第265話 伝説の隊の終焉
1582年6月2日、本能寺にて織田信長は明智光秀の謀反によって討たれた。
当時、織田信長が支配していた国は東は上野国、西は備中国や伯耆国の一部に及ぶ28か国。当然、信長が死んだことによる影響は果てしなく大きい。
まず東、旧武田領では同盟国であった北条が織田方の滝川一益に襲い掛かった。滝川一益は一度は北条を撃退するものの神流川の戦いで大敗を喫す。さらに真田昌幸ら旧武田家臣の一部も反旗を翻し、信濃から撤退中だった森長可らに牙をむいた。その結果、上野国・信濃国・甲斐国という旧武田領を織田家は失うことになる。旧武田領は今後、徳川と北条と上杉の三つ巴の領土争いが繰り広げられることになる。
その中で真田家は勢力を広げ、三家が無視できないほどに成長するのだがそれはまた別のお話である。
次に西、こちらは敵は毛利氏のみ。毛利と戦っていたのは羽柴秀吉。秀吉は毛利に本能寺の報が届く前に講和を済ませていたため、その誓約に従い毛利軍が織田領に大挙し攻めてくることはなかった。毛利に匿われている足利義昭は信長の死を知り、毛利輝元に上洛を求めたが輝元が受け入れることはなかった。
そして混乱は織田家内部にも。関東から敗走した滝川一益は旧武田領の奪還を主張するが織田家家臣団は旧武田領は徳川家康に平定させることを決定する。滝川一益は代わりの領土を要求するが認められず、滝川一益は不満を強めていく。
さらに相続した領土の国境について、織田信雄と信孝の兄弟も対立する。
そして何より、織田家内の序列において明智光秀に次ぐナンバー2だった柴田勝家だが、山崎の戦いの結果を受けた領土再分配にて大幅に加増されたうえ、丹羽長秀らの支持を受けた羽柴秀吉との立場が逆転する。羽柴秀吉は織田家重臣筆頭の地位に就き、不満を強めた柴田勝家は織田信孝や滝川一益とともに反秀吉の陣営を形成することになる。
「ま、あの2人はもともと仲が悪かったしな」
ざっと今の織田家内外の情報を安土から戻った蒲生氏郷から聞き、俺の口から出たのはそんな言葉だった。織田家が割れることへの驚きはない。勝家殿とサルが仲良くするところなんて元から想像できないし、信雄・信孝も昔から揉めてばっかりだった。
「師匠に状況を理解していただいたところで、こちらを」
そう氏郷が手渡してきたのは一通の手紙。その手紙には手を付けず、俺は氏郷の方を見る。
「これは?」
「池田恒興殿からの書状です」
「恒興から、ってことはサルの側からの勧誘のお手紙ってことか……氏郷は、サルの方に付くべきだと思うか?」
「全ては師匠が決めることです。ですが私個人の意見を述べるなら……はい」
「……そうか」
個人的にサルの下に付くのは複雑な思いがあるが、領主として今後10年を考えるならサルの下に付くのは正しい判断だ。なんていったってサルは次の天下人、歴史の教科書がそれを証明している。この歴史を改変できるのは俺かユナだけだがユナは元からサルに従っているし、信長様亡き今俺もサルの邪魔をする理由はない。
でも俺が今サルの下に付けば、きっと俺はサルの天下の為にまたたくさんの戦に駆り出されることだろう。そしてその時、俺が率いるのは伊賀の民。伊賀の再興という目的と逆行する行為だ。
「師匠?」
俺はそっと池田恒興からの手紙を手に取る。そして手紙を2つに破ると囲炉裏に放り込んだ。
「俺はサルの下にはつかない。……でも氏郷はサルの下に行っていいぞ。きっとそれが正しい判断だ。氏郷がここを去ってサルのところに行っても俺は責めたりしない」
「師匠、何故……」
「伊賀のことを考えた結果だ。俺は伊賀に特別な思い入れがある。でもお前はそうじゃない、勝ち馬に乗っとけよ」
俺の考え方に氏郷たちを巻き込む必要はない。ここでサルに付く判断をしない愚かな主君など捨てて、サルの下で出世して俺より大物になってほしい。
「私は、師匠の隊の五番隊隊長です。これからも師匠と共に戦いたいです」
「そう言ってくれるのは嬉しい。もちろん、残りたいなら無理に追い出したりはしないし、助かるよ。でも、本当にいいのか?」
「それはどういう意味でしょうか」
「サルはこれから信長様の後を継いで全国統一を進めるだろう。各国の大名は既に信長様に散々叩かれて勢力を落としてる。ほぼ間違いなくサルの天下統一は果たされる。今サルの下に付くのが最も賢い判断なんだ。お前にももう嫁がいて娘もいる。今が巣立ちのときなんじゃないか?」
そう言うと氏郷は黙り込んだ。その後も答えを出せなかったようで「一晩考えさせてください」と言って帰っていった。
氏郷が部屋から出ていくのを見届けた後、俺は部屋の外に待機していた彦三郎を呼んだ。
「彦三郎」
「ハ」
「たぶん、明日氏郷は隊を抜けてここを出ていくだろう。これを機に隊を解散しようと思う」
「我が主、それは……」
「俺はしばらく戦に出るつもりはないし伊賀に攻め込んでくる敵もいないだろう。戦がなければ隊も必要ない。長可とか長利は俺のところに居なければまだ出世する可能性は大いにある。俺はあいつらの可能性を潰すことはしたくない」
「…………」
「彦三郎?」
何故か頭を抱えて黙っている彦三郎。何か常識外れのことを言ってしまったかと焦る。だが彦三郎の答えは俺の予想とは異なる物だった。
「……いえ、我が主がそのように家臣のことを想える主であることを誇らしく思っていただけです」
「彦三郎……泣いてるのか?」
「これは失礼……ですが我が主が生まれた時からお側で見守っていた身としては……」
「老いて涙もろくなったんじゃないか? それにちょっと照れるからやめてくれよ」
「申し訳、ありません」
「謝る程の事じゃないけどさぁ……」
目頭を押さえている彦三郎。気まずい俺。この状況は彦三郎が泣き止むまで続いた。
彦三郎が泣き止んで部屋を出て行った後、俺は手紙を書くことにした。宛先は二番隊隊長・森長可。その内容は隊を解散した事、隊長職を解任する事、そして今までの感謝。さらにサルの下にいる恒興への紹介状も書いておいた。これで行先に困ることはないだろう。
さらに翌日、館に長可を除くすべての隊長を集め宣言した。
「坂井大助隊は今日を以て解散する!」
皆の反応は様々だった。昨日も話した理由をざっくりと説明する。
「もちろん残りたいという者はこれまで通り伊賀の要職に就ける。だがより高みを目指すものは遠慮なく今ここを出ることをお勧めする。望むなら俺が顔が利く織田家臣団の武将に紹介状を書くこともできる」
とは言っても長秀殿か恒興くらいにしか書けないが。とにかく長く共に過ごした隊長たちだ。実力も折り紙付き。今後の活躍のため、俺ができる最後の後押しくらいはしてあげたい。
最初に手を挙げたのは蒲生氏郷。
「今まで、お世話になりました。師匠の教えは決して忘れません」
「うん。こちらこそ、今までよく仕えてくれた。本当にありがとう」
氏郷は最初信長様に連れてこられた人質だった。俺の弟子になって、俺の部下として活躍した。武将としての蒲生氏郷は俺が育てたと言っても過言じゃない。
去っていくことへの寂しさはあるが、氏郷が俺の下から離れてどんな活躍をするかという楽しみの方が勝る。こいつの才能はきっと竹中半兵衛にも劣らない。
次に手を挙げたのは市橋長利。
「殿。私もここでお暇させていただきます」
「長利……わかった。紹介状はいるか?」
「いえ、結構」
長利は美濃侵攻のときに成り行きで部下にした敵将だった。真面目でまっすぐな性格で兵からの信頼も厚い。どこへ行っても重宝されるだろう。
「本当に長い間仕えてくれたな。ありがとう」
「滅相もない、殿のお側で戦えて楽しゅうございました」
長利の手を握り感謝の言葉を述べる。
そして残ったのは3人。彦三郎、常道、秀隆。隊発足当時からいる2人と元四番隊隊長の弟。
「お前らはいいのか?」
「ご冗談を。我らはずっと大助様のお側で支える覚悟です」
「兄上もここで大助様を見捨てれば天国でお怒りになるでしょう」
「常道と秀隆の言う通り。それに我が主を支えるのは大膳様と奥様の御命令ですし、出て行けと言われてもお断りですよ」
その言葉に自然に笑みがこぼれる。
「俺も、お前らは残るってくれるんじゃないかと思ってたよ。……じゃあこれからも、よろしく頼む」
「「ハ!!」」
「出ていく2人も気にすることはない。お前たちの今後の活躍を祈ってるぞ。本当に、今までよく仕えてくれた。俺がお前らに抱く感情は感謝と期待だけだ。罪悪感なんて感じなくていいからな。次の主君の下で頑張れよ!」
「ハ。今まで大変お世話になりました、殿」
「師匠もお体にお気をつけて」
こうして織田信長の時代、数多の武功を上げ戦を勝利に導き、数々の伝説を残した坂井大助隊は信長の死とともに終わりを迎えたのだった。




