第十七話
いつものように目覚めた朝。
大きな欠伸をしながら制服に着替える。
手洗いと洗顔を済まし、朝食を食べにリビングへ向かう。
「な、なんだこれ?」
テーブルに並べられている驚きの光景に、俺は思わず声を発していた。
見ると、納豆が一パックと生卵一つ。
それと茶碗にこぢんまりと盛り付けられた白米。
キッチンのほうへ目をやるが、人の気配は感じない。
いつもなら椿か執事さんが居るが、静寂が広がるばかりだ。
そうは言っても、家を出る時間は刻一刻と迫っている。
とりあえず、用意されているものを頂くとしよう。
……白米が冷めている。
良く見ると茶碗の端に細かい米粒が固まっている。
どう考えても最後の最後に装った白米にしか思えない。
出来ることなら電子レンジで温めたいところだが、俺は生憎キッチンに入ったことがない。
流石に電子レンジくらいはあるのだろうが、勝手に使うのも良心が痛む。
仕方なく、この冷めた白米に納豆と卵を入れ、掻き混ぜた。
でも、たまには一人で朝食を摂るというのも悪くない。
いや、むしろ快適なまである。
この屋敷に住むようになってからは愛彩にほう助されてばかりだったし、自分のペースで食事できていなかった。
俺は今、とても羽を伸ばせていて清々しい気分だ。
「痛っ!?」
突如として後頭部に痛みが走った。
振り向くと椿が制服姿で俺を見下している。
「いつまで食べている。早く屋敷を出るぞ」
椿の発言に焦って時計を見るが、まだ家を出るには三十分ちょっと早い。
「もう屋敷を出るのか?」
「今日は運転手が不在だからな。徒歩で登校する」
そうだったのか。なら、のんびりと朝食を楽しんでいる暇もなさそうだな。
「愛彩も歩いて登校するのか?」
「愛彩お嬢様は既に屋敷を出られた。今日は仕事の関係で学院も欠席される」
「仕事? 愛彩は仕事しているのか? 高校生だぞ」
「別に高校生でも仕事はするだろう。私だって高校二年生で八ヶ崎家のメイドだ」
「あ、そうか……」
……それで言ったら、俺も働けるじゃん。
今の生活を考えれば週末に少しだけアルバイトするのが現実的だと思うが、いずれにせよお世話されっぱなしというのはどうも気が引ける。
「そうだよな。皆、自立して働いてるよな。俺も何かバイトでも探すかぁ……」
再び後頭部を叩かれる。さっきより痛い。
「お前は馬鹿か? お嬢様に世話を見てもらっているんだから、働く必要なんて無いだろう」
「いや、流石に世話になりっぱなしっていうのは……」
「黙れ。殺すぞ」
「…………」
ずっと疑問に思っているのだが、椿が俺に対する当たりの強さは一体どこからやってくるものなのか。
最初は嫌われているだけかと思っていたが、どうもそうとも限らない感じで。
「良いから早く食べろ。ほら、牛乳だ。これでそれを掻き込め」
「あぁ。ありがとう」
このように変なところで面倒見が良いというか。
この前もジュースを奢ってくれたし。
まるで、ぶっきらぼうな兄という感じ。
まあ、柔道の絞め技で落としてくるような兄はごめんだが。
「あれ。今日、八ヶ崎さんは居ないの?」
一人で教室に入った俺を見て、いち早く指摘する華娜。
「なんか、用事があるとか言ってな」
実のところは仕事で欠席ということ以外は何も聞かされていないが。
「そうなんだ。じゃあ、お昼ご飯。一緒にどう?」
椿から今日の昼はどうするか聞いていないが、まあ今日くらいは俺の好きにしても良いか。
「オッケー。四限終わったら購買にでも行くか」
「やったー! 楽しみにしてるね、唯人」
ニカッと笑いながら、華娜は手洗いに行くと言って教室のドアを跨いだ。
「女たらし」
後ろからボソッと言われる。
振り返るとジト目のレンが立っていた。
いつから後ろに居たんだ。
「な、なんだよ……。華娜は、ただの幼馴染だ」
「ラノベ主人公、ヤリチン、伊〇誠」
「流石に言い過ぎだろ」
少なくとも、知り合ったばかりの相手に言う事ではない。
「ぶっちゃけさ。もしエッチするならどっちいくの?」
「お前なぁ……」
入籍もしていないのに、そんなことはしない。
絶対に。
ましてや、高校生同士で行為に及ぶなど言語道断。
「そういうのは、結婚してからだろ」
「私は? 唯人君が相手なら良いよ」
「は!?」
呼吸音が聞こえるくらい顔を耳に近づけるレン。
「多分、あの二人より満足させられるよ」
「ば、馬鹿。だから、そういうのは結婚してからだって」
先程までのサキュバスのような笑みから一転して、レンは冷めた表情で見てくる。
「唯人君って、童貞だよね」
こいつは、本当にお嬢様なのか……?
会話に出てくるワードを聞くと、とてもそうは思えない。
その辺の下ネタ好きなJKと話していると錯覚するくらいは、お嬢様感が無い。
「童貞で悪いか。俺は責任を取れる立場になるまでは絶対にそういうことはしないって決めてんだ」
そう言うと、レンは「ふーん」と感心した様子で言いながら、俺のつま先から頭まで舐めるように見る。
「そういうところに、あの二人は惚れたのかねぇ。ま、せいぜい男を見せろ。碧木唯人ぉー」
俺の肩をポンと二回叩いてから、レンは自分の席へと戻る。
辺りを見ると、教室内は徐々に人が増えて賑やかになってきた。
今日もいつも通り授業が始まる。
いつもと違うことと言えば……。
愛彩が不在の為、介護と言っても差し支えないレベルのお世話を受けず伸び伸びと自分のペースで学院を過ごせる、ということだ。
「一緒にお昼ご飯を食べるの、久しぶりだね」
「言われてみれば、そうだな。浜松の時以来か?」
「うん!」
購買で昼飯を買った俺達は談笑しながら屋上に向かっている。
華娜がドアを開けると彼女の甘い匂いが風にのって俺の鼻をくすぐった。
普通の高校生っぽく床に座り、ポリ袋の中から焼きそばパンのフィルムを外す。
一方の華娜は梅の入ったおにぎりのフィルムを外していた。
「いただきます!」
おにぎりを頬張る華娜は妙に嬉しそうだ。
……こいつ、俺に直接初恋相手だと言った上で、よく昼飯に誘えたよな。
俺にその気はないにしろ、流石に緊張する。
一体、どういう神経をしているのだろうか。
ジト目を向けていると、華娜が俺の視線に気付く。
「……なに? あげないよ?」
「別に狙っとらんわ!」
「じゃあ一体……。あ、いやらしいこと考えてたとか? 唯人のエッチ!」
ぷくっと頬を膨らませながら、薄い胸元を両手で隠す華娜。
「一ミリも考えてないわ……。全く」
俺はため息交じりに焼きそばパンをかじる。
うん、美味い。庶民の味だ。
「そこは一ミリくらい考えてくれても良かったんだよ?」
そう言いながら、華娜は腰を逸らして胸を強調するようなセクシーポーズをする。
「華娜って、そこはあまり成長しなかったよな」
「失礼な! ここは……。そう、これからだよ。あと一年。いや、二年もすれば……」
何やらぶつぶつ言い始めたので、意識を焼きそばパンに戻す。
この前のマックと言い、こういった庶民の食べ物は五臓六腑に染みわたる。
特に紅しょうが。これが舌先に良い感じの刺激を与えてくれた。
「くっ……! やっぱり、唯人は八ヶ崎さんや甘南備さんみたいに大きい子が好きなんだね」
「は? いや、別にそこは重視してないというか。ていうか、今食事中だぞ」
「でも、昨日だって八ヶ崎さんに抱きつかれて鼻の下を伸ばしていたよね?」
こいつには、そう見えていたのか。
俺は鬱陶しいと思いながら頭を叩いて撃退した記憶しかないんだがね。
「そもそも胸の大きさとか関係なしに、美人に迫られたら焦るって」
愛彩に関しては、大分慣れたけども。
華娜が口元についた米粒を舌先で舐め取ると、急に顔を近づけてきた。
「な、なんだよ……。近いって」
まじまじと真顔で見られるのも照れ臭い。
頭を後ろに仰け反らせるも、一定の至近距離を保つ華娜。
「動かないで」
華娜が更に顔を近づけて、お互いの唇が接触しそうな勢いに俺は思わず目を瞑る。
だが待っていたのは布で口元を拭かれる感覚。
目蓋を開けると、華娜はソースで汚れたハンカチを手に苦笑していた。
「汚れてると思ったらソース付いてたよ。お行儀悪いなぁ、唯人は」
やれやれと肩をすくめる華娜。
「う、うっせぇ」
華娜のことは、ただの幼馴染としか思っていなかったが、予測していなかった不意打ちと昨日のカミングアウトによって、不覚にも胸を高鳴らせてしまった。
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