第2話 三年ぶりの再会
王都セレスティアの城壁が見えたとき、私は馬車の窓に額をくっつけていた。
朝から揺られてきた馬車の座席には、母が持たせてくれた旅菓子の包みが残っていた。車輪が石畳を踏むたびに、北方の土道とは違う硬い音が響く。窓の向こうでは、見知らぬ人々が見知らぬ用事を抱えて行き交っていた。私も今日から、その一人になるのだ。
故郷を離れると決めたときは胸が躍るばかりだったのに、王都が近づくにつれて、少しだけ心細くなっていた。家では、稽古場に行けば祖父がいて、台所に行けば母の声が聞こえた。ここでは、誰も私のことを知らない。
それはきっと、普通の令嬢として暮らすには都合がいい。そう考え直して、私は背筋を伸ばした。
「お嬢さま、髪が乱れます」
「あと少しだけ。あんなに大きな門、初めて見るんです」
北のリーヴェルにも門はある。けれど、ここでは門をくぐる馬車が途切れず、道の両側には色とりどりの看板が並んでいた。焼き菓子の甘い匂いに、香辛料と革の匂いが混じる。見上げれば、遠くの丘に王宮の白い尖塔が輝いている。
王立セレスティア学院の入寮日は明日。今日は王都のフォルスター家の屋敷に招かれていた。
「三年ぶり、か」
私は膝の上の小さな包みを撫でた。中にはリリアがくれた淡い緑色の刺繍入りのハンカチがある。出発前、妹は『お姉さまが変な人に絡まれたら、まず逃げてくださいね』と真顔で言った。リリアに言われると、なぜか説得力がない。
フォルスター家の王都屋敷は、賑やかな大通りから一本入った静かな場所にあった。庭木の手入れが行き届き、門柱には風を模した紋章が刻まれている。
扉が開き、背の高い少年が現れた。
門から玄関まで続く小径には白い小花が咲いていた。昔、ルシアンはこういう花の名前を一つずつ覚えていたっけ。私は花よりも、その先の枝に木剣を引っかけてしまわないかを気にしていた。
待っている間、三年前に別れた日のことがよみがえる。王都へ向かう彼に「手紙を書く」と約束したのは私だった。返事を出すのが遅れた月もあったけれど、彼はいつも変わらない字で返してくれた。学院の授業の話、王都の冬の話、リリアが喜びそうな菓子の話。紙の上では、三年は長く感じなかった。
けれど、実際に顔を合わせたらどうだろう。私は無意識に手袋の縫い目を指でなぞっていた。
「エレナ」
落ち着いた声。濃紺の髪。青灰色の瞳。
「……ルシアン?」
「ほかに誰に見える?」
昔は私とほとんど同じ背丈だったはずなのに、今は見上げなくては目が合わない。最後に会った十三歳の彼の面影はある。けれど、肩幅も、声も、少しだけ違った。
「大きくなったね!」
「君も変わった」
「本当? 剣の腕?」
「……そこから離れられないのか」
ルシアンが困ったように笑う。その笑い方は昔のままだった。
「手紙、毎月ありがとう。北の冬の話、読むのが楽しみだった」
「こちらこそ。王都の菓子屋の話ばかり書くから、リリアが羨ましがってた」
「次は二人分送るよ」
そう言って、彼は私の荷物に手を伸ばした。慌てて止める。
「重いから私が持つよ」
「知ってる。剣が三本入ってるんだろう」
「どうしてわかったの?」
「君が二本で我慢すると思えないから」
ひどい。否定できないけれど。
玄関の奥から明るい声が飛んだ。
「おっ、これが噂のエレナか!」
赤茶色の髪の少年が、階段の手すりに片手を置いて立っていた。日に焼けた顔には、人懐こい笑みが浮かんでいる。
「アレクシス・ヴァレンシュタイン。ルシアンの従兄弟だ。学院では同級生になる。よろしく!」
「エレナ・リーヴェルトです。よろしくお願いします」
「堅苦しいのはなし。で、聞いたぞ。剣が得意なんだって?」
「好きなだけです」
「それ、ルシアンも言ってた。『好きなだけ』って言い方を信用するなって」
私はルシアンを見た。彼は平然と目を逸らす。
「余計なことは言っていない」
「いや、十分言ってるだろ」
二人のやり取りが妙に息ぴったりで、私は思わず笑った。
客間で温かいお茶をいただきながら、ルシアンの母アデリーナさまが学院の寮生活について教えてくれた。門限、食堂、制服、学内での剣の携帯制限。最後の項目で私が身を乗り出すと、アデリーナさまは優しく微笑んだ。
「訓練場へ持ち込む場合は申請が必要なの。大丈夫、きちんとした手続きがあるわ」
「よかった……!」
ルシアンが小さく咳払いをする。
「明日は一緒に学院へ行こう。案内できるところは案内する」
客間の壁にはフォルスター領の風景画が掛かっていた。川に架かる橋、深い緑の森、穏やかな丘陵。リーヴェルからそう遠くないのに、領地の雰囲気は少し違う。エドガーさまは領内の水路を改修した話をしてくださり、アデリーナさまは私の祖母に新しい魔術書を届ける約束をしていた。
私は茶器を置く角度まで気を配っていた。クラリス姉さまなら、きっと自然にできることだ。ルシアンはそれに気づいたらしく、私がカップを置いたところでさりげなく菓子皿を寄せてくれた。昔から、私が困っているときほど余計なことを言わない。
「無理してない?」と小声で尋ねられ、私は「してないよ」と答えた。すると彼は、信じていない顔で笑った。
「ありがとう! 心強いな」
彼の耳が少し赤く見えたのは、窓から差す夕日のせいだろう。
帰り際、屋敷の門まで送ってくれたルシアンは、ふと声を落とした。
「エレナ。ここはリーヴェルじゃない。困ったことがあったら、まず僕に相談して」
「うん。ルシアンも困ったら私に言ってね」
「君に相談すると、剣で解決しようとしそうだ」
「しないよ。たぶん」
彼は声を出して笑った。
三年の空白は確かにあった。でも、こうして話していると、昔と同じ距離に戻れる気がする。
明日から、私の学院生活が始まる。
私は胸の中で改めて誓った。剣も魔法もほどほどに。目立たず、穏やかに。
その決意を聞いたら、ルシアンはまた笑うだろうか。




