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辺境子爵令嬢は平穏に暮らしたい ~剣と魔法の才能を隠して、普通の学院生活を送るはずでした~  作者: EA
第二部「王国の陰謀編」

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第101話 五秒の盾と落ちた木箱

 王都の外れにある保管施設は、雨上がりの泥をまだ踏み固められずにいた。


王宮の調査官が門をくぐるころ、学院では七人が実地訓練の準備を進めていた。倉庫街の通路を模した訓練場に木箱を積み、避難する人の動線を確かめる。昨日の雨で足元が緩いことも、今日の課題の一つだった。


「本物の倉庫はもっと狭いんだろうね」


エレナが積み上げられた木箱を見上げる。


「だからこそ、剣で片づければいいとは限らない」


ルシアンは通路の幅を測り、地面に小さな印をつけた。


「分かってるよ。今日は剣を抜かない」


「その言葉を、僕は記録しておきたいな」


「信用ないなあ!」


笑い声が上がった。セレスティーヌもつられて笑い、すぐに手元の記録帳へ視線を落とす。銀白の結晶を生み出せる時間は、まだ五秒ほど。守りたいと思う気持ちと、実際に守れる範囲は同じではない。


訓練はフィオナが避難誘導、ミレイユが通路の整理、ノエルが負傷者役の観察、エレナとアレクシスが危険箇所の確認、ルシアンが全体の合図を担当することになった。


「セレスティーヌは最後の一歩を守って」


アレクシスが言う。


セレスティーヌは木箱の隙間から見える細い通路を見つめた。ここを誰かが駆け抜けるとき、足元には泥が跳ね、背後では重い荷が軋む。危険が去るまで盾を張り続けられれば理想だろう。だが、今の自分にはできない。


「わたくし、どうしても長く張ることばかり考えてしまいます」


「長さを目標にするのは悪くない。でも、今日の目的は違う」


アレクシスは地面の印を指さした。


「この印から向こうへ移る間だけ、確実に守る。君が五秒を作れば、僕たちはその五秒に合わせて動ける」


「……合わせてくださるのですね」


「もちろん。誰か一人の力に全部を預ける訓練じゃないから」


その言い方に、セレスティーヌの胸の奥が少し緩んだ。誰かに期待されると、以前の彼女は失敗したときの顔色ばかり想像していた。今は違う。できることを正確に伝えるのも、仲間を守るための責任なのだと思えた。


「最後の一歩、ですか?」


「危ない場所から安全な場所へ移る、その短い間。五秒なら、十分に意味がある」


彼の言葉は励ましだったが、できないことを隠す慰めではなかった。だからセレスティーヌは、真剣に頷けた。


二度目の訓練が始まったときだった。


積み上げられた木箱の一つが、予想より早く傾いた。雨で緩んだ台座が沈み、上段の箱が滑る。箱の先には、通路を確認していたノエルがいた。


木箱の底が台座を擦る音は、思った以上に低かった。乾いた訓練用の木材なのに、雨を吸った地面から湿った土の匂いが立ちのぼる。


ノエルは振り返ったものの、すぐには動けなかった。足元の細い溝に靴の踵が引っかかっていたのだ。


「足が……!」


「引っぱらないで、体を横に向けて!」


ミレイユが通路の端から叫ぶ。エレナは飛び込もうとして、倒れかけた箱の向こうにも人がいることに気づき、踏みとどまった。


剣で斬ることも、力任せに押すこともできるかもしれない。けれどその結果、何がどちらへ倒れるか分からない。エレナが歯を食いしばった一瞬、銀白の光が視界の端に生まれた。


「ノエル、下がって!」


エレナが踏み出す。けれど木箱の角度が悪い。無理に押し返せば、別の箱まで崩れかねない。


訓練が始まる前、セレスティーヌは木箱の角に結ばれた赤い布を見つめていた。あの布より先へ箱が落ちたら、通路を通る人は逃げ場を失う。説明では理解しているのに、いざ自分が盾を張る位置に立つと、床の傾きばかりが気になった。


「今日は成功させることより、失敗した後にどう動くかを決めよう」


ルシアンが木炭で地面に二本の線を引いた。


「盾が消えた瞬間、全員が同じ方向へ逃げたら詰まる。フィオナは出口側、ノエルは負傷者役のそば。ミレイユは声を出して誘導して」


「私は?」とエレナ。


「木箱を斬らないこと」


「まだ何もしてないよ!」


「だから先に言っておくんだ」


アレクシスの笑い声に、張りつめていたセレスティーヌの肩がわずかに下がった。


「私の《金剛》は衝撃を消すわけじゃない。箱を受けても、後ろに人がいれば危ない。君の盾がある五秒で、まず通路を空けよう」


「はい。五秒を、皆さんに渡すつもりで使います」


言葉にすると不思議だった。五秒は、彼女一人が耐えなければならない時間ではない。仲間たちが次の動きを選ぶための時間なのだ。


 落ちた木箱を使った訓練の続き、七人は学院の訓練場に集まった。高低差のある木箱の間を見たエレナは、目を輝かせる。


「面白そう! でも、これって何を守る練習?」


「その質問を最初にしてくれて助かったよ」


 ルシアンは地面に退路を描いた。五秒の盾を補う前衛の動きを試す。それを言葉にするのは簡単でも、実際に体を動かすと判断は遅れる。


 木剣を握ったエレナは、普段の勢いを少し抑えた。模擬敵が迫る。エレナが上からの木剣を弾き、ルシアンが風で倒れかけた箱を支え、アレクシスが《金剛》の盾を差し込む。風が袖を引き、木剣の先で乾いた音が弾ける。敵役が下がるまでの数呼吸、エレナは背後の仲間の位置を見失わなかった。


「さっき、すぐ追わなかったね」


「追ったら後ろが空くでしょ。……前はよく忘れてたけど」


「自分で気づけるなら、十分進歩だよ」


 ルシアンの言葉にエレナは照れたように鼻をこする。セレスティーヌが五秒だけ通路を塞いで退避を完成させる。見ていた仲間の顔に、緊張が少しずつほどけていった。


一度目の試行では、セレスティーヌが合図を待ちすぎた。盾を張る前に木箱が傾き、エレナが思わず足を踏み出す。


「待って、エレナ!」


ミレイユの声が飛んだ。木箱は安全用の縄で止まったが、全員の顔から笑みが消えた。


「ごめん。私、反射で動いた」


エレナが頭を下げると、セレスティーヌも首を振った。


「わたくしも、合図が遅れました。怖くて、確実になるまで待ってしまったのです」


「怖いのは、見えている証拠だよ」


ノエルが水筒を差し出す。


「次は、怖いと思った時点で声に出してみよう。誰かが気づけるから」


二度目の準備で、セレスティーヌは自分の手の震えを隠さなかった。


「……少し怖いです。でも、始められます」


「聞こえたよ」とフィオナが答えた。「出口、空けておくね」


風が湿った砂をさらい、七人の靴先に細かな粒を運んできた。セレスティーヌは息を吸う。今度は一人で、完璧な壁になろうとは思わなかった。


セレスティーヌは息を吸った。


「《聖晶》!」


淡い銀白色の盾が、ノエルと木箱の間に現れた。大きくはない。薄い。けれど、最初の衝撃を受け止めるには足りた。


一秒。二秒。


「ノエル、こっち!」


フィオナが手を伸ばし、ミレイユが退路を空ける。アレクシスは《金剛》で強化した腕を木箱の下へ差し入れた。衝撃は腕の奥まで響いたが、重さを止める。


四秒目、結晶にひびが走る。


「もう、保たない……!」


「十分だ!」


ルシアンの声と同時に、ノエルが安全な位置へ移った。五秒目に盾は砕け、光の欠片が風に溶けた。


セレスティーヌの膝が揺れる。エレナが支え、ノエルがすぐに脈と顔色を確かめた。


「無理に立たないで。魔力を使い切る前に休もう」


「ごめんなさい。もっと長く保てれば……」


「違うよ」


エレナは珍しく、はっきりと言った。


「五秒あったから、みんなが動けたんだよ。私一人だったら、きっと無茶してた」


アレクシスも、支えた木箱を地面に置いて頷く。


「守ったのは君だけじゃない。でも、君がいなければ間に合わなかった」


セレスティーヌは、砕けた結晶が消えた場所を見つめた。完璧でなくても、誰かと力を合わせれば守れる。その事実が、疲労の中に小さな温かさを残した。




その日の夕方、王宮へ倉庫調査の第一報が届いた。移送された荷は確かに存在した。しかし、受領印を押したとされる担当者は、その日に勤務していなかったという。


クラウスは報告書を閉じた。


「印だけではなく、誰が、何を見たかを確かめる必要がある」


学院の小さな盾と、王宮の小さな記録。どちらも、次の一歩を守るために必要なものだった。


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