第8話 不器用な医者
町に着いた頃には、ヒスイの息はすっかり浅くなっていた。
ターレンに抱えられたヒスイを見て、道行く人が指をさす方向へ、私たちは走った。看板もない、質素な木の扉。ターレンが叩く前に、中から扉が開いた。
「――急患か」
低く落ち着いた声。戸口に立っていたのは、白い診察着を羽織った、まだ若い男だった。
一瞬、息が止まった。
理由はわからなかった。ただ、その顔立ちのどこかに、覚えのある何かがある気がして、目を逸らせなかった。
「熱が下がらない。三日前からだ」
ターレンの声で、我に返る。男はヒスイを一目見るなり、無言でうなずき、奥へ促した。
診察台の上に横たえられたヒスイの体を、男は慣れた手つきで診ていく。まぶたをめくり、脈を取り、耳の裏にそっと触れる。無駄のない、静かな動きだった。
「――脱水と、感染。薬を出す。数日は安静に」
言葉数は少なかった。抑揚も少ない。それなのに、その声には奇妙な安心感があった。まるで、それだけで大丈夫だと信じられるような。
「ここは初めて見る顔だな」
薬を調合しながら、男が唐突にこちらを見た。
「――希、です」
「希、か。おれは、ラン」
そっけない自己紹介。目も合わせず、乳鉢で何かをすり潰しながら。
それなのに、なぜだろう。その素っ気なさが、少しも冷たく感じられなかった。
「あんたも、顔色が良くない。ちゃんと寝てるのか」
「……え?」
「連れの心配で、自分のことは後回しにするタイプだろう。顔に書いてある」
言葉を失っていると、男は少し困ったように――本当に、少しだけ――口の端を上げた。それが精一杯の愛想笑いだと分かるくらい、ぎこちない表情だった。
「別に、責めてるわけじゃない。ただ、倒れられると困る。看病する相手が二人になる」
その不器用な気遣いに、なぜか喉の奥が熱くなった。
誰かにこんな風に気にかけられたのは、いつ以来だっただろう。慧を心配することばかりで、自分のことなど、誰にも――自分自身にさえ、後回しにされてきた気がした。
「……ありがとう、ございます」
「礼はいい。座って、これでも飲んでろ」
差し出された温かい茶を両手で包む。男は――ランは、それ以上何も聞いてこなかった。ただ黙々と、ヒスイのための薬を作り続けていた。
その横顔を見つめながら、私は自分の中の、あのざわつきの正体に、まだ気づいていなかった。
ヒスイの熱が下がるまで、私たちはランの家に滞在することになった。
診療所の裏手にある小さな部屋を借り、ターレンは町の仕事を手伝いに出かけていく日が多かった。残された私は、暇を持て余してはランの診療を手伝うようになった。薬草を刻んだり、包帯を巻いたり、大したことはできなかったが、ランは嫌な顔ひとつせず、簡単な作業を任せてくれた。
「――こう。もっと薄く」
ランの手が、私の手に重なる。薬草を刻む力加減を直されて、思わず手が止まった。
「……すみません」
「謝ることじゃない。慣れの問題だ」
素っ気ない言い方だったが、その手つきは丁寧だった。誰かに何かを教わるということが、こんなに久しぶりだとは思わなかった。




