第三話
気が付くとカーテンの端から日の光が漏れているのか、天井から薄らと朝の雰囲気を感じる。
とても良く寝れたと思う。
このベッド、寝心地が良すぎる。
もう少しだけ、ふかふかな布団を味わいたい。
そう思って寝返りを打つと、隣に添い寝する形で愛彩がジッと見ていた。
「おはようございます。よく眠れましたか?」
びっくりした。
咄嗟にベッドから飛び出てしまう。
「あらあら。そんなに照れなくても」
愛彩が、左頬に手を当てながら言う。
「照れてるとかじゃない! 普通、起きてすぐ隣に誰か居るとは思わないだろ!」
「ベッドはお体に合いましたか? 硬くなかったですか?」
このお嬢様。人の話を聞かないな。
「……硬さは丁度良かったよ。というか、とてもよく眠れた」
「それは良かったです! ベッドをオーダーメイドしてもらって正解でした」
「ちょっと待ってくれ。このベッド、オーダーメイドなのか?」
というか、どうやって俺の体重や身長を知ったんだ。
「寝巻のまま、というのもお行儀が悪いので、着替えましょうか。唯人さん、両手を上げてください」
頭の中にクエスチョンマークが浮かんだが、言われた通りに両手を上げる。
すると、愛彩は服の裾を掴もうとしてきたので静止させた。
「ちょ! タンマタンマ! いきなり何!?」
一瞬、きょとんとした顔をしてから、気にせず近寄ってくる愛彩。
「寝巻を脱がないと、お着替えが出来ないでしょう。さあ、両手を上げて――」
「いやいや! 流石に一人で着替えるから!」
「まあ。唯人さんったら、照れちゃって」
「照れるとかじゃない!」
恥ずかしさよりも、同い年の美人な女子に服を脱がされるというシチュエーションに変な気を起こしてしまわないかという心配のほうが勝る。
もう少しだけ寝心地の良いベッドを堪能する為に二度寝しようと思っていたが、このやり取りのせいで完全に目が覚めてしまった。
仕方ない。愛彩の言う通り、着替えよう。
服を脱ごうと裾に手をやるが、愛彩は一ミリも動こうとしない。
笑顔で俺のことを見る。
「あの。着替えたいんですけど?」
「どうぞ!」
「どうぞ、じゃなくて! 見られてると恥ずかしいし、部屋から出ていってくれるか?」
「お構いなく!」
「お構いするんだわ! 部屋から出てってくれ!」
俺はベッドに座っている愛彩を部屋から叩き出す。
着替え終わって洗面所に向かう為に部屋を出ると愛彩は廊下で待っていた。
屋敷は三階建てで、各階に洗面所とトイレを完備。
二階は主に使用人が使っていて、俺の部屋も予備の使用人用の部屋だったものだ。
顔を洗って歯を磨き終わると愛彩がタオルを差し出したので、俺は礼を言って受け取る。
洗面所の部屋を出て、エレベーターで三階へ昇る。
リビングダイニングが一階と三階にもあるが、普段から使っているのは三階らしい。
二人で部屋に入ると、既に椿が朝食を用意してくれていた。
食卓に並んでいるのは、上にちょこんと黒い何かが盛られているスクランブルエッグ。
それとハンバーグ。
……少し白っぽいから、恐らく豆腐ハンバーグだと思う。
あとはシンプルに盛られたサラダとフルーツとコーヒー。
豪華というより、落ち着いた上品さが印象的な献立だ。
何故か、向かい合ってではなく、隣同士に配膳されていた。
とりあえず席に着くと、愛彩が隣に座る。
「では、いただきましょうか!」
「いただきます。……因みに、このスクランブルエッグの上の黒い食べ物ってなんだ?」
「キャビアです。プチプチした食感で美味しいですよ」
人生初のキャビアを何気ない朝食で食べることになるとは思ってもいなかった。
「唯人さん?」
呼ばれたので顔を向けると、目の前にスプーンで掬われたスクランブルエッグとキャビア。
「はい、あーん」
「いや、自分で食べるが……」
「まあまあ。そう言わずに」
お嬢様なのに、とても面倒見が良いと思っていたが、それを通り越して過干渉すぎる。
起きてから、着替える時以外はずっと一緒に居るぞ。
「あーん」
躊躇していると、椿がテーブルに置いてあるナイフよりも鋭い目つきで睨む。
観念して、俺は口を開けて人生初の女の子からのあーんを受け入れた。
「あ、美味い。めっちゃ美味いぞ、これ」
卵のとろける食感とキャビアのプチプチした食感が絶妙に噛み合っている。
「お口に合って良かったです。こっちは、お豆腐のハンバーグですよ」
続けて、豆腐ハンバーグを口元へ運ばれる。
これも美味い。とにかく柔らかくて甘い。
甘いと言っても、自然な甘さだ。
サラダとフルーツも新鮮で、とても美味しかった。
終始、愛彩に食べさせてもらって朝食を食べ終える。
椿が手際よく食器を片付けていく。
その間、俺達はすぐそこのソファーで寛いでいた。
「あら、いけない。歯を磨かないと」
愛彩が思い出したかのように立ち上がり、部屋から出る。
朝に二回、歯を磨くのか。
お嬢様と言えど、その辺りは規則正しい生活を送っているんだな。
「唯人さんもですよ」
ソファーに戻って来た愛彩は片手に歯ブラシを持っている。
「あぁ、ありがとう」
俺は歯ブラシを手に取ろうとするが、渡そうとしてくれない。
代わりに太ももを二回、軽く叩いた。
「磨いて差し上げますから、横になってください」
「いや、それは……」
いくらなんでも、歯は自分で磨ける。
遠ざけられた歯ブラシに、俺は手を伸ばす。
「おい、貴様。愛彩お嬢様のご厚意を無下にするのか? 殺すぞ」
「……」
食器を片付けている椿が、ステーキナイフを片手に睨んでいる。
あれは、狩人の目だ。
助けを求めようと隣を見るが、愛彩は黙って微笑しているばかり。
俺は項垂れてから、愛彩の膝に頭を乗せた。
「はい、お口を開けてくださーい」
真っすぐ見つめられながら言われ、つい目を逸らす。
左下の奥歯から磨かれていく。
とても優しく、撫でていくように。
「痛くありませんかー?」
「あう。あいよーう」
口を開けながら「うん、大丈夫」と言ったが、当然うまく発音出来なかった。
膝枕をしているからか。
愛彩から香る甘い、桃のような匂いが鼻腔に広がる。
……これは、歯磨きどころではないぞ。
「ああ(なあ)。いっあい、うおっう(一旦、ストップ)」
愛彩は言葉にならない俺の声の意味を理解したのか、手を止めてくれた。
「どうかされましたか?」
「……自分で磨いても良いか?」
「あら。恥ずかしくなってきたんですか?」
無言で頷く俺をニコニコと見つめる愛彩。
奥の方で食器を思い切り置く音が聞こえる。
「……いや、やっぱりお願いします」
再び香るフルーティーな匂いと後頭部の柔らかい感触。
愛彩は俺の歯磨きを再開させるのと同時に、頭から左頬にかけて空いている手で包み込むように添えた。
「唯人さんは、本当に可愛いですねぇ」
愛彩は恍惚な表情を浮かべながら、黙々と歯ブラシを持った手を上下させる。
その表情は、子を見守る母親のようでもあり、ヒモ男を世話する女社長にも思えた。
これじゃあ、俺。愛彩のペット同然だな。
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