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人をダメにするお嬢様は僕のお世話がしたいそうです  作者: 天鷹あき


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9/25

第九話

 今日は待ちに待った土曜日。

 東京に着いてからの五日間は刺激的であっという間だった。


 まさか、八ヶ崎家の世話になるとは夢にも思わなかった。

 通うつもりだった高校は光恵学院よりも偏差値が七から八ほど低い。


 故に授業に付いて行くだけで精一杯である。

 この週末、少しでも授業に付いて行けるように予習したい。


 朝食を食べ終え――

 いや、食べさせられ終えたと言った方が正しいか。


 俺は、ほぼ毎食と言ってもいいほど愛彩に食べさせてもらっている。

 断れば、メイドの椿にキレられるので、打つ手は無い。


 カップに入っているコーヒーは残り僅かだ。

 もうじき、愛彩が歯ブラシを取りに立つ頃。


 俺が予想した通り、カップを空にした愛彩はソファーから腰を上げる。


「そろそろ歯を磨きましょうか」


 洗面台へ向かう愛彩。

 この後、俺はこのお嬢様に歯を磨いてもらう。


 もはや、介護だ。

 いずれ、風呂や排泄なども同じように物理的な世話を受けることになるのだろうか。


 歯ブラシを手に戻って来た愛彩の柔らかい太ももに俺は無言で頭を乗せた。

 大きく口を開けると、細いナイロン製のブラシが口内に入れられる。


「唯人さん。お昼に何か食べたいものはありますか?」


 手に持ったブラシを左右に動かしながら問われる。

 いつも俺の歯を磨きながら話題を振られるのだが、当たり前だが話しにくい。


 最初の頃と比べると慣れてきてしまっているけれど。


 食べたいものか。

 八ヶ崎家に来てからというものの、食に関しては満足しきっている。


 このままの食生活が続けば、舌が肥えそうな気がしてならない。

 が、強いて言うなら――


「がっつりしたもの、かなぁ……」


 歯ブラシが口から出るタイミングで、呟いた。


「要するに……。食べ応えのある味付けがしっかりしているもの、ということですね」


 愛彩は、続けて説明するように話し始める。


「いつもは椿やうちの執事長が調理を担当しているのですが、週末のお料理はお休みして貰っているんです。なので、今日は外でランチをと思いまして」


 再び口内にブラシが入れられ、歯磨きが再開された。

 外食か、何年ぶりだろう。


「でしたら、お肉などいかがですか? お世話になっているお店がありまして」


 確かに、肉は良いな。

 最近の食事は美味で質が高いと言えど、あっさりしていて良い意味で淡泊だ。


 俺は歯磨きの邪魔にならない程度に軽く頷く。


「なら決まりですね! 椿、出発前にお店への連絡をお願いできるかしら?」


「かしこまりました。愛彩お嬢様」


 いつの間にかドアの近くに立っていた椿が返事をした。





 恵比寿の目立たない位置にあるビルの中、ドアがいくつも並ぶ廊下の先を案内される。

 中に入ると、カウンターに一人の料理人が立っていた。


「お待ちしておりました、八ヶ崎様」


 料理人の男性は愛彩の顔を見ると静かにお辞儀をして出迎える。

 会員制の精肉専門店らしく、俺は緊張で高鳴る心臓を抑えようと胸に手を添えるが、その手も震えている。


 この異質な雰囲気の空間では、食事が喉を通らない気がしてならない。


「マスター。いつものメニューをお願いできますか?」


「はい。八ヶ崎様の為に、常日頃から準備しております」


 席に座ると、目の前で静かに生肉の塊が次々と切られていく。

 それを、小皿に盛り付けて目の前に置かれた。


 あ、自分で焼くタイプのお店か。


「お待たせ致しました。こちら、牛刺しでございます」


「ありがとうございます。では、いただきましょうか。唯人さん」


「えっ。生のままで食べるのか?」


 そう言うと、カウンター越しに男性が申し訳なさそうな顔をする。


「説明が不足しており申し訳ございません。こちらの料理は、そ(・)の(・)ま(・)ま(・)召し上がりください」


 そのままって生で?

 牛肉って、ちゃんと焼いて食べるものだよな?


 俺は冷や汗を流しながら横のお嬢様に助けを求めるように見る。


「きっと唯人さんのお口にも合うと思いますよ」


 助け船が出されることはなく、愛彩は微笑みながら答えた。


 ……まあ、腹を壊すことは愛彩が連れてきてくれた店で九割九分ないとは思うが、なんせ人生初の生肉。

 口に運ぶこと自体、俺にとっては勇気を出さなければならない行為だ。


 まじまじと牛刺しを見つめていると、愛彩は音を立てずに一切れだけ口に入れる。


「相変わらず美味しいです。やはり、マスターのお肉が一番ですね」


「八ヶ崎様、恐縮です」


 美味しそうに咀嚼する愛彩。

 ……そんなに美味いのか?


 初めて見る愛彩の表情に、俺の好奇心がそそられた。

 俺は意を決して、箸で掴んだ真っ赤な肉を震えさせながら口元へゆっくりと運ぶ。


「……うっま!」


 なんだこれ、本当に肉か?

 噛み応えはあるものの、噛めば噛むほど脂の甘みと肉の旨味が舌の上で溶けていく。


 当然、臭みは無い。


「お連れ様もご満足頂けたようで何よりです」


 料理人さんが微笑みながら言う。


「いや、これ。マジで美味いですよ。驚きました」


「恐縮です」


 さっきまでは得体の知れないものを見ている心情だったが、今では肉がきめ細かに輝いて見える。

 まるで、霜降り肉の宝石箱を眺めているような気分だ。


 ふと、昔に初めて買ってもらった仮面ライダーウィッチーのおもちゃを宝物のように眺めていたことを思い出した。


 確か……。赤い髪のア(・)イ(・)ツ(・)に見せたら、初めて話し掛けてくれたんだっけ。

 今でもア(・)イ(・)ツ(・)は元気にしているだろうか。


 その後に出てきた料理も頬が落ちそうな程、美味しかった。


「唯人さん。ご満足、頂けたみたいで良かったです」


 愛彩が左の頬に手を当てながら言う。

 ぶっちゃけると大満足である。


 天国に来たと錯覚していたくらいには、満足だ。


「で、次はどこに行くんだ?」


「到着してからのお楽しみです♡」




 

 愛彩が超大金持ちであることに、つくづく気付かされる。


 室内には巨大なプールがあり、真ん中には白いオブジェが鎮座している。

 全くの無人空間であることも極まって驚きより恐怖を感じる。


 前に動画サイトで見たドリームコアのようだ。

 連れて来られた会員制のプール付きジムは貸切専用の為、俺達を除いて人の姿は一切無い。


「よく気分転換にプールを楽しむんです。スッキリして気持ちいいですよ♡」


 プールに浸かりながら、愛彩が言った。

 モデルが着ていそうな際どい水着が、よく似合っている。


 メリハリのある体のラインだからだろうか。

 気を抜くと豊満な胸部につい目線を奪われてしまう。


 顔に目を向けると、髪が濡れないように一つに結んでいる。

 ポニーテールの愛彩は新鮮だ。


「こちらの施設、唯人さんも自由に利用できますからね」


「え、そうなのか?」


「勿論です! 施設内に整体師が常在しているので、マッサージも受けられます」


 愛彩がプールサイドに上がったかと思えば、足音を立てながら近づいて来る。


「それとも……。私が唯人さんをマッサージしましょうか?」


 水を滴らせながら嬌笑《きょうしょう》する愛彩を見て、俺は思わず後退りしてしまう。


「こんな感じで♡」


 愛彩は俺の腕を軽く揉む。

 その手からは冷たい水気を感じて、くすぐったい。


「唯人さんがお望みなら、全身を満遍なく……」


 ピトっと肌を密着させる愛彩。


「や、やめてくれ!」


 心臓をバクバクと鳴らしながら、愛彩から距離を取った。


 このままではいかん。

 俺のほうが揉みたいという衝動が湧いている。


「……というか、どうしてここまでしてくれるんだ? 住む場所だけじゃなくて、財布やクレジットカード。美味すぎる肉に貸切プール。俺にとっては、全部が贅沢過ぎる」


 父さんと大晋さんが友達とはいえ、愛彩が俺にここまでする理由は無い。

 それに、愛彩から放たれる甘い蜜をこれ以上啜り続けたら普通の生活に戻れなくなる気がする。


 加えて俺が愛彩に変な気を起こしてみろ。

 受け入れられてしまえば、俺の精神までも彼女に依存し切るだろう。


 まあ、実際は相手にされずに終わると思うが。


「深い理由はありませんよ。私が、そうしたいからです」


 愛彩は真っすぐ見つめながら答える。


 わからない。

 どうして俺のような、どこにでも居るような一般庶民男子が相手なんだ。


 怪しみながら愛彩の顔を見ていると、愛彩は聖女のような笑みを浮かべる。


「私は、いつまでもお待ちしておりますよ」


「……? 何を待っているんだ?」


 無言のまま微笑み続ける愛彩。

 何を待っているのか結局は分からず仕舞いだったが、その聖女のような笑みを見た俺は何故か懐かしさを感じていた。

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