第3話 剣好き令嬢と金剛の盾
入寮日の朝、学院の正門は馬車と新入生でいっぱいだった。
制服姿の生徒たちが家族と別れを惜しむ一方、慣れた様子で門をくぐる上級生もいる。庭には剪定された木々が並び、遠くの鐘楼から朝の鐘が鳴った。新しい革靴がまだ足になじまず、私は歩幅を少し小さくした。
隣のルシアンは、手元の案内図に目を通している。学院の建物は想像以上に多く、講堂、図書室、実習棟、寮、訓練場が渡り廊下でつながっていた。迷ったら地図を見る。困ったら先生に聞く。祖母に言われたことを頭の中で復唱したけれど、訓練場の文字だけが妙に大きく見える。
青い屋根と白い石壁。門の上には「知を磨き、力を正し、民を守れ」と刻まれている。私はその文字を見上げ、背筋を伸ばした。
「いよいよだね」
「まず寮の受付だ。剣を抜くのはそのあと」
「抜かないよ!」
ルシアンは昨日と同じ、どこか楽しそうな顔をしている。
その横からアレクシスがひょいと現れた。
「おはよう! 入学前に訓練場を見ないか?」
「見たい!」
「エレナ」
「……受付のあとで」
ルシアンに先回りされた。幼馴染というのは厄介だ。
寮の受付で私の荷物を調べた職員は、剣を三本見て目を丸くした。
「訓練用、予備、手入れ用の三本です」
「……手入れ用?」
「一番古い剣です。刃の状態を確認する練習に」
説明しても職員の眉間の皺は消えなかった。結局、申請書を三枚書くことになった。
寮の部屋は二階の角にあった。窓から中庭が見え、机と寝台と衣装棚が整然と並んでいる。荷物を置いた途端、急に静かになった。故郷の自室では、廊下を走るリリアの足音や、稽古場から聞こえる木剣の音が絶えなかったのに。
私は三本の剣を一本ずつ布から出した。使い込んだ握り革に触れると、祖父の「剣は振る前に点検しろ」という声が聞こえる気がした。だからといって、ここで素振りをするわけにはいかない。部屋の天井は、故郷の稽古場ほど高くない。
「普通の生活、普通の生活」と唱え、私は剣を丁寧にしまった。
昼前、私たちは訓練場の見学許可を得た。広い砂地の中央では上級生が模擬戦をしている。木剣の音、足音、教官の鋭い声。胸が躍った。
「君、本当に嬉しそうだな」
アレクシスが笑う。
「剣を見ると落ち着くんです」
「普通は逆だと思うぞ」
彼は練習用の盾を持ち上げた。
アレクシスは盾の縁を指で弾いてみせた。木製のはずなのに、乾いた金属のような響きが返ってくる。魔力が表面を覆っているだけではない。素材そのものを一時的に引き締めているように感じた。
「これがあると、多少の打ち合いではへこたれない」と彼は胸を張る。「ただし、ずっと使えば魔力が切れるし、受け止める衝撃まで消えるわけじゃない。祖父にも散々言われたよ」
私は感心してうなずいた。強い魔法ほど、使いどころを考えなくてはいけない。祖母の教えと同じだ。厚い木板の表面に、かすかな金色の光が走る。
「俺の固有魔法は『金剛』。盾も体も強化できる。学院の実技で見せる機会があるだろうけど、先に知っておいてくれ」
「わあ……! 触ってもいい?」
「どうぞ。叩いてもいいぞ」
「エレナ、軽くね」
ルシアンの声に従い、私は指先で盾をこつんと叩いた。硬い。表面だけではなく、内側まで力が通っている感触がある。
「すごい。強化した木目の隙間が、ほとんど揺れない」
「……叩いただけでそこまでわかるのか?」
アレクシスが目を瞬かせる。
「家で似たような練習をしたから」
「どんな家だよ」
彼は大笑いしたが、ルシアンは笑わなかった。
「アレクシス。金剛でも衝撃は消えない。勢いのある相手には足場が大事だ」
「わかってるって。お前は相変わらず心配性だな」
そのとき、近くで上級生の盾が滑り、訓練用の槍が柵の外へ跳ねた。私は反射的に一歩出た。
「エレナ」
ルシアンが私の袖を掴む。槍は誰もいない場所に落ちた。
「……今、飛び出そうとした?」
「危ないと思って」
「誰もいないのを見てから動こう」
正論だった。私はうなずく。自分の足が先に動く癖は、学院では直さなくてはいけない。
見学を終えたあと、アレクシスが私の肩を軽く叩いた。
「実技で当たったら、手加減なしで頼むぜ」
「それは困ります」
「どうして?」
「普通の学院生活を送る予定なので」
アレクシスは一拍置き、腹を抱えて笑い出した。
「ルシアン! お前の幼馴染、面白すぎる!」
私は不満だった。大真面目なのに。
その夜、男子寮へ向かう途中でアレクシスはルシアンの横顔を覗き込んだ。
夕食後、私は寮の窓辺で学院の灯りを眺めていた。遠くの訓練場から聞こえる木剣の音に、つい耳が向く。今日会った人たちは皆、私が知らない世界を持っている。アレクシスの金剛もそうだし、ルシアンが三年間で覚えたことも、まだほんの少ししか聞けていない。
明日は何を学べるだろう。胸の奥がむずむずする。私は机に置いた便箋に「お父さま、お母さま。学院はとても広いです」と書き始めた。剣を三本持ち込んで職員を困らせたことは、あとで書こう。
「なあ。お前、あの子のこと好きだろ」
「……何の話だ」
「三年間、手紙を欠かさず書いて、荷物を持とうとして、訓練場では袖を掴む。わかりやすいぞ」
ルシアンはしばらく黙っていた。
「八歳の頃からだ」
アレクシスの足が止まる。
「長っ!」
「声が大きい」
「本人は?」
「剣の話をしている」
ルシアンがため息をついた。だが、その口元には諦めきれない笑みが残っていた。




