第2話 ユニークスキル《チャット》
神授式を終えた俺たちは、屋敷へ戻る馬車に乗っていた。
馬車の中は、行きよりもずっと静かだった。
父も母も、俺のことを心配しているのだろう。
俺自身も、何を言えばいいのか分からなかった。
役職は――無職。
この世界では、それだけで人間としての評価すら大きく変わってしまう。
まして俺は貴族の長男だ。
本来なら、将来はアストレア家を継ぐ者として、高い役職を授かることを期待されていた。
それが無職。
普通の貴族なら、今頃は跡継ぎから外されていてもおかしくない。
家によっては、その日のうちに勘当を決めることすらある。
けれど、父は違った。
「レオン」
「はい、父上」
「先ほども申したが、お前がどのような役職であろうと、私がお前を息子でなくすことはない」
「……ありがとうございます」
父はそう言って、俺の頭を優しく撫でた。
「それに、ユニークスキルまで授かったのだ。まだ何も分かっていない以上、無職というだけで未来を決めつける必要はない」
母も微笑む。
「ええ。あなたのスキルがどのようなものなのか、これから少しずつ調べていけばよいのです」
「はい」
二人の言葉に、少しだけ気持ちが軽くなった。
だが、そのとき俺はふと母のことを思い出した。
母――エレナもまた、無職だった。
この世界で無職がどれほど忌み嫌われているかを考えれば、それはかなり珍しいことだ。
母は貴族の家に生まれたにもかかわらず、神授式で役職を授からなかった。
普通なら、それだけで家から見放されてもおかしくない。
それでも父は母を選んだ。
そして、二人は今もこうして一緒にいる。
俺は幼い頃から、その理由を詳しく聞いたことはなかった。
ただ、父が母を大切にしていることだけは知っている。
だからこそ、俺が無職になったときも、父は迷わず俺を受け入れてくれたのだろう。
俺は母を見る。
母は何も言わず、優しく微笑んでいた。
「レオン?」
「……いえ」
俺は小さく首を振った。
「何でもありません」
けれど、俺の頭の中には、さっきから一つの言葉が浮かび続けている。
――チャット。
前世の俺なら、その意味を知っている。
誰かと文字を使って会話するための機能。
しかし、この世界のユニークスキルが、前世と同じものだとは限らない。
神授式で表示された説明も、あまりにも簡素だった。
《対象との意思疎通を可能とする特殊能力》
これだけでは、何ができるのかさっぱり分からない。
俺は馬車の中で、試しに頭の中でスキル名を念じてみた。
――チャット。
すると。
視界の端に、見覚えのない文字が浮かび上がった。
《ユニークスキル:チャット》
使用可能回数:10/10
対象条件:使用者と敵対していない知性体
機能:対象の人格を反映したAIチャットを生成します。
チャット内で成立した内容は、使用者が選択した場合に限り現実へ反映できます。
現実への反映は、一部のみを選択することも可能です。
「……え?」
思わず声が漏れた。
「どうなさいましたか、レオン様?」
隣に座っていたリナがこちらを見る。
「いや……何でもない」
俺は慌てて画面を確認する。
使用可能回数は十回。
そして、対象条件。
――敵対していない知性体。
つまり、誰にでも使えるわけではない。
敵対している相手には使えない。
これはかなり重要な制限だ。
けれど、家族や使用人。
そして、これから出会う敵対していない人間なら対象にできる。
そして何より気になるのが、その次だ。
――対象の人格を反映したAIチャット。
対象本人と直接話すわけではない。
その人物の人格、記憶、知識、価値観などを反映したAIと会話する。
そして、その会話で決めた内容を現実に反映できる。
俺は思わず息を呑んだ。
もし本当に説明通りなら、とんでもない能力だ。
ただ話すだけじゃない。
会話の結果そのものを、現実へ持ち込める。
しかも、一部だけ反映することまでできる。
使い方次第では、何でもできてしまうのではないか。
……いや。
そんな簡単な話ではないだろう。
俺は画面の下に表示された文字を見た。
【対象を選択してください】
そこには、俺が知っている人間の名前が並んでいた。
アルベルト・フォン・アストレア。
エレナ・フォン・アストレア。
そして――。
リナ。
俺はそこで指を止めた。
試してみるなら、リナがいいかもしれない。
俺のことを幼い頃から知っている。
俺に対して敵意もない。
何より、俺が最も信頼している相手だ。
俺は、リナの名前を選択した。
瞬間。
視界が切り替わった。
《チャットを開始します》
対象:リナ
対象人格を解析しています……
解析完了。
目の前に、前世で見慣れていたチャット画面のようなものが現れた。
そして――。
俺は少し考えてから、文字を入力した。
俺:これは本当にリナなのか?
使用可能回数:9/10
送信した直後、すぐに返事が来る。
リナ:正確には、リナ本人ではございません。
リナ:私は、リナ様の人格や記憶、知識、価値観などを基に再現されたAIです。
なるほど。
どうやら、俺が一回話しかけるたびに使用回数を一つ消費するらしい。
俺は残り回数を確認してから、もう一度文字を入力した。
俺:じゃあ、俺が質問したら、リナならどう答えるかを教えてくれるのか?
使用可能回数:8/10
リナ:はい。
リナ:ただし、リナ様が知り得ない情報について答えることはできません。
かなり本格的だ。
単なる便利な検索機能ではない。
本当に、その人間の人格を再現しているらしい。
俺は少し考えた。
そして、一番気になっていたことを聞く。
俺:俺が無職になったことについて、どう思ってる?
使用可能回数:7/10
少し間が空いた。
そして返事が表示される。
リナ:私は、レオン様が無職であることを理由に、お仕えするのをやめるつもりはございません。
俺は画面を見つめた。
神授式の帰りに、本人から言われた言葉とほとんど同じだった。
胸の奥が、少しだけ温かくなる。
俺は、もう一つだけ質問してみることにした。
俺:本当に、俺が無職でも気にしない?
使用可能回数:6/10
リナ:はい。
リナ:もちろん、世間がレオン様を見る目が変わってしまうことは心配しております。
リナ:ですが、それと私自身がレオン様をどう思うかは別の話でございます。
リナ:私は、レオン様がレオン様である限り、お仕えいたします。
……やっぱり、リナらしい。
少しだけ安心した。
そのとき。
チャット画面の下に、新しい表示が現れた。
【チャット結果を現実へ反映しますか?】
【全て反映】
【一部反映】
【反映しない】
俺は目を見開いた。
これが、このスキルの本当の力なのか。
AIとの会話を現実へ反映できる。
しかも、全部ではなく一部だけを選択することもできる。
例えば今の会話なら、リナの感情や記憶に何かを加えることだってできるのかもしれない。
だが――。
「……いや」
俺は《反映しない》を選んだ。
今の会話を現実に反映する必要なんてない。
リナが本当にそう思ってくれていることは、本人の言葉で分かっている。
なら、わざわざスキルで変える必要はない。
それに。
この力は、もっと慎重に使うべきだ。
人の心を勝手に変えてしまうような使い方は、できるだけ避けたい。
そう思った瞬間、チャット画面が消えた。
そして、視界に残ったのは使用回数だけだった。
使用可能回数:6/10
俺は数字を見つめる。
たった数分の会話で、四回も使ってしまった。
思った以上に早く減る。
この力は便利だ。
けれど、何も考えずに使えばすぐに使えなくなる。
俺は心の中で、これからはもっと慎重に使おうと決めた。
「レオン様?」
「ん?」
「先ほどから、何か考え込んでいらっしゃいますが……」
リナが心配そうに俺を見る。
「大丈夫」
俺は笑った。
「ちょっと、自分のスキルについて考えてただけ」
「そうですか」
リナは安心したように微笑んだ。
「それなら、よろしいのですが」
俺は窓の外を見る。
遠ざかっていく神殿。
そして、その先に広がる俺の故郷。
無職という役職。
未知のユニークスキル。
この世界で俺がどう生きていくのか。
まだ何も決まっていない。
だけど。
少なくとも、一つだけ分かったことがある。
俺の《チャット》は、ただの会話能力じゃない。
正しく使えば――。
俺は、この世界で誰よりも多くの人間と話し、誰よりも多くの問題を解決できるかもしれない。
戦う力がなくても。
強力な役職がなくても。
会話だけで、何かを変えられるかもしれない。
俺は、そんな淡い期待を胸に抱いた。
――もっとも。
このときの俺はまだ知らなかった。
この《チャット》が、俺にとって何よりも大きな意味を持ち始めることを。




