第11話 波長が合う
作業の合間、ランはあまり多くを語らなかった。それでも、ぽつりぽつりと言葉をこぼすことがあった。
「昔は、こんなに人前で喋れなかった」
ある夕暮れ、薬棚を整理しながら、ランがふと漏らした。
「今も、得意なわけじゃない。……でも、患者は、こっちが黙ってたら不安になる。だから、話す」
「意外です。そんな風には見えません」
「見えないように、してるだけだ」
そう言って、ランは少し困ったように笑った。あの、不器用な笑い方だった。
「希は、よく喋るな。おれの前だと、特に」
指摘されて、初めて気づいた。確かに、この数日で、私はランの前でだけ、驚くほど自然に言葉が出ていた。家では、慧に何を言えばいいのか分からず黙り込んでしまうことばかりだったのに。
「……なんでだろう。ここにいると、なんだか、話してもいいような気がするんです」
「そうか」
短い返事だった。でも、ランの手が、一瞬だけ止まったのを、私は見逃さなかった。
「――おれも、そうだ。お前と話してると、なんでか知らないが、言葉が出てくる」
その一言に、胸の奥が静かに波打った。名前も、素性も、何一つ明かしていないのに。まるでずっと前から知っている誰かと話しているような、そんな錯覚があった。
「変ですよね。今日会ったばかりなのに」
「変だな」
そう言って、ランは少し困ったように笑った。それでも、その目は、どこか興味深そうにこちらを見ていた。
「――希は、何をしにこの辺りまで来たんだ」
ふいに、ランが尋ねた。踏み込みすぎないよう、それでいて、聞かずにはいられない、というような声だった。
「……大切な人を、探してるんです」
それだけしか、言えなかった。誰を、どうして、というところまでは、言葉にできなかった。
ランは、それ以上聞かなかった。ただ、「――見つかるといいな」と、ぽつりと呟いた。その一言が、思いのほか、胸に残った。
「――希は、色んな土地を巡ってるんだろう。羨ましいよ」
ぽつりと、ランがそう漏らした。
「羨ましい、ですか」
「ずっと治療法を探してる病があるって、前に話しただろう。手がかりになりそうなものは、この診療所の書物じゃもう出尽くした。本当は、外の土地に行って、直接聞き込みでもしたいくらいだ」
診療所を空けられない事情と、その願いの間で、ランは小さく息を吐いた。
薬棚に向き直ったランの背中は、さっきより少しだけ、力が抜けているように見えた。
◇
その日の夜、診療所の扉が、激しく叩かれた。
「先生! すぐ来てくれ、女房が!」
血相を変えた男が、ランを呼びに来た。ランは即座に鞄をつかみ、私が止める間もなく、夜の街道へと駆け出していった。
戻ってきたのは、夜が明けかけた頃だった。
ランは、診療所の戸口に立ったまま、しばらく動かなかった。俯いた背中が、いつもより、ずっと小さく見えた。
「――ラン?」
声をかけても、返事はなかった。
「間に合わなかった」
やがて、絞り出すような声が聞こえた。
「難産で、母体も、子供も。おれが、もう少し早く着いていれば」
その先の言葉は、続かなかった。
私は、何も言えなかった。慰めの言葉が、どれも薄っぺらく思えた。
ランは、そのまま診察室にこもり、丸一日、誰とも口をきかなかった。差し入れた食事にも、手をつけなかった。
夜になって、そっと様子を見に行くと、ランは机に向かい、分厚い医学書を開いていた。同じページを、何度も、何度も読み返しているようだった。
「――もっと早く気づいていれば、防げたはずなんだ。おれの、見落としだ」
「ラン」
「人の命を預かってるのに、おれは、まだこんなにも無力だ」
その声には、いつもの落ち着きがなかった。
私は、何も答えられないまま、ただその隣に座った。何時間でも、そうしているつもりだった。
「――そばにいても、いいですか」
しばらくして、ようやくそれだけを言った。
ランは、答えなかった。それでも、拒みもしなかった。
夜が更けるまで、二人で、無言のまま、その部屋にいた。
翌朝、ランはいつもと変わらない顔で、次の患者を診ていた。それでも、その手つきに、ほんの少しだけ、迷いのようなものが残っているのを、私は見て取っていた。
診療所の窓辺に置かれた医学書は、開いたページのまま、そこにあった。昨夜、彼が何度も読み返していたページだった。




