↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
辺境子爵令嬢は平穏に暮らしたい ~剣と魔法の才能を隠して、普通の学院生活を送るはずでした~  作者: EA
第一部「王立学院編」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
13/116

第5話 五人の令嬢と昼食の約束

学院の食堂は、想像していたよりずっと賑やかだった。


 食堂の扉を開けた瞬間、焼いた肉の香ばしい匂いと、幾重にも重なる話し声が押し寄せてきた。銀の食器が触れ合う軽い音、椅子を引く音、窓辺で笑う上級生の声。寮の部屋で一人になったときの静けさが嘘のようだ。


 私は盆の上のスープをこぼさないよう慎重に歩いた。剣を持っているときなら人の流れを読むのは得意なのに、熱い皿を持っていると途端に勝手が違う。人にぶつからないよう右へ左へ避けるうち、どこに座ればいいのかわからなくなってしまった。


 長い卓には温かなスープと焼きたてのパンが並び、窓からは中庭の花壇が見える。私は盆を持ったまま、空いている席を探していた。


「リーヴェルト様、こちらよ!」


 ミレイユが手を振った。隣にはセレスティーヌが座っている。


「ご一緒してもいい?」

「もちろん。昨日のことも、ちゃんとお礼を言いたかったの」


 私は席につき、ほっと息をついた。


 セレスティーヌの前には、まだ手をつけていないパンがあった。ミレイユはそれに気づいているらしく、わざと明るい調子でスープの話を始める。


「王都の食堂って、もっと気取った料理ばかりかと思っていたわ」


「北ではこういう煮込みをよく食べます。寒い日は特に」と私が答えると、セレスティーヌも小さくうなずいた。「家でも冬に出ます。母が好きで」


 その声が少しだけ柔らかくなったので、私は安心した。無理に元気づけるより、一緒に食事をするほうがよい日もあるのかもしれない。


「そんなに改まらなくても。式次第を拾っただけですから」

「それだけじゃないわ」


 セレスティーヌの声は小さかった。私はそれ以上追及せず、パンを一口ちぎった。


 そこへ、蜂蜜色の髪の少女が近づいてきた。


「ミレイユ、ここ、空いてる?」

「フィオナ! 久しぶりね。もちろんよ」


 フィオナ・ウェストフィールド。王都に本店を置くウェストフィールド商会の家の令嬢だという。


「ラングフォード商会の新しい布、見たわよ。うちの港の染料を使ったんでしょう?」

「そうよ。でもその染料、少し値が張るのよね」

「品質には自信があるわ」


 二人は笑顔で商売の話を始めた。


「ところで、あの青い染料は色落ちしないの?」とミレイユが尋ねる。「洗い方によるわね。うちの商会では水質まで試したものを扱っているの」とフィオナが答えた。


 私は二人の会話を感心して聞いた。服を選ぶとき、私は動きやすさと丈夫さばかり気にしている。けれど、布一枚の向こうには、染料を運ぶ人、織る人、仕立てる人がいる。


 「剣の握り革も、仕入れ先でずいぶん違いますよね」と言うと、二人が同時にこちらを見た。「そこにつながるの?」とミレイユが笑い、フィオナは「でも、品質を見る目は同じかも」と真面目に考えてくれた。以前から商会の集まりで顔を合わせていたらしいが、こうしてゆっくり話すのは初めてだそうだ。


「……あの、こちらに座っても?」


 控えめな声がした。小柄な少女が盆を抱え、立ち尽くしている。短い薄茶色の髪と、青緑色の瞳。


「もちろん!」


 私が椅子を引くと、彼女は驚いたように目を見開いた。


「ノエル・アシュフォードです。薬草学の本を読んでいたら、席がなくなってしまって……」

「薬草学! 私も好きです。白銀の森でよく採集していました」

「白銀の森……北方の?」

「はい。祖母と一緒に」


 ノエルは初めて興味を隠さず、身を乗り出した。


「霜花草って、本当に雪の下で花を咲かせるんですか?」

「咲きますよ。ただ、根を傷めると翌年は生えにくいので、摘むときは――」


 気がつけば、私は身振りまでつけて説明していた。


「リーヴェルト様は薬草にも詳しいのね」

 セレスティーヌが感心する。

「剣の稽古で擦り傷を作るので、必要に迫られて」



 話題が魔法の授業に移ったのは、フィオナが明日の時間割を広げたときだった。


「実技の適性確認、少し緊張するわね」とノエルが言う。「私は治癒術式なら好きだけど、人前だと失敗しそうで」


「アシュフォード様は本を読んでいるとき、すごく楽しそう。きっと大丈夫」と私が答える。


 ミレイユは指先で時間割を押さえた。「ベルクハルト様には結晶の魔法があるでしょう。あれ、私はとても素敵だと思うの」


 セレスティーヌはパンを持つ手を止めた。


「……《聖晶》のこと? でも、私が作れるのは小さな盾だけです。大きな火球や強い風を起こせるわけでもありませんし」


「盾なら、誰かを守れるじゃないですか」


 私は思わず身を乗り出した。祖父はよく、剣を振るうより仲間を無事に帰すほうが難しいと言っていた。攻撃を止める力は、私には十分に立派に思える。


「それに、形を保つのは難しそうです。私、見てみたいな」


 セレスティーヌは戸惑いながらも、かすかに笑った。


「……いつか、もう少し上手になったら」


「上手になる前でも見せてください。練習なら一緒にできますから」


 フィオナが頷く。「壊れにくい素材の研究なら、商会の本にもありそうね」


「魔法の結晶と鉱物は違うでしょう?」とミレイユが笑う。


「違うからこそ、比べてみたいのよ」


 私たちは笑った。セレスティーヌだけは少し驚いた顔をしていたけれど、その手はもう固く握られていなかった。

「……擦り傷だけ?」


 ミレイユの問いには、笑ってごまかした。


 食堂の窓から差す陽光が、卓上の果実水を琥珀色に透かしていた。皿の端にはパン屑が少し残り、遠くの席では上級生たちが試験の噂に声を弾ませている。


 そんな穏やかなざわめきの中で、ミレイユがふと首を傾げた。


「ねえ、ひとつ提案してもいいかしら」


「なあに?」とフィオナが答える。


「さっきから家名で呼んだり、様を付けたり。なんだか、初めて顔を合わせたお茶会みたいじゃない? せっかく同じ学院に入ったのだから、友達同士では名前だけで呼び合わない?」


 思わず私は顔を上げた。


 辺境の家では、幼いころから親しい相手を名前で呼ぶのが当たり前だった。けれど王都の貴族社会では、家名ひとつにも意味がある。相手を軽んじたと思われないか気にして、私はいつの間にか言葉を選びすぎていた。


「私も、そうしてもらえたら嬉しいです」


「ほら、エレナは賛成ね」


 ミレイユは私を見て、わざと大げさに片目をつぶった。


「もう呼んでるじゃない」とフィオナが笑う。


「だって、先に始めたほうが言いやすいでしょう?」


 ノエルは両手でカップを包んだまま、小さく頷いた。


「……私も。家名で呼ばれると、先生に指名されたみたいで緊張するから」


「それ、わかるわ!」


 フィオナが勢いよく身を乗り出し、危うく果実水を倒しかけた。ミレイユが素早くグラスを押さえる。


「まずは落ち着いて、フィオナ」


「ありがとう、ミレイユ。……ね、こんなふうに呼べたら気楽でしょう?」


 笑い声が重なった。


 ただ一人、セレスティーヌは膝の上に手を揃え、少し迷っているようだった。視線が卓の木目に落ちる。


「セレスティーヌ?」


 私がそっと呼ぶと、彼女の肩がわずかに揺れた。


「……ごめんなさい。嫌なのではないの。ただ、私がそんなふうに呼んで、本当にいいのかしらと思って」


「もちろんよ。あなたも同じ学院の生徒だもの」


 ミレイユの声は優しかった。


「でも、私は……」


 その先の言葉を、セレスティーヌは飲み込んだ。第二王子の婚約者という立場が、彼女の口を重くしているのかもしれない。私には、その重さを全部理解することはできない。


 だから、わかったふりをする代わりに、思っていることだけを伝えた。


「私は、セレスティーヌと友達になりたいです。だから名前で呼んでもらえたら、すごく嬉しい」


 セレスティーヌが顔を上げる。


「……友達に?」


「はい。もちろん、嫌なら無理にとは言いません」


「嫌なわけ、ないわ」


 返ってきた声は小さかったけれど、はっきりしていた。


 彼女は一度だけ息を吸い、私たちを順番に見た。


「エレナ。ミレイユ。ノエル。フィオナ。……これから、よろしくね」


「こちらこそ、セレスティーヌ!」


 フィオナがすぐに応じ、ノエルも「よろしく」と笑った。ミレイユは満足そうに頷く。


「それじゃあ、決まりね。ここでは五人とも名前で呼び合うこと。もちろん、式典や先生方の前では礼儀を忘れずに」


「それなら安心です」とノエルが言う。「授業中まで呼び捨てにしたら、叱られそうだから」


「私、うっかりやりそう……」


 私の呟きに、また笑いが起こった。


 セレスティーヌも笑っていた。さっきより少しだけ背筋の力が抜けて、目元が柔らかい。


 名前を呼ぶ。それだけのことなのに、卓を挟んだ距離がひとつ縮まった気がした。


「じゃあ、記念に乾杯しない?」とフィオナ。


 五つのグラスをそっと寄せる。大きな音は立てない。食堂の真ん中で騒ぎすぎないように、私たちなりの小さな乾杯だった。


「これからの学院生活に」


「そして、五人の友情に」


 グラスが触れ合い、澄んだ音が鳴った。


 私はその音を、きっと長く覚えているだろうと思った。


 食後、フィオナが持っていた薄い冊子を広げた。王都の店や学院近くの施設が描かれた地図だった。


「新入生向けに商会が作った案内図よ。必要なら皆にもあげる」

「すごい。薬草店まで載ってる」

 ノエルが目を輝かせる。

「こっちは仕立て屋。制服の補修にも使えるわ」

 ミレイユが指差す。


 私が真っ先に見つけたのは、もちろん武具店だった。


「この『グランツ武具店』って……」

「エレナ、顔が変わったわよ」

 ミレイユが笑う。

「そんなに?」

「剣の話をするときだけ、目がきらきらするもの」


 五人で笑った。セレスティーヌも、今度は肩の力を抜いて。


 ノエルは笑うと、少しだけ頬にえくぼができた。フィオナは人の話を聞くとき、必ず相手の目を見る。ミレイユは皆の表情が曇りそうになると、さりげなく話題を変える。そしてセレスティーヌは、誰かの言葉を決して途中で遮らない。


 会ったばかりなのに、五人の席には不思議な居心地のよさがあった。家族でも幼馴染でもない人と、こんなふうに笑い合えるなんて。私は持ってきたハンカチを膝の上でそっと握った。リリアに、友達ができたと書こう。きっと大喜びするだろう。


「明日も、ここでお昼にしない?」


 私が言うと、皆がうなずいた。


 平穏な学院生活というのは、きっとこういう時間のことだ。


 私は胸が温かくなるのを感じた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。