。故郷の屋敷なら、この時間は妹のリリアが庭から駆け込んできて、泥だらけの靴のままお菓子をねだるころだ。そんなことを考えて、私は少しだけ懐かしくなった。
「どうしたの、エレナ。難しい顔」
「ううん。実家のお茶の時間を思い出してた」
「まあ、素敵。ご家族で静かにお茶を?」
「静か……だったことは、あんまりないかな」
兄が剣の型を説明し始め、妹が実演しようと椅子を蹴り、母が魔法で茶器を避難させる。思い浮かべた光景を説明すると、ミレイユは笑いをこらえきれず肩を震わせた。
「あなたのお家、ぜひ一度見てみたいわ」
「覚悟して来てね」
私が真顔で答えると、彼女はとうとう声を立てて笑った。窓際の丸い卓には、すでに白いクロスと五客の茶器が並んでいる。
「五人でお茶をするのは初めてね」
セレスティーヌが微笑む。いつも背筋を伸ばしている彼女も、今日は少し肩の力が抜けていた。
「わたし、お菓子を持ってきたの」
フィオナが小箱を開く。蜂蜜を薄く塗った焼き菓子が、きちんと紙に包まれていた。
「ウェストフィールド商会の新商品候補。感想は遠慮なくね」
「遠慮なく言うなら、三つ食べたい」
私が答えると、ミレイユが吹き出した。
「まず一つ味わってからにして。エレナって、剣のこと以外でも決断が早いのね」
ノエルは小さな声で「香りがいいです」と言い、丁寧に半分に割った。私も真似をする。外はさくりとして、中には干した果実が入っていた。
「おいしい!」
「よかった。輸送しても崩れにくい形にしたかったの」
フィオナが嬉しそうに笑う。ミレイユは包み紙の色を見て、贈答品ならもう少し落ち着いた青がいいと助言した。二人は商会の集まりで顔を合わせたことがあるらしい。けれど、こうして気軽に話すのは初めてなのだという。
私は茶杯を持ちながら、ふとセレスティーヌの指先に目を留めた。彼女は砂糖壺の蓋を閉じるとき、ほんの一瞬だけ手を止めた。
「手、痛いの?」
「いいえ。昨日、魔法の練習を少し……」
彼女は笑おうとして、うまくいかなかった。
「私の固有魔法、見たでしょう? 聖晶というの。でも、作れるのは小さな盾だけで、すぐに割れてしまうの」
談話室の外で鳥が鳴いた。私は返事を急がず、彼女の言葉を待った。
「剣も得意ではないし、華やかな魔法も使えない。あの方には、そんな力は役に立たないと言われたわ」
あの方。名前を出さなくても、誰のことか分かった。
ミレイユが唇を結ぶ。ノエルは茶杯を置き、フィオナもいつもの明るい表情を引っ込めた。
「役に立たないって、誰が決めたの?」
私の問いに、セレスティーヌは目を瞬かせた。
「だって、攻撃もできないのよ」
「攻撃できないから、守れるんじゃないかな」
「……どういうこと?」
「剣を振っているとね、前へ出る人より、後ろにいてくれる人が大事なときがあるの。私、十二歳のころにそれを思い知ったことがある」
森の雪と、荷車の陰で泣いていた子どもの声がよみがえる。あのときルシアンが逃げ道を作ってくれなければ、私は魔狼だけを見て、守るべき人を見失っていた。
「セレスティーヌの盾があれば、誰かが逃げる時間を作れる。小さくても、その時間は大きいと思う」
ノエルがこくりとうなずく。
「結晶なら、形を保つ工夫もできるかもしれません。魔力の流れを均一にすると、割れにくくなるという記述を読んだことがあります」
「本当に?」
「一般的な結界の理論ですけれど……試してみる価値はあると思います」
フィオナは手帳を取り出した。
「練習するなら、私が時間と場所を調べるわ。道具が必要なら手配もできる」
「じゃあ私は練習着を見繕うわね。袖が長いと邪魔でしょう?」
ミレイユの提案に、セレスティーヌはとうとう声を立てて笑った。
「皆、気が早いわ」
「私もよく言われる!」
そう言うと、また笑いが起きた。
お茶が冷めるころ、セレスティーヌはそっと掌を上に向けた。淡い銀白色の光が集まり、親指ほどの結晶が浮かぶ。花びらのような薄い面が重なり、窓から差す光を柔らかく返した。
「きれい……」
ノエルの呟きに、セレスティーヌの頬が染まる。
「こんな小さなものなのに?」
「小さいから、きれいなんじゃない?」
私が言うと、彼女は結晶を消さずにしばらく見つめていた。
談話室を出るとき、セレスティーヌは私の袖をそっと引いた。
「エレナ。明日、少しだけ練習に付き合ってくれる?」
「もちろん! でも私、細かい魔法はノエルほど詳しくないよ」
「それでもいいの。あなたが、私の魔法を見ていてくれたら」
廊下の窓の向こうで、夕陽が学院の尖塔を金色に染めていた。
普通の学院生活には、お茶と友達と、少しの魔法があれば十分。私はそう思った。明日どんな騒ぎが待っているかも知らずに。




