↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
辺境子爵令嬢は平穏に暮らしたい ~剣と魔法の才能を隠して、普通の学院生活を送るはずでした~  作者: EA
第二部「王国の陰謀編」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
101/119

第92話 侯爵邸の朝食

 ヴァイスベルク侯爵邸の朝食は、いつも静かだった。


 銀の食器は曇りなく磨かれ、焼きたてのパンは同じ厚さに切り揃えられている。窓の外では庭師が落ち葉を集めていたが、その音さえ厚い硝子に遮られていた。


 ハインリヒ・フォン・ヴァイスベルクは、紅茶に口をつける前に封書を開いた。


 王宮行事の記録について、王太子が確認を進めているという報告だった。


 確認を担当しているのは宰相府のユリウスだった。クラウスが学院時代から信頼する側近の一人であり、王宮内でも記録の出所を丁寧に辿ることで知られている。


「慎重な方だ」


 彼は感心とも皮肉ともつかない声で言った。


 向かいに座るイザベラは、手元のナプキンを整えた。


「クラウス殿下は、いつも記録を重んじられますわ」


「記録は便利だ。誰が書き、誰が保管したかまで確かめなければ、なおさらな」


 娘は視線を上げた。


「わたくしに、何かお命じですか」


「命じることはない。学院では、おまえ自身が最もよく見える位置にいる」


 その言い方を、イザベラは幼いころから知っていた。父は直接の命令を避けるときほど、相手に望む答えを考えさせる。


「フェリクス殿下は、セレスティーヌ様に不満をお持ちのようです」


「王子の不満は、王子自身のものだ。おまえが代弁してはいけない」


「承知しております」


 ハインリヒは娘の返答に頷いたが、表情を緩めなかった。


 婚約は王家と貴族家の約束だ。感情だけで動かせるものではない。だからこそ、感情を無視しても動かない。


「誰かが正しいと声を張り上げるほど、周囲は別の正しさを探し始める。おまえは礼儀を崩すな」


 イザベラは微笑んだ。


「わたくしは、殿下のお役に立ちたいだけです」


 父はその言葉を肯定も否定もしなかった。


 イザベラはナイフを置き、父の顔を窺った。


 侯爵邸の食卓では、食器の音ひとつにも作法があった。幼いころから身につけてきたその静けさが、今朝ばかりは息苦しい。


「お父様は、セレスティーヌ様をどうご覧になりますか」


「ベルクハルト伯爵家の令嬢だ。王家との正式な婚約を結んでいる」


「それだけですか」


「それだけで十分に重い」


 父はパンを一口切り、ゆっくり噛んだ。


「イザベラ。人の席を望むなら、その席に座る責任まで想像しなさい」


 諭されたのか、試されたのか。イザベラには分からなかった。


 フェリクスの隣に立つ自分を想像すると、胸が熱くなる。彼は自分の話を聞いてくれる。少なくとも、学院の廊下ではそう見える。けれどその熱の底に、誰かに選ばれたいという焦りがあることも、薄々気づいていた。


「わたくしは、軽い気持ちではありません」


「ならば軽率な証拠を残すな」


 ハインリヒの声は低く、叱責に似ていた。


 イザベラは口を結んだ。父が求めるのは娘の幸せなのか、侯爵家の利益なのか。どちらかひとつではないのだろう。それが、いっそう答えを難しくした。


 朝食を終えて廊下へ出ると、庭園の薔薇は雨に備えて枝を結ばれていた。


 ――侯爵邸で別の思惑が動いていたころ。


 学院の訓練場では、護衛対象を模した荷車と砂利道が用意されていた。今日の課題は、敵役を倒すことではなく、危険を見極めて味方を通すことだ。


「先に突っ込んでいい?」


「まず合図を聞いて。エレナの一歩は、普通の人の三歩分くらい速いから」


 ルシアンの返事に、エレナは口を尖らせた。だが、彼が言いたいことも分かる。学院の仲間たちは政治の駆け引きとは無縁に訓練の段取りを話す。そんなときこそ、慣れた剣に頼りすぎてしまうのだ。


 開始の笛が鳴った。アレクシスが《金剛》で車輪側を支え、エレナが敵役の木剣を弾き、ルシアンが風で砂埃を押し返す。木のぶつかる乾いた音が響き、砂が靴底で小さく鳴った。三人は一度も互いの進路を塞がず、最後の標的が止まったところで構えを解いた。


「今のは、僕が前に出すぎた」


「ううん、私も見てなかった。次は先に言う」


 エレナが素直に答えると、ルシアンの目元が緩む。エレナが「力を使う順番が大事だね」と笑う。勝ったことより、互いの動きを確かめられたことが、今日の収穫だった。


 彼女は足を止める。自由に伸びる枝は美しくても、支えがなければ折れてしまう。そう教えられてきた。


 では、自分が伸ばしたい枝は、誰のためのものなのだろう。


 同じ朝、王宮ではクラウスが式典記録の複写を前にしていた。


「名簿の変更を承認した者が、記録上は空欄になっている」


 側近は頷いた。


「担当者の聞き取りでは、口頭の指示があったと」


「誰から?」


「そこが一致しておりません」


 クラウスは書類を閉じた。


 曖昧な証言を都合よくつなげれば、すぐに一つの筋書きができる。だが、その筋書きが事実とは限らない。


「まず運営責任者に確認を。生徒への問いただしは、その後だ」


 そこへヴィクトリアが訪れた。


「お顔が険しいですわ」


「朝から紙とにらめっこしていたら、こうなるらしい」


「紙は反論しませんものね」


 彼女の冗談に、クラウスはようやく笑った。


 しかし机の端に置かれた北方の報告書は、さらに厄介だった。ノルディアからの物資が予定より遅れ、その理由として街道警備の強化が挙げられている。


「式典と北方の件は別々に扱う。いま結びつける根拠はない」


 クラウスはそう念を押した。


 昼前、侯爵邸ではハインリヒが別の来客を迎えていた。


 相手は王都で交易を仲介する書記官で、最近の街道事情を詳しく知っているらしい。


「北方への荷が遅れております」


「それは商人たちにとって痛手だろう」


「はい。とくに一部の荷には、届け先の記載が不自然なものがございます」


 ハインリヒは茶器を置いた。


「不自然、とは?」


 書記官は声を落とした。


 侯爵は最後まで聞いたが、すぐには返事をしなかった。


 窓の外では落ち葉が風に舞い、整えられた庭の端に積もっていく。


 見えないところで増えるものは、落ち葉だけではなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。