第5話 母の過去
母との話が終わったあと、俺たちは三人で食堂へ向かった。
母はもう泣いていなかった。
けれど、いつもより少しだけ静かだった。
俺も何となく声をかけづらくて、黙って朝食を食べていた。
すると、父がふと口を開いた。
「レオン」
「はい」
「先ほどの話だが、一つ訂正しておきたいことがある」
「何ですか?」
「役職が遺伝するのかどうかについてだ」
俺は顔を上げた。
「実は、まだはっきりとした答えは出ていない」
「そうなんですか?」
「ああ」
父は頷いた。
「役職が親子で似ることはある。だが、全く違う役職になることも珍しくない」
「じゃあ、俺が無職だったのも……」
「お前自身に与えられた役職だ」
父は穏やかに言った。
「エレナのせいでも、私のせいでもない」
「……分かりました」
俺は頷いた。
俺自身、《無職》という役職を授かった。
それだけのことだ。
少なくとも、俺は母を責める理由なんて一つもない。
むしろ、母が自分を責めていることの方が気になっていた。
母も静かに頷いた。
「そうよね……」
けれど、その表情にはまだ少し不安が残っているように見えた。
朝食を終えたあと。
俺は父に呼び止められた。
「レオン。少し時間はあるか?」
「はい」
「お前が気になるなら、エレナの過去について話しておこうと思う」
俺は驚いた。
「母上の?」
「ああ」
父は母の方を見る。
「エレナ。構わないか?」
母は少し迷ったあと、頷いた。
「ええ」
俺たちは応接室へ移動した。
父が椅子に座り、俺と母も向かいに座る。
「エレナは、お前と同じように十歳のときに神授式を受けた」
「やっぱり……」
「ああ。そして、授かった役職は無職だった」
母は静かに目を伏せた。
「当時は今よりも、無職に対する風当たりが強かった」
「……」
「エレナの実家は、それなりに名のある貴族家だった。当然、家族は高い役職を期待していた」
父はそこで一度言葉を止める。
「だが、結果は無職だった」
「それで……」
「家族から、かなり厳しい言葉を受けたそうだ」
俺は母を見る。
母は苦しそうな顔をしていた。
「私は、自分が家族の期待を裏切ったと思っていたの」
母が静かに話し始める。
「妹たちはみんな、私より立派な役職を授かったわ。親戚からも比べられた」
「母上……」
「私は何をしても、『無職なのだから』と言われるようになった」
母は少し笑った。
「だから、いつの間にか自分でもそう思うようになっていたの」
「……何を?」
「私は何もできない人間なんだって」
胸が痛くなった。
俺には、その気持ちが少し分かる気がした。
俺だって今、無職という役職を授かったばかりなのだから。
けれど、だからこそ思う。
母が苦しむ必要なんてない。
母は何も悪くない。
「そんなときに、アルベルトと出会ったの」
「父上と?」
「ええ」
母が父を見る。
その表情は、少しだけ柔らかくなった。
「あなたは、私が無職だと知っても何も変わらなかった」
父が苦笑する。
「そもそも、最初から役職なんて聞いていなかったからな」
「そうだったわね」
母も笑った。
「私はそれが嬉しかったの」
「それで結婚したんですか?」
「それだけではないわ」
母は少し照れたように笑う。
「でも、あなたといるときだけは、自分が無職だということを忘れられたの」
俺は黙って二人を見る。
父が母の手を取った。
「私は今でも、あの頃と同じ気持ちだ」
「……アルベルト」
「お前が何の役職を持っていようと関係ない」
父はそう言った。
「私にとって、お前はエレナだ。それ以上でも、それ以下でもない」
母は少しだけ目を潤ませた。
「ありがとう」
俺は二人の姿を見て、なんとなく嬉しくなった。
そして同時に思った。
俺も母と同じ《無職》だ。
だからこそ、母が何を苦しんできたのか、少しだけ分かる。
役職一つで、自分自身まで否定されたように感じてしまう。
でも、それは違う。
俺は俺だ。
母は母だ。
無職という二文字だけで、俺たちの価値が決まるわけじゃない。
「レオン」
父が俺を見る。
「お前はどう思った?」
「……母上が悪いとは、全然思いません」
母が俺を見る。
「俺も無職だから分かるけど、そんなことで誰かに責められるのはおかしいと思います」
「……」
「だから、母上が自分を責める必要もないと思います」
母はしばらく黙っていた。
そして、俺の頭を優しく撫でる。
「ありがとう、レオン」
「はい」
その日の夜。
俺は自室に戻ると、机の前に座った。
そして《チャット》を発動する。
《ユニークスキル:チャット》
使用可能回数:10/10
俺は目を丸くした。
「……あれ?」
昨日までは、確か残り二回だったはずだ。
なのに、十回に戻っている。
しばらく考えてから、俺は気づいた。
「日付が変わったからか?」
どうやら、そういうことらしい。
昨日は色々と試して、かなり回数を使った。
でも今日は新しい一日になった。
その結果、使用可能回数が完全に回復したのだろう。
「それなら、少し安心だな」
俺は小さく笑った。
一日十回。
それなら、昨日みたいに気軽に使いすぎなければ、かなり有効に使える。
俺は対象一覧を開いた。
父。
母。
リナ。
屋敷の使用人たち。
昨日とは違って、今日はまだ誰にも話しかけていない。
俺はしばらく一覧を眺める。
そして、ふと思った。
このスキルは、ただ質問するためだけのものじゃない。
相手の人格を反映したAIと会話し、その結果を現実に反映することができる。
だったら――。
もっと色々な使い方があるはずだ。
俺は椅子にもたれながら、考え込む。
「……まずは、試してみないとな」
まだ十歳。
俺には時間がある。
焦る必要はない。
少しずつ。
一つずつ。
この力について知っていけばいい。
そうして俺は、本当の意味で使いこなすための実験を始めることにした。




