3 そこは内なる隠キャにとっての、天国だった。
#こんな世界に行ってみたい
#こんな組織で働きたい
目が覚めると、イリーナは体育館のような広い空間に寝かされていた。
そして横を見ると、あのスーツの男がしゃがみ込み、こちらを見ていた。
「……どこ」
状況が理解できないまま、イリーナは細い声で呟く。
「……やっと起きた」
男はそう言って立ち上がると、そのまま歩き出した。
その瞬間、イリーナの頭の中で記憶が一気に繋がる。
レオン。
血。
工房。
胸に空いた穴。
「っ――!」
イリーナは勢いよく起き上がり、目を見開いて周囲を見渡した。
広い空間には、黒いスーツ姿の大人たちが忙しなく動いている。
椅子に座って休憩している者。
誰かへ報告をしている者。
大量の人間が行き交い、その騒がしさは朝の駅のようだった。
その中には、奇抜な髪色や服装の人間もいる。
物騒な武器を持ち歩いている者までいた。
イリーナは、少し先を歩く男を追いかける。
すぐに追いつき、横顔を見る。
タレ目なのか、ただ気怠いだけなのか。
とにかく、常に寝起きみたいな目をしていた。
髪も特に整えていない。
先程の黒い牙は消えていた。
「……ここ、どこ?」
イリーナは目を合わせないまま聞く。
しかし男は無視した。
イリーナも、それ以上は聞かなかった。
周囲には男と同じ黒スーツの人間が大量にいる。
もし全員がこの男と同じような実力なら、ここで騒ぐのは危険だと判断したのだ。
やがて正面の大きな自動ドアを抜ける。
その先には、巨大なエントランスのような空間が広がっていた。
左右には駅の改札のようなゲート。
中央には受付らしき場所があり、数台の人型ロボットが並んでいる。
スーツ姿の人間たちが、ゲートを通って次々に出入りしていた。
そして受付の真上。
巨大なモニターが設置されていた。
空港の電光掲示板より遥かに大きい。
そこには今日の日付と、知らない人物の顔写真。
その上に、大きな赤いバツ印。
さらに下には、
『target(標的)』
という文字と、アルファベット表記の名前。
そのさらに下には、
『processor(処理者)』
という文字と、別の名前が表示されていた。
それが次々に切り替わっていく。
四人目。
表示された顔を見て、イリーナの目が見開かれた。
「……レオン……」
レオンだった。
他の人物と同じように、大きな赤いバツが描かれている。
そして名前の下。
『Bevel』
という文字。
イリーナは横の男を見る。
処理者。
ベベル。
つまり――。
レオンを殺したのは、この男。
イリーナはそう理解した。
そして次の表示で、完全に悟る。
『L-7管理局』
その文字を、この大陸で知らない者はいない。
世界最高峰の諜報機関。
領主も、帝国も、大商会ですら恐れる存在。
世界の調停者。
それが、L-7管理局だった。
なぜ自分がこんな場所にいるのか。
レオンはなぜ殺されたのか。
疑問が次々に浮かぶ。
だが考えているうちに、前を歩いていた男が改札の前で立ち止まった。
イリーナが駆け寄る。
すると次の瞬間、ぐいっと背中を押された。
「っ」
そのまま先に改札を通される。
入る瞬間、男がパスのようなものをかざし、自分も同時に入ってきた。
駅で子連れの人がやるやつみたいだった。
少し腹が立つ。
だが口には出さない。
そのまま進み、いくつものエレベーターを通り過ぎる。
そして正面にあった、一際大きなエレベーターの前で止まった。
男がまたパスをかざす。
ドアが開く。
そしてまた、背中を押された。
別に「乗って」と一言言えば済む話ではないか、とイリーナは思ったが、それも口にはしなかった。
エレベーターは上へ昇っていく。
かなり進んだところで、ドアが開いた。
そこは広いオフィスのような空間だった。
左右には大きなソファ。
その片方に、一際大きな男が深々と腰掛け、足を組みながらこちらを見ている。
イリーナは反射的に目を逸らした。
正面には、十メートル以上はある巨大なガラス窓。
そこから、先ほどの体育館のような空間全体を見下ろせた。
そして中央。
大きなデスクの向こうに、一人の女がいた。
長い髪。
赤いインナーカラー。
スタイルのいい女だった。
頬杖をつきながら、イリーナを睨んでいた。
男がデスクへ向かって歩き出したため、イリーナも後をついていく。
近くまで来たところで、デスクの女が口を開いた。
「ベベル、そいつが新人?」
男はため息をついてから、だるそうに答える。
「……そうです」
やはり、この男がベベルらしい。
女はイリーナを見ながら、ニヤッと笑った。
「向いてそうじゃないか」
「……そうっすか?」
「ああ。調べたけどそいつ、ターゲットの彼女、幼馴染ってやつ?」
女は楽しそうに頬杖をつく。
「アオハルだね〜」
イリーナは、その言葉で理解した。
自分の素性は、すでに全部知られている。
「マブが目の前でぶち死んだのに、全然平気そうじゃん?」
その言葉で。
イリーナは、やっと自分の異常に気づいた。
レオンが死んだ。
昔から知っていた親友で。
付き合おうとしていた相手。
そのはずなのに。
涙一滴、出ていない。
それどころか、“悲しい”という感情そのものがない。
そして。
イリーナはやっと気づく。
自分が、ずっと笑みを浮かべていることに。
「……気持ち悪いんすよコイツ。知り合い死んでるのに笑ってるし……」
ベベルが小声で呟く。
すると女が即座に言った。
「おいおい、女の子にキモいとか言うんじゃねえよ。殺すぞ」
ベベルは「はあ」とため息をつく。
女はさらにニヤニヤしながら続けた。
「お前の初彼女になる可能性だってあるんだぞー?」
「絶対ないです!」
イリーナは思わずツッコんだ。
自分でも、なぜこんなに冷静なのかわからなかった。
女は満足そうに笑う。
「ご想像の通り、配属先が決まるまで、研修はベベルくんで〜す!」
「……やっぱり?」
ベベルは露骨に嫌そうな顔をした。
「もう勘弁してくださいよ。もう単価上げろって言わないから、おもりだけは勘弁してくださいって……」
女はニヤッと笑う。
「ダメ〜。源さんがお前には相方が必要だろって言ってたし、私もそう思う」
そして肩をすくめた。
「まあ、これは私より上からの命令だ。私じゃどうすることもできないし、する気もない」
ベベルは大きくため息をつく。
「はいはい」
そう言って、またエレベーターへ向かって歩き出した。
イリーナも後を追おうとする。
だが。
「お嬢ちゃんは残って」
女がそう言った。
ベベルがエレベーターへ乗り込み、ドアが閉まる。
すると女が口を開いた。
「ということで〜、もう大体わかってると思うけど、ここは独立諜報組織としては世界最高&最強のL-7管理局でーす」
軽い口調だった。
まるで会社説明でもしているみたいに。
「本当は極力目撃者出さないようにしないといけないんだけど、ベベルくんのミスでお嬢ちゃん巻き込んじゃったみたいなんだ〜」
女は楽しそうに笑う。
「……本当は君もボーイフレンドと一緒にぶち殺さないといけないんだけどー」
その言葉を、あまりにも軽く言った。
「優秀だから、スカウトしちゃった!」
そして少しだけ目を細める。
「……まあ、全力で抵抗しても洗脳して“シカバネ”にするだけなんだけど」
女は頬杖をつきながら、イリーナを見る。
「お嬢ちゃん、素質ありそう! 人殺した事ある??」
イリーナは無言だった。
この女は、自分のことをどこまで知っているのか。
そんなことを考える。
「まあ、そういうことだから」
女はデスクの引き出しからカードを取り出した。
「あ、これ君のパスね」
白いカード。
そこには、
『イリーナ』
と書かれていた。
「先にそのエレベーター使って三階行って、制服もらってきてねえ」
女はそう言って、エレベーターの方を指差す。
イリーナは小さくお辞儀をした。
そしてエレベーターへ向かう。
後ろでは、女が笑顔で手を振っていた。
ドアが閉まる。
イリーナは静かに三階のボタンを押した。
エレベーターが動き出す。
静寂の中で。
イリーナは、自分が驚くほど冷静にこの状況を受け入れていることを、自覚していた。
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