第97話 三つの確認先
王太子の執務机に、三枚の紙が並んだ。
一枚は式典の名簿変更に関する証言。二枚目は北方への輸送記録。三枚目は、王宮に出入りする交易商の登録簿だった。
「この三つを、同じ事件として扱うつもりはない」
クラウスは側近たちへ念を押した。
「ただし、調べ方は共通にしよう。出所、経路、確認者を記録する」
担当を分けることになった。
王宮行事の記録は儀典局へ。輸送の遅延は街道管理の部署へ。交易商の登録は財務担当へ。それぞれ別の報告として受け取り、重なる点があれば改めて検討する。
「殿下ご自身が、すべてご覧になるのですか」
「私一人の目では見落とす。皆の仕事を信じたい」
宰相府のユリウスは文書の照合、騎士団のアルベルトは関係者の安全確保、魔法師団のフェルディナント・フォン・エルンストは必要に応じた術式痕跡の確認を引き受けた。
「魔法の関与が確認できなければ、その旨を報告します」とフェルディナントが言う。
「それが大切だ」とクラウスは頷いた。「三人とも、所属部署の権限を越えないように」
「承知しました、殿下」
学院時代からの友人であっても、職務の境界を曖昧にしない。それが四人の間にある信頼だった。
側近は深く頭を下げた。
書類を運び出したあと、若い側近が一人だけ残った。
「殿下。三つの報告がもし無関係なら、我々は時間を無駄にすることになります」
「そうだね」
「それでも、調べる価値があるのでしょうか」
クラウスは窓辺の地図を振り返った。
「無関係だと分かることも、成果だよ。そうすれば、別の理由を探せる」
側近は少し考え、深く頷いた。
「では、確認できなかったことも報告に残します」
「ぜひそうしてほしい」
クラウスは笑みを返した。
王宮の仕事は華やかな式典だけではない。誰かが書き残した日付、見落としかけた署名、帳簿の小さな空白。それらを丁寧に扱う人がいるから、遠くの村に届く物資も、学院の生徒が立つ場所も守られる。
そう考えると、机の上の紙は急に重みを持った。
一方、学院の夕方の廊下では、フィオナがミレイユに商会の帳簿について話していた。
「うちでも荷が遅れるときは、最初に道を調べるの。誰かの悪意だって決めつける前にね」
「ラングフォード商会でも同じよ。ただ、遅れた理由を言わない取引先は困るわ」
「だから記録がいるのよね」
二人は顔を見合わせた。
「セレスティーヌの件も、そういうことかしら」
「似ているところはあると思う。人の気持ちは帳簿じゃ測れないけど、起きたことなら確かめられる」
窓から吹く風に、掲示板の紙がかすかに揺れた。
同じ日の午後、ハインリヒは侯爵邸の書斎で客を迎えた。
客は遠方の宗教施設へ寄付を届ける商人を名乗った。衣服は質素で、言葉遣いも丁寧だったが、差し出した書状には王国内では見慣れない祈祷文の書式が使われていた。
「神聖国の方々は、近ごろ熱心ですな」
ハインリヒが言う。
「人々の不安が深まる時代ですから」
「不安は商いにも政治にも影響する」
客は返答せず、薄い封筒を机へ置いた。
三つの確認先を整理したあと、七人は学院の訓練場に集まった。三方向に分かれた木柵の通路を見たエレナは、目を輝かせる。
「面白そう! でも、これって何を守る練習?」
「その質問を最初にしてくれて助かったよ」
ルシアンは地面に退路を描いた。役割を分ければ調査も防衛も落ち着いて進むと知る。それを言葉にするのは簡単でも、実際に体を動かすと判断は遅れる。
木剣を握ったエレナは、普段の勢いを少し抑えた。模擬敵が迫る。エレナが正面の敵役を止め、ルシアンが横道へ風の目印を送り、アレクシスが《金剛》で出口を守る。風が袖を引き、木剣の先で乾いた音が弾ける。敵役が下がるまでの数呼吸、エレナは背後の仲間の位置を見失わなかった。
「さっき、すぐ追わなかったね」
「追ったら後ろが空くでしょ。……前はよく忘れてたけど」
「自分で気づけるなら、十分進歩だよ」
ルシアンの言葉にエレナは照れたように鼻をこする。ミレイユが「三つとも一人で見なくていいのね」と言う。見ていた仲間の顔に、緊張が少しずつほどけていった。
「こちらは、以前のお約束に関する照会でございます」
侯爵は封筒をすぐには開かなかった。
「約束という言葉は重い。相手の意図を確かめずに頷くものではない」
「ごもっともです」
客は笑った。
互いに礼儀を守る会話だったが、部屋の空気は冷えたままだった。
夕方、イザベラが父の書斎を訪れた。
「学院では、セレスティーヌ様をかばう方が増えています」
「かばう、か。おまえにはそう見えるのだな」
「皆、彼女の言葉ばかり信じます」
ハインリヒは娘を見た。
「相手の評判を下げれば、自分の評判が上がると思ってはいけない」
「……お父様は、わたくしが間違っていると?」
「間違いは、やり方を誤ったときに生じる」
その答えは慰めにも叱責にもならなかった。
学院ではセレスティーヌが寮監と話し、伝言を預けていた。
「保管しておきましょう。あなたが希望するなら、正式な相談記録にもできます」
「お願いいたします」
言葉にした途端、肩の力が抜けた。
帰り道、アレクシスが訓練場の前で彼女に気づいた。
「顔色が少し悪い。無理はしていないか」
「大丈夫です。今日は、相談できましたから」
「それならよかった」
彼はそれ以上尋ねなかった。セレスティーヌが自分で話したいときに話せるよう、距離を保つ。
その夜、ハインリヒは客から受け取った封筒を開いた。
文面には神聖国の高位聖職者の名が、遠回しな敬称で記されていた。
侯爵は読み終えると、紙を折り直した。
「まだ、表へ出す時ではない」
灯火の下で封蝋が鈍く光った。




