第八話
入学から三日目。気怠そうな俺を心配そうに見つめる愛彩。
それと対照的に、ご機嫌な椿。
昨日、俺は椿に道場で締め技を掛けられ、そのまま気を失ってしまった。
意識が戻る頃は、既に夕飯の時間。
学院の課題は睡眠時間を削ってやる羽目となり、お陰で寝不足だ。
光恵学院の授業は言わずもがな、レベルが高い。
故に、授業は寝てサボることは出来ない。
今日は一日、ぼんやりとした頭で授業を受けなければならないと思うと気が滅入る。
いまいち、気分が上がらないまま学院に到着。
愛彩と教室へ向かう途中、自販機のエナドリが目に留まった。
「愛彩。俺、ちょっと自販機で飲み物買ってから教室に行くから、先に行っといてくれ」
「あら、そうですか? お待ちしていますけど」
俺の目を引いたエナドリは二種類あるが、二つも買って飲んだら体に悪そうだ。
とは言え、どちらも好きな味なので迷う。
「どれを買うか決まってないんだ。先に行ってもらって全然大丈夫だぞ」
「そういうことでしたら、お先に向かいますね」
柔和な笑みを向けてから、教室へ向かった。
さて、どれを買おう。
俺は、愛彩から貰った超高級財布を取り出しながら悩む。
「ちゃんと使っているようだな」
昇降口で別れたはずの椿が、財布を覗き込みながら感心する様子で話し掛ける。
「うわ、居たのか」
俺は視線を青と緑のエナドリに戻した。
「どうした? 眠いのか?」
椿はニヤニヤしながら聞く。
「誰のせいだと思ってんだ」
「お前、自身のせいだろう。余計な発言をしなければ、こうはならなかった。違うか?」
「余計って……。庶民にも、色々あんだよ」
俺は吐き捨てるように言いながら、二つのエナドリを交互に見る。
よし、決めた。この青いエナドリから翼を授かろう。
「どれを買うか、決めたか?」
「あぁ。この青いやつ――」
俺が答えるより先に、椿はICカードでエナドリを購入する。
機械的な音をさせながら、自販機はエナドリを吐き出した。
椿は、そのエナドリを取り出し口から掴んで俺に突き出す。
「ほら」
俺は何をされているのか理解出来ずに居た。
頭の中は真っ白だ。
「これだよな? お前が欲しかったの」
「あ、あぁ。ありがとう……?」
「うるさい」
えぇ……。
俺は何と言えば良かったんだ。
「それより、その財布が似合う男になれ。お嬢様の為にもな」
椿は背を向けながら言い、二年生の教室がある二階へ足早に立ち去った。
椿から貰ったエナドリで何とか乗り越えられたが、ヘトヘトだ。
幸いにも、今日は金曜日。課題は明日以降に手を付けよう。
夕飯と風呂も済ませたし、あとは寝るだけだ。
ドアからノックが二回。返事をすると愛彩が入って来た。
薄いピンクのネグリジェ姿で、胸元からは白のランジェリーがチラっと見える。
「唯人さん、お疲れ様です。今日は調子が悪そうでしたので、ずっと心配しておりました」
貴女の従者のせいでね!
と言いたいところだが、二重で後から怖いので言わないでおく。
「なので、今日は唯人さんがゆっくり眠れるように、癒しをお届けに参りました♡」
そう言いながら、片手には耳かきを持つ愛彩。
俺のベッドに乗り、膝をポンポンと叩く。
「さあ、横になってください」
……拒否するのも面倒だし、何より眠すぎる。
早く寝られるのであれば何でも良い。
「あら。今日は、やけに素直さんですね」
驚きつつも、笑顔を保つ愛彩。
「こちらも細心の注意を払いますが、もし痛かったら言ってください」
少しずつ入ってくる細い棒が若干くすぐったいが、気持ちよくも感じる。
ゆっくりと時間を掛けながら、棒は奥に進む。
「どうですか? 痛くはないですか?」
「大丈夫。むしろ心地良く感じてきたよ」
「ご満足頂けて何よりです。この為に耳かきを特注して正解でした」
いつ特注したのか。そもそも耳かきの特注って何なのか。
ツッコミどころ満載だが、今の俺に返事をする気力は残っていない。
「お財布はお気に召して頂けましたか?」
「あぁ。まさか十五万円もするなんて、思いもしなかったけど」
ピタッと愛彩の手の動きが止まる。
しまった、つい本音が。
「……ご迷惑でしたか?」
「え」
意外な返答に、俺は目だけで愛彩の表情を確認しようとする。
しかし、表情を直接確認することは出来ず、見えるのは大きな膨らみだけだ。
「私は大切な人へ贈るプレゼントの相場を存じ上げませんでした。加えて、唯人さんが高価すぎるものは易々と受け取れないと仰ったことが気になってしまい……。ご迷惑だったら、申し訳ないなと思いまして」
どうやら本気で気にしているようだ。
毎回こんな感じだったら可愛いお嬢様なんだが。
「迷惑なもんか。逆に小銭を取り出す度にビリビリと音を立てることから卒業させてくれて、感謝してるぜ」
「本当ですか?」
珍しく、不安げな声音だ。
言ったこと自体、嘘ではない。本音である。
「本当さ」
暫く沈黙が続く。愛彩の表情は――
やはり、大きな胸で見ることは出来ない。
「すみません。少し良いですか?」
言いながら、愛彩はベッドから立ち上がって部屋を出る。
だが、すぐに戻ってきた。手には白くて高そうな財布。
「これは私のお財布なのですが。唯人さんに贈ったお財布と同じブランドで、且つ、同じ名前で売られているお財布でして」
その白い財布を見ると、確かに俺が貰った財布に似ていた。
「殿方用と婦人用で少し仕様は異なりますけどね。でも、憧れだったんです」
愛彩は、一呼吸おいてから続ける。
「お揃いのお財布を持つことが」
「え?」
「まるで、夫婦みたいじゃありません?」
「なっ……! 夫婦だと!?」
当然、庶民と大企業の令嬢では釣り合っていないのは明々白々だが、頬を赤らめながら艶然な笑みを浮かべる愛彩を見て、俺は不覚にも胸を高鳴らせていた。
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