第23話 言葉にする
「母さんは、本当に、何も覚えてないんだな」
「うん。ごめんね」
「謝らなくていいよ。……なら、おれから話すよ。全部、忘れてるなら、なおさら」
慧は、しばらく黙って、炎を見つめていた。答えを探すように、あるいは、答えを言葉にする勇気を集めるように。
「おれ、学校に行けなくなってたんだ。向こうの世界で」
「――そうだったの」
初めて聞く話のように、素直にそう思った。実際、初めて聞いているのだった。
「怖かったんだ」
やがて、ぽつりと、そう言った。
「教室に入ると、みんなが自分を見てる気がして。何も悪いことしてないのに、何か間違えたらどうしようって、ずっと。息が、うまくできなくなって」
「……そうだったんだ」
「母さんに言ったら、心配かけると思った。がっかりされるかもって。だから、言えなかった」
その言葉に、胸が締めつけられた。理由は思い出せないのに、締めつけられる痛みだけは、確かにあった。
「がっかりなんて、しない」
「でも」
「でも、じゃない」
思わず、強い声が出た。慧が、驚いたようにこちらを見る。
「私は、あなたのことを、何も覚えていない。それが、悔しくて仕方ない。でも、今の話を聞いて、分かったことがある。あなたが苦しんでいたときに、私は、それに気づいてあげられなかったんだと思う」
「母さんが、謝ることじゃないよ」
「ううん。多分、私は、あなたを分かろうとする代わりに、"元に戻ってほしい"とばかり思ってたんじゃないかな。学校に行けば、それで解決するんだって。……記憶はなくても、そういう自分だった気が、なんとなくする」
慧は、しばらく黙っていた。それから、小さく笑った。今までのどんな笑い方とも違う、少しだけ、肩の力が抜けたような笑い方だった。
「ここに来て、医者やってて。誰かの話を聞くの、最初は本当に苦手だった」
「そうなんだ」
「一度、どうしても治せなかった患者がいてさ。原因も分からなくて、ただ、毎日、話を聞くことしかできなかった。それでも、その人、最後に『聞いてくれてありがとう』って言って帰っていった。治せてもいないのに」
慧は、少し困ったように笑った。
「あれ以来、分からなくなったんだ。治すことと、そばにいることの、どっちが本当に大事なのか」
炎が、ぱちりと爆ぜた。
「母さんも、おれのこと、そのまま受け止めてくれる?」
「うん」
迷わず、そう答えられた。
「学校に、行かなくてもいい。行けなくてもいい。ただ、あなたがどうしたいか、これから、ちゃんと聞かせてほしい。記憶はなくても、ここから、また積み重ねていきたい」
慧の目に、また涙が浮かんだ。今度は、さっきとは違う涙のようだった。
「――ありがとう」
その一言に、何かが報われた気がした。すべてではない。それでも、確かに、何かが。
ライオンが、静かに二人のそばに寝そべり、目を閉じた。もう、苦しそうな様子はどこにもなかった。ただ穏やかに、寄り添うように、そこにいた。
けれど、私には、まだやるべきことが残っていた。ターレンと、ヒスイのことだ。




