第二十三話
今日は上京してから二回目の日曜日。
昨日に続き、俺は今日も愛彩と行動を共にしていた。
バイトの求人は結局、少ししか探せなかったが……。
車から降りると真っ先に視界を覆ったのは綺麗な建物。
都内の文化ホールに、俺と愛彩、椿の三人で来ている。
「では、時間になったらよろしくお願いします。執事長」
八ヶ崎家に仕える執事長、桜寿さんは軽く会釈をしながら車を走らせて行った。
「楽しみですね。とても」
静かに言う愛彩。
どうやら、ファンのピアニストがコンクールに出場するらしい。
本当に楽しみに思っているのか?
と捉えられても不思議ではない声のトーンだが、明らかに気合いの入った服装だし、僅かに目の奥をキラキラさせている。
俺には見える、楽しみのあまりブンブンと振り回している尻尾が。
「では、参りましょうか」
俺と椿は愛彩に続く形で後ろを歩く。
外装と同様に清潔感のある建物内は、そこそこ多くの人で溢れていた。
中には晴れ晴れしい衣装を着た演奏者らしき人も居る。
そのままホールの中へ入り、謎の期待感と若干の焦燥感を感じながらチケットに書かれた番号の席に着座した。
愛彩の顔を見ると相変わらず笑顔を崩していないものの喜んでいる犬のように尻尾を振っており、一方の椿は静かに目を瞑っている。
「愛彩が推している奏者って、何番目に出るんだ?」
「ラッキーなことに、一番目なんです」
「トップバッターか。さぞかし、緊張するだろうな。しかも、高校生だろ?」
「えぇ。高校三年生です。私達の二つ、上。でも、大人のプロも顔負けのレベルなんですよ! 本当に凄いです」
愛彩はうっとりしながら続ける。
「柔らかくて綺麗で、それでいて力強い演奏なんです。もう私、彼女が演奏するピアノの虜で……」
よほど演奏者のピアノが好きらしい。
それにしても安心した。
愛彩に俺の世話以外で熱中できるものがあって。
開演を知らせるブザーが鳴り、女性のアナウンスが入る。
「唯人さん。私、とっても楽しみです!」
声を弾ませる愛彩は、肘掛けに乗せていた俺の手を力強く握った。
演奏を聞き終わったわけだが……。
確かに心を惹かれるものがあった気もするし、愛彩が夢中になるのも頷ける。
「お目当ての演奏が聞けたので、帰りましょうか」
演奏の余韻に浸っていると、小声で言う愛彩。
「え、もう帰るのか?」
声のボリュームを抑えたつもりだったが、何人か近くの観客が俺をチラっと見る。
「うるさいぞ、早く歩け。間抜け」
小声で文句を言われつつ、アキレス腱を蹴られる俺。
流石に椿も加減をしたのか、叫ぶほどの痛みではなかった。
痛いことには変わりないが。
腰を低く落としながら出口へと向かう俺達三人。
ロビーに出ると爽やかな解放感と、腰に激痛が走る。
「いててててっ!?」
海老のように背を反らしながら飛び跳ねてしまう。
椿が腰をつねったのだ。
「お嬢様にまで恥をかかせやがって。『もう帰るの?』じゃねーよ。馬鹿野郎」
「す、すまんって。本当に」
暴力は良くないが、今回は全面的に俺が悪いので平謝りする。
俺の誠意が伝わったのか、その後の追撃は無く特大の舌打ちだけで済んだ。
「あ、お嬢様。あそこ……」
椿が耳打ちした途端、愛彩は目を輝かせる。
「……ッ! 私の推し! ……二人とも。申し訳ないのだけれど、ここで待っていてください。私、演奏の感想を伝えに行ってきます」
俺達が返事をする間もなく、愛彩は鼻息を荒くしながら子犬がダッシュするかのように行ってしまった。
目で追うと、その先にさっきまでステージに立っていた演奏者が何人かの人に囲まれて居る。
「あの演奏者、有名なのか?」
「業界では、かなりの有名人だな」
椿は何故か得意げに、そのまま解説していく。
「遺伝なのか。彼女の父親は有名なオーケストラの指揮者、母親はプロのオペラ歌手。子も天才なら、親も天才と言ったところか」
「凄すぎるだろ、それ。プロでバンバン活躍してそうだな」
「いや、そういう訳でもなくてな」
俺が首を傾げると、椿は続けて説明する。
「何故か埼玉の公立校に在籍していてな。今回のコンクールも三年ぶりの出場だ」
「あー……。だから、愛彩はあれほど楽しみに」
無言で頷く椿。
よく見てみると椿の言う通り、どこか品のあるオーラを放っている気もする。
あまり時間が経っていないのに、そそくさと戻ってくる愛彩。
「あれ、もう良いのか?」
俺が聞くと、愛彩は満足げに笑う。
「彼女のお友達がお見えになりまして。私は部外者ですから、お暇致しました。それにしても、彼女は人望も厚くて素敵です……」
目を向けると、確かに同級生らしき男女に囲まれている。
なんか、楽しそうだな。
「さて、帰りましょうか」
「ほ、本当に帰るのか?」
「えぇ。十分に満足しました!」
愛彩は喜色満面に答えた。
……そういえば、今日の出来事で思い出したことだが。
あの時の、金髪の少女も同じようにピアノを弾いていたような気がする。
「愛彩もさ。昔、ピアノ弾いてたりしてたか?」
俺は心の声を漏らすように聞いてしまい、自分で自分の口を引きつらせた。
愛彩も目を丸くさせている。
「私は……」
一息だけ置いてから、愛彩はいつもの感じで。
「自分自身で弾くより、人様の演奏を聞く方が好きです」
優しく微笑みながら、儚げに答えるのだった。
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