第3話 中学生になった私
その夜から、私は眠れなくなった。
目を閉じるたび、あの喋るぬいぐるみの声が耳の奥で蘇った。「また来たのか」。あの一言が、何度も、何度も、頭の中で繰り返された。
慧が消えてはまた戻ってくる。その繰り返しを、私はただスマホの画面越しに見ていることしかできなかった。声をかけても、慧は何も答えない。まるで、私の知らない世界に半分足を踏み入れたまま、こちらを見ていないようだった。
何度目かの夜、光が満ちる瞬間、気づけば私は部屋を飛び出していた。
慧の部屋のドアを開けると、ちょうどライオンが低く唸ったところだった。金色のたてがみが揺れ、まぶしい光が部屋いっぱいに広がっていく。
「待って――!」
考えるより先に、体が動いていた。光の中に飛び込む。熱くも冷たくもない、ただ眩しいだけの光に全身が包まれる。耳の奥で風のような音がして、足の裏から床の感触が消えた。
どれくらいの間、そうしていたのか分からない。
気づいたときには、見知らぬ場所に立っていた。
見上げるほど高い木々。頭上を覆う葉の隙間から、白っぽい光が差し込んでいる。空気は湿っていて、どこか懐かしい、土と緑の匂いがした。
慧の姿はどこにもなかった。ライオンの姿も。
「慧――!」
呼びかけた声に、自分でも戸惑った。想像していたよりずっと高く、幼い声だった。
嫌な予感がして、近くの水たまりを覗き込む。
映っていたのは、見慣れた四十過ぎの顔ではなかった。丸みの残る頬、肩までのおかっぱ髪。着ているのは、見覚えのない、けれど妙にサイズの合う制服。
――中学生の、自分だった。
水面に映る顔を、何度も瞬きをして見つめ直した。それでも、映る姿は変わらなかった。
手を握ったり開いたりしてみる。小さな、骨ばった感触のない指。自分のものとは思えないのに、確かに、自分の意志で動いている。
「――噓」
声に出しても、現実は変わらなかった。木々のざわめきだけが、静かに耳を打っていた。




