第22話 焚き火の向こうに
泉のほとりで、ヒスイ――いや、今はもう人の姿に戻った少女と二人、夜を過ごしていた。
焚き火の向こうで、少女がふと空を見上げた。
「――何か、来る」
その声に、私も顔を上げた。夜空の向こう、金色の光が、こちらに向かって近づいてくる。
光は、みるみるうちに大きくなり、やがて、翼を持たないはずのライオンが、風を切って舞い降りてきた。その背には、一人の男が乗っていた。
心臓が、大きく跳ねた。理由は分からない。それでも、体が勝手に、立ち上がっていた。
ライオンが地に足をつけると、男は静かに降り立った。焚き火の明かりに照らされたその顔を見て、私は言葉を失った。
「あなたは……」
「――希、だな」
その声。あの、不器用な優しさを持つ声。
「なぜ、ここが」
「分からない。ただ、来なければならない気がした」
男は、戸惑ったように、こちらを見つめていた。何かを探すような、思い出そうとするような目だった。
ライオンが、静かに私の方へと歩み寄ってくる。金色の瞳が、まっすぐにこちらを見つめていた。
その瞳を見た瞬間、堰を切ったように、涙があふれ出した。
「――慧」
自分でも、なぜその名前が口から出たのか分からなかった。それでも、迷いはなかった。この子が、自分の息子だということだけは、疑いようもなく分かった。
男の表情が、大きく揺れた。
「今、なんて」
「慧。あなたは、私の息子です」
一歩、また一歩と、私はライオンに近づいた。震える手で、そのたてがみに触れる。温かかった。この温もりを、知っている気がした。いつ、どんな時に触れたのか、それはもう、思い出せなかったけれど。
「うまく、説明できないんです。あなたとの思い出を、何一つ思い出せない。生まれた日のことも、初めて名前を呼んだ時のことも、何も。それなのに、あなたが私の息子だということと、大切だということだけは、はっきり分かるんです」
男は――慧は、呆然と立ち尽くしていた。
ライオンが、低く、長く、吼えた。その声に、何かが共鳴するように、男の瞳が揺れる。
「――母さん?」
かすれた声だった。
「母さん、なのか」
「うん」
「おれは、なんで、ここに」
「思い出さなくていい。今は、それでいい」
私は、腕を広げた。大人になった体を、それでも精一杯、抱きしめた。ライオンが、二人を包むように、そっと寄り添った。
「ごめんね。うまく、思い出せなくて」
「――母さんが、来てくれるなんて」
その声は、震えていた。慧は、そっと私の肩に顔をうずめた。
焚き火の炎が、静かに、二人を照らしていた。
焚き火の熱が、少しずつ落ち着いていく頃、慧は、ゆっくりと体を離した。まだ、涙の跡が頬に残っていた。




