第6話 剣術試験と教官の眼
剣術の実技試験が行われる朝、私はいつもより早く目を覚ました。
夢の中で、祖父に「踏み込みが甘い」と叱られていた。目が覚めても、足裏に砂を踏む感覚が残っている。私は寝台から起き、窓を開けた。ひんやりした空気が頬を撫でる。
試験は試験。勝ち負けを決めるためではなく、今の実力を知ってもらうためのものだ。そう理解しているつもりなのに、剣を握ると思うだけで体が動きたがる。
「普通に、普通に」
小声でつぶやきながら髪を結い、私は訓練着に着替えた。
窓の外には薄い霧が漂っている。寮の廊下を静かに歩き、訓練場へ向かう。剣を振る前の空気は、北の家の庭に少し似ていた。
「早いな」
振り向くと、灰色の髪を短く刈った大柄な男性が立っていた。訓練場の教官服を着ている。
「おはようございます。見学してもよろしいでしょうか」
「構わん。名は?」
「エレナ・リーヴェルトです」
男性の眉がぴくりと動いた。
ガルド教官の立ち方には隙がなかった。大柄なのに足音が軽く、視線は私の顔だけでなく、肩や腰の位置まで見ている。祖父と稽古をするときに感じる、あの居心地の悪さに似ていた。
「アルフレッド殿は元気か」
「はい。今朝もきっと庭で素振りをしています」
「……そうか。あの方なら、まだ若い騎士を何人も泣かせられるだろうな」
遠い目になった教官に、私はどう返せばよいかわからなかった。
「……リーヴェルト。アルフレッド殿の?」
「祖父をご存じですか?」
「昔、散々しごかれた」
ガルド・ヴェルナー教官は、懐かしそうな、少し怖い顔をした。
「なるほど。剣の握りを見ればわかる」
私は思わず手を引っ込めた。まだ剣を抜いていないのに。
試験が始まると、学生たちは基本の構え、足運び、木剣による打ち込みを順に披露した。私は列の最後で、皆の動きを見ながら深呼吸した。
普通に。ほどほどに。
「次、リーヴェルト」
「はい!」
木剣を受け取り、構える。軽い。家で使うものより、ずっと軽い。
「まず基本の打ち込みを十本」
私はできるだけ力を抜いた。
見学席ではアレクシスが大きく手を振っていた。ルシアンは隣で腕を組み、こちらを見守っている。私は木剣の握りを確かめた。新品の木の匂いがする。家で使っていたものより軽いせいか、少し力を入れるだけで先端が走りそうになる。
祖父はいつも「速く振るより、止めたい場所で止めろ」と言った。父は「相手が怖がる剣を振るな」と言った。二人の教えは矛盾しない。なのに、力を抑えようとするほど動きがぎこちなくなる。
私は息を吐いて、一度構えを解いた。試験でこんなに緊張するなんて、少し悔しい。一本、二本。踏み込みの音が砂に吸われる。
「止め」
五本目でガルド教官が声をかけた。
「何を遠慮している」
「遠慮、ですか?」
「打点は正確だ。だが動きの終わりで、わざと速度を落としている」
私は言葉に詰まった。
「相手に合わせることと、雑に手を抜くことは違う。試験では正確な技術を見せろ。ただし、木剣を壊すな」
最後の一言に、私は心臓を掴まれた気がした。
「……承知しました」
次の五本は、力を使わずに軌道だけを整えた。木剣は折れなかった。教官は短くうなずいた。
「よし。次は模擬戦。相手の安全を優先しろ」
対戦相手は体格のよい男子生徒だった。彼は真っ直ぐ踏み込んでくる。私は半歩横へ動き、木剣の側面で受け流した。
そこで止まるべきだったのだ。
気づけば、体が勝手に次の一手を選んでいた。相手の手首の少し手前で木剣を止める。
訓練場が静かになった。
相手の男子生徒は、目を丸くしたまま固まっていた。私の木剣は手首に触れていない。それでも、あと指一本分だけ前へ出ていたら、彼は剣を落としていただろう。
「ごめんなさい。驚かせました」
彼は慌てて首を振った。「いや、こちらこそ。全然見えなかった」
私はほっとしたが、同時に背中が冷えた。勝つつもりなどなかった。なのに体は、相手の動きを読んだ途端、自然に最短の手を選んでいた。力を隠すというのは、単に遅く動くことではないのだ。
「……そこまで」
ガルド教官の声が低く響く。
「反射がいい。だが、止められるなら最初から止める判断をしろ」
「はい」
叱られたのに、私はどこか嬉しかった。剣のことを正しく見てくれる人がいる。
試験後、アレクシスが駆け寄ってきた。
「今の、どうやったんだ?」
「相手の足の向きを見ただけだよ」
「それだけであの動きか!」
ルシアンは私の木剣を見て、小さく息をついた。
「折らなかったね」
「そこを褒めるの?」
「今日は大事な成果だろう」
否定できなかった。
訓練場の端で、ガルド教官は私たちを見送っていた。
「アルフレッド殿……何を教え込んだんですか」
その呟きは、私には届かなかった。




