第十三話
掛け声と歓声が交じり合う体育館。
体育の授業でバレーボールの試合が行われている。
光恵学院は六月に学校行事としてバレーボール大会が開催されるのだが、今回はそれに向けた模擬試合であることに加えて、学年内の交流も兼ねているのだとか。
二クラス合同で各クラス三チームに分かれ、俺のチームは観戦中だ。
「きゃー! 八ヶ崎様、素敵!」
奥のコートを見ると、愛彩が華麗にアタックを決めて点数が入った。
愛彩は背が高い。
身長百七十二センチの俺より少し低いくらいで、クラスの女子の中では高身長な部類だ。
手前のコートに目を遣ると、華娜が親の仇の如く相手チームを睨みつけている。
善戦している愛彩のチームとは対称的に、華娜のチームは苦戦を強いられていた。
……そういえば、昔から運動が苦手だったな。
芸術一筋で、音楽分野に関しては群を抜いているとは思うが。
華娜は両手で頬を叩いて気合いを入れる。
思い切り打ったサーブはコートから外れて――
体育座りをしていた甘南備レンの顔面にクリティカルヒットした。
甘南備さんは、そのままベチンと倒れ込む。
「だ、大丈夫か……?」
たまたま近くに座っていたので声を掛けると、ヌクっと上体を起こす甘南備さん。
「…………」
ただただ黙って見つめられる。
華娜も慌てて駆け寄って来た。
「私としたことが、ごめんなさい! って、甘南備さん。鼻血が……」
甘南備さんの鼻から垂れている血を見て顔を真っ青にさせる華娜。
「大丈夫ですぅ……。お気になさらず」
周りは慌てふためいている中、当の本人は平気そうに鼻を抑えながら立ち上がる。
いや、やはり体はダメージを喰らっていたらしく、蹌踉めきながら座り込む。
「あれ……? 体に力が、入らない……」
困惑している甘南備さん。
「とりあえず、保健室に行こう。立てるか?」
「私のサーブが原因だから……。ここは、私が」
冷や汗を掻きながら言う華娜。
「…………」
甘南備さんは、無言のまま俺と華娜を交互に見る。
「お二人とも、ありがとうございます。今回は、最初に声を掛けてくださった碧木様にお願いしようと思います」
純粋無垢な笑顔を向ける甘南備さん。
それを聞いた華娜は納得していない様子。
「でも……」
「大丈夫ですよ、東福寺様。事故のようなものですし。どうか、お気になさらず」
「で、でも!」
一向に華娜が引こうとせず、若干困り出す甘南備さん。
こいつ、小学校時代から頑固なところがあるんだよな。
「甘南備さんもこう言ってるし、俺に行かせてくれ。それに、試合の途中で抜ける訳にもいかないだろ?」
「そうだけど……」
本当に聞き分けが悪い。
仕方ない、強行手段を取るとするか。
「あ、先生。甘南備さんが怪我をしたので、保健室に連れて行きます」
「唯人ぉ、お前……!」
今にも泣き出しそうな顔になる華娜だったが、ここは我慢してもらうしかない。
俺は先生の許可を得てから甘南備さんを連れて体育館の外に出てドアを閉めた。
「血、止まんない……」
甘南備さんは鼻を摘まみながら顔を下に向けているが、手からポタポタと血が流れている。
「これ。良かったら使ってくれ」
咄嗟にポケットからハンカチを取り出して、甘南備さんに渡す。
「…………」
ハンカチをジッと見つめる甘南備さん。
「でも、汚れてしまうのでは……」
「そんなこと。全然、気にする必要は無いぞ。どうせ洗濯するんだし」
甘南備さんは、俺の顔をチラっと窺ってから無言で受け取る。
「ん……」
受け取ったハンカチで鼻を抑えながら一緒に歩き出す。
「あっ……!」
だが、数歩だけ歩いたところで躓いてしまう。
出血のせいで貧血になっているのかもしれない。
「私、少し休んでから行きますので……。碧木様は授業に戻って大丈夫ですよ」
「流石に、それは……」
うーん、どうしようかな。
見た感じ、フラフラしていて危なっかしい。
立っているだけで精いっぱいという感じだ。
「背中に乗ってくれ。勿論、甘南備さんが嫌じゃなければの話だが」
俺は甘南備さんの前に屈んだ。
「…………?」
「あぁ、すまん。おんぶするって意味だ」
「…………」
甘南備さんは、ボーっと俺の背中を見続けている。
あれ、伝わっていないのかな。
「では、遠慮なく」
彼女の雰囲気が変わった。
普段の清楚さは影も形もなくなり、良く言えば可愛らしい感じの声で、悪く言えばお調子者な感じの声。
彼女はそのまま、ポフっと俺の背中に身を預ける。
案外重いな、甘南備さん。
「こいつ、意外に胸デカいなって思ったでしょ」
「えっ」
「……図星?」
「あ、いや。えーっと、まあ」
微妙に違ってはいるが、ここは話を合わせておいたほうが安全そうだ。
「……もしかして、重いなって思った?」
「まさか! そんな」
中々に鋭い勘をしているな。
彼女とのやり取りは少し気を付けよう。
「というか、普段と大分雰囲気が違うようだけど……。やっぱ頭を打ったからか?」
「あはっ。君、面白いねぇ。普段のは演技だよ。これでも甘南備グループの一人娘だからね」
「は、はぁ……。さいですか」
いつも愛彩と過ごしているせいで感覚が麻痺していたが、冷静に考えれば甘南備グループの令嬢も相当な大物だ。
俺が想像する範疇を超える程の苦労を強いられているのかもしれない。
「それと、君の匂い嗅いだら落ち着いちゃってさー。演技モードが強制解除されちった」
なんだそれ。俺はアロマか?
「てか、良いの? 浮気しちゃって」
「浮気……?」
「ほら。唯人君って八ヶ崎愛彩の婚約者でしょ?」
「あ、あー……」
華娜に続いて、ここでもこの設定が面倒事を呼び込んだ。
愛彩が大っぴらに発表していた姿を思い出して、ストレスで頭がクラっとする。
「あれ? 違うの?」
「いや、まぁ……。ははは……」
「凄いよね。八ヶ崎愛彩と婚約しちゃうなんて。因みに、もうセックスはしたの?」
「はっ!?」
いきなり何を言い出すんだ、この人は。
驚きすぎて思わず足を止めた俺に、甘南備さんは構わず続ける。
「だって婚約者でしょ? エッチくらいするかなって」
本当に婚約者だったとしても、そんなことは高校生同士で軽々しくしない。
少なくとも、俺はそう思う。
「……君、本当に八ヶ崎愛彩と婚約してる?」
思考を読んでいるのか……?
勘が鋭いとか、そういうレベルではないぞ。
「お昼休みに二人で旧校舎へ行ってるの見てさぁ。あれ、絶対セックスしてると思ってたんだけど、違ったかぁ……」
「学校でそんなことしないわ!」
「もし私に彼氏がいたら、するけど」
「なっ……! そう言うことは、軽々しく言うもんじゃない!」
「えー。だって、普段は立場的に言えないし」
「立場は関係無いだろ!」
「え?」
甘南備さんは裏返った声で問い返すが、俺は構わず続ける。
「たとえ、お嬢様じゃなかったとしてもな……。今日、初めて話すような奴に、そういう話題をするのは良くないに決まってるだろ! 勘違いされるぞ」
「えっと……」
「大体、初対面を相手に易々と警戒を解くもんじゃない。俺は忘れていたけど、甘南備グループの令嬢ってことは、弱みを握りたい奴が居るかもしれないだろ? 自分の身を守る為に、安直な言動は避けたほうが……」
しまった。つい、怪我人相手にアツくなってしまった。
しかも、初対面。とんだダブスタだ。
「唯人君は、勘違いしたってこと?」
「……勘違いはしてない、けど」
「けど……?」
「少しドキッとはした」
女子の口からセックスだの、エッチだの。誰かに聞かれているんじゃないかと思うと、聞いていてヒヤッとする。
「ふーん……? ねえ、唯人君」
「どうした。甘南備さん」
「ちょっと付き合ってよ」
「……はい?」
あれ? 俺が言ったこと、まるっきり伝わっていなかったのか?
お互いに顔が見えないので、意思の疎通が難しい。
「あ。一緒に、お茶しよってことだよ。ヤンキー風に言ったら、面を貸せってこと」
「……それだとボコボコにするから、こっちに来いって意味にならないか……?」
「そうなの? ま、兎に角! 今日の放課後、付き合ってよね」
「え、今日か?」
「うん。私、君のことが気になってきちゃった」
右肩を掴む彼女の手が、少し強くなった気がした。
「おんぶしてくれて、ありがと!」
そう言いながら、俺の背中から滑るように降りる甘南備レン。
保健室のドアに手を――
掛けず、朱鷺色の髪を揺らしながら振り返る。
「あと! 私のことも下の名前で呼んで? レンって」
とびっきりの笑顔。
だと思うが、未だに止血出来ておらず、ハンカチのせいで顔がよく見えない。
「……とりあえず、ゆっくり休んでくれ。レン」
「うん! にしし」
いたいけに笑うレン。
……なんだろう。
大半の男子は、ここでときめいて恋に落ちてしまうのだろうが、依然として不安が勝る。
俺にとっての甘南備レンは、清楚で丁寧な口調のお嬢様から一転して、危なっかしい能天気でお調子者の放っておけない女子へと認識が改められた。
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