第108話 証言を守るための約束
翌日の昼休み、七人は学院の小会議室に集まった。
机の上には、ルシアンが書き出した三つの項目が並んでいる。
窓の外では中庭の木々が風に揺れ、薄い雲が日差しを遮った。七人の間に並んだ三つの言葉は、訓練場の作戦図よりずっと地味だった。
「本人の希望って、誰のこと?」
エレナが尋ねる。
「まずはセレスティーヌ。それから、もし記録を扱った人が証言してくれるなら、その人の希望も」
ルシアンが答えた。
「誰かが正しいことを言ってくれるとしても、その人の生活まで危険にさらしていい理由にはならないからね」
「……なるほど。守る相手は一人じゃないんだ」
アレクシスが静かに頷いた。セレスティーヌは、机の上で重ねた手に視線を落とす。自分の名前が消された理由を知りたい。その願いは変わらない。でも、そのために知らない誰かを追い詰めることは望んでいなかった。
『本人の希望』『記録の保全』『第三者による確認』。
「なんだか難しいね」
エレナが首を傾げる。
「でも、これがないと、善意でも誰かを追い詰めてしまう」
ルシアンは紙を一枚ずつ示した。
「まず、話を聞かせてくれる人には、何に使う証言なのか説明する。話したくないことは無理に聞かない」
「名前を広めないことも大事だよね」
ノエルが言う。
「記録帳は、私が管理する。薬草の観察記録と同じで、日時と本人の言葉を分けて書くよ」
フィオナは商会で使う受領控えの書式を取り出した。
「書類は原本を動かさず、確認した日付と担当窓口だけ残そう。商売でも、後から勝手に書き換えたら信用をなくすから」
「私は、学院の規則に反していないか確認するわ」
ミレイユが引き受ける。
アレクシスはセレスティーヌの方を向いた。
「一番大切なのは、君がどうしたいかだ。誰かの名前を明らかにしたいのか、まず今後の手続きを正したいのか」
セレスティーヌは両手を膝の上で重ねた。少し前なら、こんな場で自分の希望を問われても、何が正しいかを周囲に委ねていただろう。
「……まず、同じことが起きないようにしたいです。誰かを責めるのは、その後でも遅くありません」
「分かった」
アレクシスはそれだけ答えた。婚約者のいる彼女の立場を思えば、軽率な親密さは避けるべきだ。それでも、意思を尊重することまで遠慮する必要はない。
エレナは勢いよく手を挙げた。
「私は、何をすればいい?」
「まず、みんなが焦ったときに止めてほしい」
会議室を出る前、ノエルは自分の記録帳を開いて皆に見せた。そこには日付、場所、確認できた事実、まだ確かめていない話が、細い線で分けられていた。
「私、さっき一つ書き直したんだ」
「どこ?」とエレナ。
「『誰かが宛名を消した』を、『宛名のない控えが見つかった』にしたの」
フィオナが頷く。「それだけで、ずいぶん違うね。前の書き方だと、もう誰かが消したって決めてる」
「言葉は小さいけれど、後から読む人には大きいよ」
ノエルは頁を閉じた。
セレスティーヌは、その細やかな配慮に胸を打たれた。自分のために動いてくれる友人たちがいる。だからこそ、彼女たちの善意を無理な調査へ変えたくない。
「皆に、お願いしてもいい?」
六人が顔を上げる。
「もし途中で、わたくしが誰かを疑いすぎていたら、止めてほしいの」
「もちろん」とミレイユ。「でも、あなたが不安だと言うことまで止めたりしないわ」
――証言を守る約束を交わした日の訓練。
学院の訓練場では、幕で仕切った狭い通路が用意されていた。今日の課題は、敵役を倒すことではなく、危険を見極めて味方を通すことだ。
「先に突っ込んでいい?」
「まず合図を聞いて。エレナの一歩は、普通の人の三歩分くらい速いから」
ルシアンの返事に、エレナは口を尖らせた。だが、彼が言いたいことも分かる。守る相手の姿を隠しながら安全に移動させる。そんなときこそ、慣れた剣に頼りすぎてしまうのだ。
開始の笛が鳴った。アレクシスが《金剛》の盾を壁側に構え、エレナが接近役を牽制し、ルシアンが風で幕を押さえる。木のぶつかる乾いた音が響き、砂が靴底で小さく鳴った。三人は一度も互いの進路を塞がず、最後の標的が止まったところで構えを解いた。
「今のは、僕が前に出すぎた」
「ううん、私も見てなかった。次は先に言う」
エレナが素直に答えると、ルシアンの目元が緩む。セレスティーヌが「誰が中にいるか知られないことも守りです」と言う。勝ったことより、互いの動きを確かめられたことが、今日の収穫だった。
「ありがとう」
アレクシスは机の端に置いた紙を指した。
「それなら、僕たちも一つ決めておこう。誰かが証言してくれたとしても、本人の許可なく名前を広めない。たとえ僕の家の力で調べられそうでも、勝手には動かない」
「うん。私も、剣で解決しようとしない」
エレナの宣言に、ルシアンが眉を上げる。
「今日は最初から剣の出番がないよ」
「分かってるってば!」
笑いが起き、少しだけ空気が軽くなった。
午後の相談を終えて戻る道で、セレスティーヌは中庭の花壇に目を留めた。雨に打たれた花が、細い茎を立て直そうとしている。誰かが支柱を添えたのだろう。花そのものの代わりに立つのではなく、花が自分で立つための支え。
「わたくしも、いつか誰かにそうできるかしら」
小さな呟きに、隣を歩くノエルが答えた。
「もう、していると思うよ。今日、知らない人の希望まで考えたでしょう」
セレスティーヌは返事をせず、花壇にもう一度目を向けた。今はまだ、褒め言葉を素直に受け取る練習の途中だった。
ルシアンが言う。
「えっ、私が?」
「昨日、止まる練習をしただろう?」
「……そうだった!」
皆が笑った。
午後、七人は学院事務局へ正式な相談を申し込んだ。セレスティーヌ本人が説明し、他の六人は必要な補足だけをする。事務官は記録を取り、学内の責任者に確認すると約束した。
「結果が出るまで、何日かかかるかもしれません」
事務官は少し驚いた顔をした。
「結果を急がれないのですか」
「急ぎたい気持ちはあります」
セレスティーヌは正直に答えた。
「けれど、急ぐことで記録を扱った方が困るのなら、わたくしは待ちます。確認できたことと、まだ分からないことを分けて教えていただければ」
その返答を聞いて、事務官は持っていた筆を置いた。
「分かりました。責任者にも、そのように伝えます」
廊下へ出ると、エレナが大きく息を吐いた。セレスティーヌは少しだけ笑う。声が震えなかったわけではない。けれど、言いたいことを最後まで言えた。その小さな達成感を、今日は自分で認めてもいいと思えた。
「構いません。確認していただけるなら」
セレスティーヌの声は静かだった。
帰り道、エレナはふと気づいた。今日、誰も剣を抜いていない。それでも、一歩進んだと感じられる。
「こういう守り方も、あるんだね」
「そうだね」
ルシアンが微笑む。
そのとき、校舎の向こうから急ぎ足の事務官が現れた。彼の手には、差し戻し記録の控えが握られていた。




